赤葦くんと幼馴染ちゃん
『こうして、シンデレラは王子様と永遠に幸せに暮らしましたとさ』

 今回の劇でナレーターを務める放送委員のクラスメイトが一息ついたところで、閉演を示すブザーが体育館内に響く。拍手と掛け声が響く中、ゆっくりと幕が降りて、打ち合わせ通り大道具係がステージの上に駆け寄った。今から5分の間に撤収作業をし次の6組にステージを渡さなければいけない。予め決められていた手順で、ある者は場ミリを剥がし、ある者はキャスターを引きずり、ある者は――と皆それぞれが忙しなく動いている。
 それは名前も例外ではなく、キャスターの留め具を足で外すと、ゆっくりと押して袖へと運んだ。ここまでは良い。一番大変なのは、ステージと体育館倉庫を繋ぐ3段の階段から下ろすこと。大道具の中で比較的軽いものを与えてもらったとはいえ、階段を降りるときは持ち上げなければいけないのだが、舞台袖として使用している体育館倉庫は暗い。既に6組も来ているようで人がごった返しになっている。それに、本番を終えたとはいえ大道具を壊すわけにもいかない。
 頑張ろ――。と気合を入れて、シミュレーション通り持ち上げるべくキャスター部分を握ろうとした時だった。

「あれ……?」

 突然軽くなったそれは、瞬く間に床へと下ろされた。

「5組の置き場ってここだっけ?」
「そう、です……って、もしかして京治?」
「うん」
 
 暗くてよく見えないが、聴き慣れた声は間違いなく幼馴染のもので名前はゆっくりと顔を上げた。案の定、名前の代わりに大道具を下ろしてくれたのは赤葦で、正体がわかった名前は顔を綻ばせてお礼を言う。「お疲れ」と赤葦の指が名前の髪の毛を梳かしてくれたところで、やっと暗闇に目が慣れてきたことも相俟って、赤葦が随分と煌びやかな服を着ていることに気がついた。
 衣装を身に纏った姿は何度か見たことがあったのだが、先日見た衣装よりも心成しか装飾が増えグレードアップしているような気がして、「あれ? 衣装変わったの?」と、名前は首を傾げた。

「あー、なんかもっと派手にしなきゃって衣装担当の人が言ったみたいで、昨日付け加えたらしい」
「なるほど。一国の王子様だもんね」
「でもちょっと派手すぎるだろ……」
「たしかにキラキラしてるけど、京治的にはかぼちゃパンツよりはこっちの方が良いでしょ?」
「それはまあ……。そういえば名前のクラスの王子役、かぼちゃパンツだったね」
「そうそう」

 6組の衣装担当による王子様像は、どうやら名前のクラスである5組とは違ったようで、赤葦は上品な白いタブレットタイプのものを纏っている。更に、白いテールコートに白いパンツと散らばる煌びやかなゴールドの装飾品と黒いブーツ。そして、細く長い剣が腰に携えられており、その中でも殊更に目立つのは赤色の大綬である。
 高校の学園祭かつ手作りとは思えないほどの圧倒的なクオリティに、名前は息を飲んだ。しかも魅了されたのは衣装だけではない。名前のお気に入りでもある、いつもアンニュイな雰囲気を漂わせている癖毛は、ヘアジェルとハードスプレーでしっかりとセットされていた。これはこれで素敵だ。
 我がクラスのかぼちゃパンツも王子様をよく表している衣装だったけれど、私はこっちの方が好みだなという本音は心の中で留めておいた。そもそも名前にとって、赤葦がどのような衣装を着ていても一番格好良いことに変わりはない。

「あ、そろそろ俺たちのクラスの準備が始まるかも」
「頑張ってね」
「うん。ありがと」

 片付けに勤しむ5組の傍らで円陣を組んでいる6組を横目で見据え、赤葦は名前の額に唇を落とした。いつもの行為であるのに、格好が格好なだけに心臓が弾けてしまいそうで、名前はぎゅうっと掌を握る。

「京治の演技楽しみ! しっかり見るからね」
「……それはなんか恥ずかしいな」
「え、見ない方が良い……?」
「いや。俺だけを見て」
「っ、う、うん」

 最後に名前の頭をぽんぽんと撫でていき、後ろ髪を引かれながらも、赤葦はやっと6組の輪の中に入って行った。
 名前と言えば、制服の裾をぎゅうっと握って下唇を噛みながら悶え、数秒後にやっと足を進める。体育館倉庫が暗くて良かったと心底思いながら、顔に集った熱を辺りに散りばめた。『俺だけを見て』だなんて、今更だ。名前はずっと赤葦しか見ていない。

 あまり片づけが出来なかったことに申し訳なさを感じつつも、最終打ち合わせや意気込みを語る6組の邪魔にならないように小さくなりながら、名前は体育館倉庫から黒い幕を潜って脱出をした。途中、赤葦が前にクラスの中で一番仲が良いと教えてくれた男子生徒に手を振られたので、小さく振り返したらまた赤葦と目が合ったので顔が熱くなったが。

「相変わらずだね」
「うん……。心臓壊れるかと思った……。あ、ほとんど片付けできなくてごめんね」
「いいよいいよ。それよりも赤葦たちの劇観ていく?」
「うん。良い……?」
「勿論。そう言うと思って空いてる席探しておいたよ」
「天才すぎる……。ありがとう!!」

 迎えに来てくれた親友は相変わらず仕事が早い。名前が赤葦と話している間に、空いている席を探して、それぞれの席にジャージと制服のブレザーを置いてきてくれたのだとか。優秀な親友に、申し訳なさと感謝から頭を下げて、大人しく親友の後ろを着いていった。

 梟谷の学園祭1日目は劇やダンスを披露するクラスが多いが、決して強制ではないので展示を行うクラスもある。そのため、どの時間にどのクラスを観劇するか、或いは展示を見に行くかは生徒の自由である。

 親友が取ってくれた席はステージから十数列後ろの右側寄り。横に照明があり、心なしか暑いのだが、ちょうどパイプ椅子の下に台が置かれているため一段上がっており、後ろ側の中でもかなり見やすい席だった。さすがです――と、名前は拝んだ。
 それにしてもだ。5組の劇はこんなにも席が埋まっていただろうか。場面の切り替わりで暗転した時にチラリと客入りを確認したが、ここまで埋まっていなかったような気がしてならない。審査員は劇をしないクラスの教師たちだし、客入りの数は評価に含まれないものの、やはり悔しさは拭えなかった。それはどうやら親友も同じみたいで、眉を寄せている。

「なんか、私たちのクラスよりも女子のお客さんが多いよね」
「……うん。京治効果かな?」
「え、あいつそんなにモテんの!?」
「うん、モテるよ……って、え?」

 親友と話していたはずの名前は、突如後ろから聴こえてきた親友よりも明らかに低い声に言葉をつまらせ瞠目し、バッと体を振り向かせた。
 後ろにいたのは、ニッと歯を見せて笑う白銅色の髪色をオールバックに立たせた、赤葦の先輩であり、今の声の犯人である。

「あ、先輩方、お疲れ様です」
「うーっす」

 面倒そうに顔を顰めた親友は部活柄一応挨拶をしているようで、名前もおずおずと会釈をした。「赤葦の幼馴染ちゃんもちーっす」と、ひらひらと手を振っているのがたしか木葉さんと猿杙さんで、「相変わらず可愛いな。羨ましい!」なんて言っているのが小見さん。「お前らもうそろそろ始まるぞ」と厳粛な顔をさせて窘めているのが鷲尾さんだったはずだ、と、名前は脳内で名前を思い浮かべていた。
 最近で言えば、球技大会の時にお世話になっており、とても賑やかな先輩たち――というのが名前が彼らに抱いている印象である。

「赤葦が劇に出るってことはあいつのクラスの奴から聞いたけど、なんの役かはあかーし教えてくれなかったんだよなー」
「しかも絶対見に来ないでくださいねって釘さされたしな」
「まあそれ言われちゃったら行くよな。言われなくても行くけど」

 木兎と木葉と小見が口々に言うやり取りがなかなか面白く名前は思わずほくそ笑んだ。
 たしかにあの幼馴染は、劇に出ることも、しかも王子様を担うことも最後まで乗り気ではなかった。元より他人に自身のことを言いふらすような性格でもないし目立ちたがりというわけでもない。部活の先輩たちに言わない赤葦は、容易に想像できる。
「きっとやべえ役なんだよ」「例えば?」「オネエとか……?」「しおりに白雪姫って書いてるけど……。白雪姫にオネエでないだろ。強いて言えば継母か?」「あ、似合う」と想像を膨らませる木兎たちの会話を終了させるように、響いた開演のブザーと、ゆっくりと入ってきたナレーターの声に名前は体勢を戻した。
 赤葦の王子様役について楽しみには変わりないけれど、やはり少し怖いのかもしれない。随分と器の小さな性格になってしまったと内省しても、このモヤモヤが消えることは無い。

「名前、見れる? 大丈夫?」
「うん、大丈夫。京治とも約束したし」
「……そう」

 耳元で小さな声で問いかけた親友に頷いて、名前は息を吐いた。

 まさかこのあと、やっぱり見なければよかったと、泣きながら体育館を出ることになるだなんて。この時はまだ――。 




幼馴染ちゃんとフラグ。

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