赤葦くんと幼馴染ちゃん
 今年度の梟谷学園グループ合宿2回目、いわゆる森然高校での長期合宿は、明日の最終日を残してラストスパートを迎えている。今年は音駒の猫又監督の紹介で宮城の烏野高校を迎えたことにより、GWや土日に行われた梟谷だけでの合宿や、関東の高校を集めた従来の梟谷学園グループの合宿とは一味違った内容だった。特に烏野天才セッター影山のプレイは良い刺激となっている。

 7月7日の梟谷で行われた1回目合宿の夜、孤爪と俺に教えを乞うた姿は他校の後輩とは言え愛らしく(孤爪には逃げられていたが)、吸収し形にする時間の速さは舌を巻くものだった。だからといって自身の実力を過信することもなく、空き時間を有効活用したトレーニングにもストイックさが垣間見えるが、自分の体力や限界を把握しているのだろう、オーバーワークになることもなく我武者羅と言うよりは脇目も振らずにという言葉が似合う選手だった。
 特に日向との連携は見事なもので、速攻に飛んだ目を瞑る日向の手元へとドンピシャにボールを運ぶ様は衝撃だった。7月の合宿で日向との連携は崩れ始めたのだが、それは失敗や衰萎なんかではなく、『新しいなにか』を掴もうとしているように見えて酷く恐ろしくなった。烏は雑食。正しくこれだ。

 3年の菅原さんからも学ぶことは多数あった。菅原さんのプレイは丁寧という言葉がよく似合う。
 動作一つとっても丁寧で、サーブの軌道をレセプションに参加しないスパイカーに向けたり、セッター前に落としたりとプレイの一つ一つが丁寧に考えられている。
 選手に対しても丁寧で、モチベーションやテンションを上げさせたり励ましたりというのがとても上手い選手だ。控えの選手からコート上に立つ選手のその時の調子や内心を把握しては、鼓舞し適切な言葉をかけるのが上手だった。
 副主将でありセッターである、という共通点の中で、俺とは違うところを見つけるというのもひとつの勉強であり、その環境を有難く拝受している。

 交流があるのは影山や菅原さんだけではない。もとより木兎さんと黒尾さん(去年までは木葉さんもいた)と森然高校の第3体育館を借りて行っていた自主練習に、この度烏野1年の月島、日向、音駒1年の灰羽が加わった。
 黒尾さんが決めたチームは身長面においてかなりバランスが悪かったのだが、今思えばこれはこれで良かったのかもしれないと6日目にして思う。
 ちなみに、今日の自主練では、木兎さんが日向にフェイントを教えていた。必殺技だとか静と動による揺さぶりだとかええ格好しいに言う我らが大エースだが、この教えが明日自分の、否、俺達の首を絞めないことを願いつつも、やはり後輩に教える木兎さんの姿は輝くものがあった。
 日向も持ち前の素直さで全身から受け止め、時には木兎さんを絶賛しながら双眸を輝かせていた。

 なんだかんだ言って、このメンバーでの練習は楽しい。それこそ時間を忘れてしまうほどには。白福さんと雀田さんが呼びに来てくれなければ、俺たちは仲良く晩御飯抜きになるところだった。(ちなみに似たようなことを一昨日もやっている)
 俺としてはそれだけは避けたいところ。
 今は6人で急いで食堂へと駆け抜け、予め用意されていたバイキング方式に置かれている多数の夕食を各自で盛り付けた。更に、こちらも遅くまで練習していたのであろう影山と烏野1年マネージャーも加わり、仲良くテーブルを囲んでいた。



「黒尾ぉ、知ってる〜?」
「知らないだろうけど興味無いので大丈夫デース」
「なんでだよ!」

 どうして食事の時でさえも静かにできないのか。フライを箸でつかみ咀嚼していた木兎さんは、急にドヤ顔を決め込むと、隣に座って同じようにフライを食していた黒尾さんに絡んだ。
 しかしながら、さすが黒尾さんと言うべきか、肩に回された腕を気にすることなく木兎さんを軽くあしらっている。
 目敏さにおいては一級品の人なので、聞く前から木兎さんの話がどうせくだらないことだろうと踏んでいるだろうし、俺も同意なので大人しく味噌汁を啜った。

 ただ、そこはやはり木兎さんだ。黒尾さんにあしらわれても一瞬地団駄を踏むだけで、すぐにケロリと表情を変え、なんてことないように続けた。
 ただ、このまま黒尾さんと2人だけで盛り上がってくくれればいいものを、何故か木兎さんが、黒尾さんに絡みつつも俺をチラチラと見ている。これはなにかよからぬ事が起きるような気さえもしたが、巻き込まれないように我関せずとひたすらに白米を眺めた、はずだった――

「実は赤葦に彼女がいんだよ」
「まじかよ」

 ――木兎さんの口からとんでもない言葉が発せられるまでは。しかもなんで黒尾さんは食いつくんだよ。

 先程まで熱心にフライを食べていた黒尾さんが瞠目し、すぐさま口元をにまりと緩める。へぇ、赤葦クン彼女いたの、お盛んだねぇ。だなんて、まるで集まり時に下世話なことを言う親戚のようだ。こんな親戚は嫌です。

「俺聞いてないけど」
「彼女はいませんし、そもそも黒尾さんに言う必要はありませんよね」
「いないのかよ。おい木兎」
「え、あの子彼女じゃねぇの? だってこの前廊下であの子とちゅーしてたじゃん」
「なんで知ってんすか」
「やっぱりいんのかよ」
「だから彼女じゃないですって」
「どっちだよ」

 他校の1年、しかも女子がいる中でこういう話は控えて欲しい。木兎さんの暴露のせいで、灰羽と烏野マネの谷地さんは顔を真っ赤にしているし、月島もどこか気まずそうだ。日向と影山は首を傾げているので、理解しているのか定かではないのが救い。

「おい木兎、彼女じゃないってよ。赤葦のそっくりさんでも見たんじゃねーの?」
「えぇ……。あ! 彼女じゃねぇ! そうだ! 彼女じゃなかった!」
「だからどっちだよって」
「木兎さん、言わなくていいですからね」

 んん、と思案していた木兎さんが、ポンっと手のひらを叩いた。まずい、これは本当に面倒なことになってきた。

「あの子、赤葦の幼馴染ちゃんだった!」
「はぁ? どういうこと?」

 正解、大正解なんだけど……。俺の抵抗なんて端から聞こえていない木兎さんは、その大きな声で俺の大切な人の話をする。
 訳が分からないと言う黒尾さんは、先程までの無関心をどこかへと吹き飛ばし、木兎さんの言葉に耳を傾けていた。できれば無関心でいて欲しかった。

「あかーしにな? 超可愛い幼馴染ちゃんがいるんだよ」
「へえ。でもさっきキスしてたって言わなかったか?」
「いやー、それがな? 俺この前見ちゃったんだけど! その幼馴染ちゃんと赤葦が2年の廊下でちゅーしてたんだよなあ。たしかに初めてその幼馴染ちゃん見た時も抱き合ってたし!」
「ちょっと」
「なにそれどういうこと」

 木兎さんの口は止まらず、見かけたらしい俺と名前のやり取りを赤裸々に紡ぐ。黒尾さんを始めとした「本当に幼馴染?」という複数の視線が俺へと向けられるが、木兎さんの言うことは事実であり、俺たちは幼馴染なのだ。廊下でキスしていたことも、名前が可愛いことも、幼馴染なことも、全てが真実。

「写メないの?」
「ありませんよ」
「待ち受けにしてんじゃん!」
「木兎さん」
「あ! そう言えば俺幼馴染ちゃんの写真ある!」
「なんで持ってんすか」

 慣れた手つきでスマホの画面をスライドし、意気揚々としている黒尾さんへと見せた画像には、たしかに俺と名前が手を繋いでいる姿が写っていた。明らかな盗撮だが、しっかりと名前の顔も写っている。ミミズクめ、いつの間に。

「なにこの子超可愛い」
「だろ?」
「俺の携帯にも送って」

 だからなんで木兎さんがドヤ顔するんですか。えっへん、と屈強なる胸筋を膨らませた先輩に頭を抱えてしまう。そして黒尾さんは携帯をパカパカと開閉してアピールしないでください。

「赤葦詳しく」

 こうなってしまえば、もう逃れる術はない。ならばさっさと話して開放された方がいい。名前と電話する時間が減ってしまうのはいただけない。

「たしかに木兎さんの言う通り幼馴染です。ただ、プランなんです」
「プラン?」
「今は幼馴染期間を満喫して、高校卒業と同時に恋人に、大学卒業と同時に婚約者になって、落ち着いたら夫婦となる……そういうプランです」
「へ、へえ……」

 黒尾さんの顔が引き攣るが、このプランに嘘はない。名前とは色々な関係を体験し築きたいという欲は昔から変わることが無いのだから。むしろ、時が経つにつれてどんどん膨らんでいく。

「でも幼馴染って線引きしちゃっていいのかね」

 携帯をしまい、代わりに白米に箸をつけた黒尾さんが何かを思案しながらそんな事を言った。その表情からはさっきまでのいやらしい笑みは消え真剣なものとなり、思わず身構えてしまう。この人は時折、明確に核心を突いてくる。

「そのプランっつーの? それ幼馴染ちゃん知ってんの?」
「いや、言ってませんけど」
「じゃあ幼馴染ちゃんが彼氏作っちゃう可能性も十分あるし、こんなにも可愛い子だったら告られてそのままってこともあるんじゃねえの?」

 まるで鈍器で殴られたような感覚だった。別に名前にこのプランを話したことは無かったが、それには深い意味は無かった。それに名前はたしかにモテるが、そこはきっちりと牽制してきたつもりだ。

「牽制してますよ」

 なのに。なんとも情けない声。

「男って単純だからさ。いくら木兎が発見してしまうほど学校でスキンシップをして見せつけたって、お前が周りに牽制したって、効かない奴はいるだろうし」
「……」

 喉を詰まらせた訳でもないのに急に狭まった呼吸器系に、俺はごくりと喉を鳴らした。
 名前に彼氏ができるかもしれない、たしかにそうだ。どうして俺はそこに気づけなかったのか。名前が可愛いことなんて俺が一番わかっているはずなのに。告白だって受けていることはよく分かっていたはずなのに。名前は絶対俺から離れないという過信はどこから生まれたのか。
 告白されていることを分かっていて、でも名前に手を出す奴や名前が揺らぐような奴はいないだろうという思考の矛盾。しかし、幼馴染というのは、それ以上でもそれ以下でもないただの幼馴染だ。仮に名前に彼氏ができたとして、今の俺がなにかを言える権利はない。どうしてそんなことに気づけなかったのか。

「逆によ? その幼馴染ちゃんが赤葦のことを好きだったとして、明確な未来すらも教えて貰えず、でもお前は幼馴染だよって言われるのってもしかしたら傷つける行為かもな……」
「……そう、ですかね」

 黒尾さんの言葉が心臓に突き刺さって、酷く痛かった。話を持ち出した木兎さんと、大人しく俺たちのやり取りを聞いていた灰羽や烏野1年たちが、困った顔を浮かべるのが申し訳なかった。
 それらを誤魔化すように口に掻き込んだ白米が、何故か酷く苦かった。

幼馴染ちゃんと不明瞭。

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