赤葦くんと幼馴染ちゃん
 ビニールテープで簡易的に貼られた場ミリに合わせて板を運ぶ。足許にキャスターが付いているのでほんの少しだけ力を入れて押すだけとはいえ、そこそこの重さがある大道具に大きく息を吐いた。普段部活で使っているポールの方が重量はあるはずなのに、こちらの方が重く感じるのは好きなものかどうかの違いだろうか。或いは、学園祭の劇にしては豪奢に感じるセットのせいだろうか。
 徐々に揃いつつある衣装やセッティングされた大道具を見ても、高校の学園祭の範囲を軽く超えているような気がしてならないが、賞品が関わっているともなれば、皆そこそこに気合が入るらしい。梟谷が、運動部や文化系問わず部活動に力を入れているいわゆる強豪校だからかもしれない。文化系や部活に入っていない人を含めても、皆そこそこに体育会系なのだ。私としても勉強よりはこういった授業の方が好きなのだし申し分ないのだけれど、この噎せる程暑い体育館の特に、熱が籠るステージの上で作業をするのはどうしたって億劫に感じてしまう。

 学園祭が1週間後に控えてからは、毎日1から6ないし7時間授業の中で1時間だけ学園祭準備時間が設けられる。1日目に劇やダンスを選んだクラスは30分間体育館や視聴覚室が割り当てられ、展示を選んだクラスは教室で展示の準備ができる仕組みである。2日目の準備をすることも勿論許されているので、喫茶店や屋台を選んだクラスは、メニュー表や衣装を選んだり、お化け屋敷やアスレチックなどを選んだクラスは、設計を考えたりと皆そこそこに浮足立っていた。ちなみに私たちのクラスは、2日目にコスプレ喫茶をするんだとか。
 特にこの、私の隣で、扉に向かって小さく手を振っている親友は、準備期間の中でもこの体育館割り当て時間に、特に幸せを感じているようだった。煌々と輝いている双眸は恋する乙女のそれで、そこそこに皆が疲れている中で1人だけお花畑の中にいるようだ。

「30分経つよー! 6組もう来てるから片付けてー!」
「はーい……」

 ストップウォッチと腕時計を片手に持ちながらメガホンで声を掛けているクラス委員の女子の声を合図に、どこか疲れが垣間見える返事が四方から響きつつ、撤退作業を開始する。小物や衣装は教室に持っていくが、大道具は専用の教室に運ぶために男子たちが率先して持ってくれている。その有難さを拝みながらも、再度親友へと視線を移せば、いつの間にやら隣にいた左東に何度も頭を下げて道具を渡し、そのまま扉へと駆けていった。目で追っていた左東の顔が萎む。いや、あれは仕方ないって……。

「京治!」
「うん、お疲れ」
「お疲れ様!」

 親友――名前は案の定赤葦の前に行くと、軽く腕を広げていた赤葦に抱き着いた。2人の間に羞恥とか照れとかはないのかと一言投じたくなるが、すっかり2人の世界に入り浸っている彼女たちにそんなものがあるわけがなかった。最早両クラスの中で名物と化している2人のやり取りに微笑ましく感じてしまうのだからどうしたものか。

「名前、水分摂った?」
「んー……。練習が始まる前に摂ったよ!」
「練習中は?」
「……教室に忘れてきちゃって……」
「名前……」
「ご、ごめんなさい!」

 呆れながら軽く窘めるように名前を呼んだ赤葦に、名前が分かりやすく体を揺らす。いくら9月の半ば、気候は残暑と呼ばれるものだと言え、体育館の中は蒸し風呂のごとく暑い。普段は授業中に飲食は望ましくない(あまりにも暑い真夏日は特例として許されるけれど)とはいえ、体育とこの練習時間は水分補給の許可が出ている。むしろ先生たちが推奨しているくらいだ。
 特に名前は暑さに弱い。いつもならば名前も持ってきていたのだが、移動間際まで寝ていた彼女は慌てて起きたため、持ち歩いているペットボトルを忘れてしまったらしい。練習中、私のを分けようと声を掛けていたのだが、「まだ大丈夫」と笑顔で制されてしまっていた。

「俺の飲んで」
「え、でも、京治の分……」
「無くなったらまた買えばいいから」

 惚れた弱み故なのか、赤葦の圧がすごいからか、ずいっと差し出されたペットボトルを小さくお礼を言いながらおずおずと受け取った名前は、キャップを外すと口許で傾ける。渡す時さり気なく赤葦がペットボトルの蓋を緩めたところや、口許を拭くためのハンカチをすでに用意しているところからは、赤葦の性格と名前への想いが伝わってくる。
 左東はどうだろうか。なんとなく眺めれば、顔を歪ませて名前と赤葦を凝視しながらも扉から出て行った。嫌なら見なければいいのにと思うけれど、これも惚れた弱みなのかもしれない。

 左東に続いて、5組の劇担当がぞろぞろと重たい扉から出て行く。数人が名前と赤葦を面白そうに眺めたり顔を赤くしてみたり顔を歪ませてみたりと、相変わらずあの2人の影響はすごい。
 赤葦に挨拶しているあいつはたしかバレー部だったはずだ。顔を赤くしているあの子は少女漫画が好きだったはず。顔を歪ませた彼女は、たしか――。華やかなドレスを身に纏っていながら、心に宿るのは聊か黒い感情であるのはなんとなくわかった。同情はするけれど、申し訳ないが応援はできない。私はいつだって名前の味方なのだ。

「ありがとう」
「もういいの?」
「うん! 思ったよりも喉乾いてたみたい。京治のおかげで干からびないで済んだよ、ありがとう!」
「いいよ。教室戻ったらもっと飲んで。温くなっていたら新しいの買って。ただでさえ名前は暑いの苦手なんだから」
「はーい」
「良い子」

 仕上げに頭を撫でて額にキスを落とす赤葦に、嬉しそうに目尻を細める名前。毎回毎回、こちらが干からびてしまいそうなやり取りに少しげんなりしつつも、名前が幸せそうなので良しとする。

「そろそろ始めるよー!」

 6組の子がこちらもメガホン片手に声を掛けると四方から返事が飛び交った。どこのクラスも似たようなものらしい。
 最後に抱き合ってお互いに励ましの言葉を言い合った2人はやっと離れ、私は名前の元へと向かった。

「お待たせ。ごめんね!」
「ううん、いいよ。それよりも今度から遠慮しないでね」
「……?」
「水分補給」
「あ……う、うん、ごめんね」

 どこかしょんぼりとしながらも、先程のやり取りを思い出したのか顔をぽっと赤らめる名前はたしかに可愛いと思う。

 体育館を出た先にある廊下は打って変わって涼しくて、それなのに隣の親友は熱中症になりそうなほど頬を赤く染めているのだから恋の力はすごいと思う。というか羞恥が来るの遅くない? いつものことだけど。

「赤葦のこと本当に大好きだよね」
「だって京治、格好良すぎる……」
「はいはい」

 2学年の中では、入学早々の『幼馴染がいるので』という赤葦の牽制と断りの賜物で赤葦の方が名前のことを好きだと思われがちだが、多分名前も同じくらい赤葦のことが好きすぎる。むしろ私は赤葦とバレーでしか関りが無く(男女は体育館が違うので接点はあってないようなものだけれど、)、普段から名前の隣にいるからか名前の方が赤葦のことを好きに見えてしまうのだが。

「告白してみれば?」
「え……それは……断られるのが怖いと言いますか……京治に迷惑がかかるかもしれないと言いますか……」
「好き好き言い合ってるのに? 抱き合って間接キスして……というか普通のキスまでしてるのに?」
「そ、それは京治の好きと私の好きは違うだろうし……スキンシップは京治が優しいからで……」
「はぁ……」

 両想いは明白なのに。赤葦が名前にあのおかしなプランを言っていないせいでここまで拗れている。名前も名前で、赤葦からのスキンシップは優しさや幼馴染だからと受け取ってしまっている。名前は人から向けられる好意に対して鈍いわけではない。だけど、前提に『京治はとても優しい』があるので、向けられる言動を優しさとして受け取ってしまっている。これがここまで拗れた要因だと私は思うけど、間違ってはいないはずだ。「でも……」赤葦への想いに頬を染めていた名前の声が沈む。

「最近ね? 京治の幼馴染でいるのが辛くなってきたんだ……」
「……」
「幼馴染やめたい、とか思っちゃった……」
「あらら」

 両方の人差し指をいじいじと弄る名前に感じる焦れったさにはもう慣れたけれど、最近はそれに切なさが含まれている。いよいよ名前も限界なのかもしれない。

 赤葦へ。取り返しのつかないことになる前に行動に移した方良い気がするよ。名前の親友兼女子バレー部のサブのセッターより。




幼馴染ちゃんと親友。

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