『●さんちのイーブイさん』 ああ、平和な世のはずなのに血腥い噂が絶えない、だけど私には何故か親切な彼にあんなに忠告されていたのに。 ◆◆◆ 彼女のまるでアニメキャラのように伸ばされた漆黒の髪と口許のマスクを見た時、ああこれのせいでオレですら今までわからなかったのだと初めて気がついた。こいつがオレもその場にいた葬式に来ないわけがない。 そいつと初めて会った、言い換えれば認識したのは今や日課となっていた赤音さんの眠る乾家の墓参りのその土地で、その日は生憎の天気にも拘わらずオレと同じか少し下に見えるその女は傘も差さず墓石を前にぼんやり立っていた。 今は夏だ。ウチのイカレ野郎のように一時期季節問わず常に身につけていた顔下半分を覆うマスクに、体調が万全でなくとも尚ここに来るほど親しいということは親戚かオレらのような――今は仲違いしているが――存在だったのかもしれないとアタリをつけた。 祖父母に会いに来ているのでもない限り……。 と、そこまで考えた時、己を見つめる存在に気づいたのだろう横半分しか見えなかった女の顔がこちらを向いた。 当然合う目。 茶目ではないらしく髪と同じ色をした深淵のような――いや、違う。 オレはこの目を知っている。 頭で理解した瞬間、もう動かされることはないと思っていたはずの心臓がドクリと、何故か見てはいけないモノでも見た後のような焦りにも似た跳ね方をしたのがわかった。 こちらを見つめる双眸。 それはけして細いとは言えず、少し下がり気味の眦、髪と瞳の両方と同じ色に縁取られた睫毛もそれこそ瞬きで音がしそうなほどで、色素の薄めだった彼女とその弟と色こそ違えどふいにその二人が思い出された。 ということはやはり、十中八九血縁だろう。 知らなかった。目だけで姉弟を思い起こさせるほど似ている親戚がいたなんて。 泣いていたのだろう。 ぐし、と目許を乱暴に拭ったその娘は軽く頭を下げた。 「ごめんなさい。待ちましたよね」 「――ぇ、」 息を呑んだ。 この、声は。 「誰とも“絶対”ぶつからないようにしてたんですけど……いえ、何でもないです。変なこと言ってすみません。それじゃ……」 「あっ、待て……いや、待ってください!」 「っ……!」 普通なら「時間が被ったところでそこまで問題あるか?」「泣き顔を見られたくねぇとか?(まぁそりゃそうだろうけど)」、今にも背を向けて走っていきそうな小柄な体躯を首を傾げて見送っていた事だろう。 けれどまるで後ろめたいことでもあるのかいやそうだろうオレが聞き間違えるワケねぇ、逃げるようにその場を去ろうとした彼女をオレはあろうことか初対面しかも乾家の血筋(かもしれない)の彼女の手首を掴み引き止めてしまっていた。 何故か今を逃したら二度と会えない気がしたからだ。 赤音さん以外の女と、金絡みならともかく私的に会う必要なんてないはずなのに。 オレの、他人のそんな反応は初めてではないのかもしれない。 観念したようにうなだれた彼女は初対面の男に無遠慮に掴まれている手を払うこともなく俯いた。 オレは久しぶりに女相手に慌てた。 「って、すいません! いきなり手ぇ掴んじまって、」 「あ、いえ……」 「あの。初対面で失礼ですけど、その……」 逃げる様子を見せない彼女に謝りつつ手を離す。そして口ではそう言いながらも訊かずにはおれない“それ”について言い募ろうと言葉を濁すと、彼女は痛がるそぶりをするでもなく目を伏せた。 「……いえ、大丈夫です。彼女を知る人は皆そう言いますから。 ――私の、声。違いますか?」 「えっと、……はい」 「やっぱり。だから、彼女――赤音ちゃんの知り合いだよねって人の前では相手のためにもあんまり話さないよう青くん……じゃなくて、友達にも言われてたのに……」 せいくん……青……もしかしなくてもイヌピーか? 言葉ずくなに去ろうとした理由は、本人も言うように赤音さんを思い出させてしまうと彼女もよくわかっていたからだろう。 何せ目許どころか声までよく似ているのだ。電話で話されたら一瞬オレでも騙されるかと思ったし、オレを含めここにいる以上当然だろうが悲しみに暮れる様子を抜きにすればいつまで経っても色褪せることはない赤音さんの姿ばかりが何故か浮かんできて――そしてそれは咄嗟に手を伸ばしてしまう程で。 時間も被らないようにしていたらしいのもこういった所からだろう。 今を逃せば二度と会えないと感じたのもきっと嘘じゃない。 「昔からよく言われてたんです。私、私達からしたら自分の声だからお互いよくわかってなかったけど……皆にね、『声までそっくりだね』って」 「声“まで”……? え、それ、って……、」 オレの疑問に接ぐ答えではなかったが、彼女の正体はすぐに判明した。 「私、赤音ちゃん達の従妹なんです。乾名前っていいます。お兄さんは?」 「オレは……いえ。僕は九井一、です」 なんとなく彼女……名前の前で今ではすっかり染まりきったガラの悪さを出す気にはなれず、まるで赤音さんと出会ったばかりの頃のようなお行儀のいい返事で応えると、名前はハッとして口を抑えた。 そして囁くようになぞられたそれに、オレはいよいよ頭を殴られた気分だった。 「あなたが、はじめくん……?」 「――ッ」 従妹とはいえこんなに似るもの、なのか。 「ぁ……ご、ごめんなさい。赤音ちゃんから、その、聞いてたから……」 固まったオレに名前は慌てて手を振って再び頭を垂れた。まさかオレに数割とはいえ赤音さん似と思しきそれもイヌピーのように男ならまだしも女である名前を怒れるはずもなく気にしていないことを伝え顔を上げるよう言い、いつの間にかオレが超してしまっていた生前の赤音さんと同じくらいの背丈に見える女の子を見下ろしていた。 どうやら名前は色々と知っているらしい。 あの日――想いを告げてから赤音さんが動いていられた時間は短すぎて、けれどもその“最後の”時にすぐさま伝える程に赤音さんと名前は、従妹でもどちらかというと友人に近い関係だったようだ。 イヌピーもイヌピーだ。こんな存在がいるならせめて一言あっても良くね? と思ったが、会ったこともねぇのに親戚のことなんて率先して話すもんでもねぇかと思い直した。 つか赤音さん、従妹いたんだな。……いやいるだろうが、いとこすらもう何年も会ってないという人間も多い現代で浅くない交流があったようで、何より、 こんな目と声の似た。 雨音以外音の途絶えた空間を破ったのはここにいるオレら二人のどちらでもなかった。 |