その調子のまま前の席に座りだしたロックマン少年に、私は視線を泳がせる。彼は手にしていた本を開いて読み始めているが、私がすぐに立ち去ったら避けられたと思われそうでなかなか動けない。別にそう思われても良いが、いや私だったら気にしてしまうだろうし。なるべくなら自然に立ち去りたい。
「先生は、トレイズのことで何か知っていることありますか?」
「え?」
「? 何か気づいていたんじゃ?」
おもむろに本から顔をあげて私へそう質問したロックマン少年に、瞬きをして返す。
「……」
「……」
そのままお互いに見合って固まる。
トレイズのことって、トレイズは一人しかいないからあのトレイズで間違いはないのだろうが、気づくって何に気づいてると思われたのだろうか。というか何でそんなこと聞いてくるんだ。もしかして私達の正体見破られたりないよね。そうだよね。
今この状態でトレイズを名指しするなんて察しがいいを通り越して怖すぎる。
いいやしかし少年時代のロックマンに恐れをなすなど言語道断である。こいつはただのロックマンだ、何者でもない。
何もかも見透かしているような赤い瞳から目を逸らしたくなるけれど、こんなところで怯んでいてはいけないと何も知らないフリをして、気づくってなんのことかと聞き返した。
……ああどうしよう、またしてもロックマン相手に嘘をついてしまった。(子どもだけど)
状況が状況だから仕方ないのだが、この調子だと元の時代に戻ってもまともにロックマンの顔を見られる気がしない。
「肌に感じることがあるんです。魔物とか、そういうものが近づくと鳥肌が立つように。トレイズは何か呪いにでもかけられていそうな…大袈裟ですけど魔物に近いようなものが憑いているのかなと思って」
隣に座ったトレイズのことを思い出しているのか、ロックマン少年は私から視線を外して宙を仰いでいた。
魔物扱いされてしまっているトレイズを嘆きつつ、それは勘違いではないのか言うと、そうでしょうかと首を捻って本へと視線を戻した。
彼女とは何回かパーティーで会ったことがあるようで、そこで受けた印象と随分かけ離れた雰囲気になっていたとのことだった。パーティーで交わした過去の会話内容も覚えていないようで、何か変だと思ったらしい。またトレイズが教室へ入ってきて階段を上がる際、私が彼女を見つめすぎて変な表情になっていたから何か知っているのではと思ったらしい。
「僕の気のせいかもしれません。変なことを言ってしまい失礼しました」
「いや……変じゃない、けど」
「?」
ロックマン少年の言うことを考えてみる。あのトレイズが未来のトレイズの人格を持っているとしたら、変身魔法で幼く変化しているか、意識に取り憑いているかのどちらかになる。
前者の方だとしたら変身魔法がよほど得意でないかぎり、10分経つ前に魔法が解けてしまう人のほうが多い。得意で一日中変身したままで大丈夫な人もいるけれど、途中で解けてしまうこともかなりある。長く先入するつもりなのだとしたら危ない方法には違いない。見た目を変える魔法ならまだしも、身長も思いきり変えるとなれば身体にも負担となる。それにこの時代のトレイズをどうするのか、隠すのか、面倒なことが山程発生するに違いない。
そこで先程のロックマン少年の発言を参考にしてみるとやはり、憑いている、という考えのほうが有力……確実なのではと思い始めた。
急いで図書室の本棚、奥から三番目に並ぶ心理の棚の方まで行き憑依に関しての本を探す。「雷の血」という魔法型専門書も先程見つけたので、それも脇に抱える。憑依は雷型が得意とする魔法でもあり、トレイズも確か雷型だった。
「ナナ、あっ、ええとナートリー先生、こんなところにいたのね」
後ろから肩を叩かれたので振り向くと、ベンジャミンが教材を1冊抱えて立っていた。彼女は腰まで伸びている長い赤髪を1つに結んで後ろへ流している。
「ちょうど良かった。殿下ってどこにいるかな?」
「今職員室で教材を運んでるわよ。ふふ、一国の王子様が職員室で雑用なんて面白いわよね」
両耳につけた大きな緑石の耳飾りを揺らすと、ベンジャミンは首を傾けた。
図書室に小さい私やロックマン少年がいることに気がついているベンジャミンは、小さな声で茶目っ気たっぷりに笑う。
「殿下に聞きたいこと?」
「うん」
声を静めて、図書室からそっと出た私達は早歩きで職員室へと向かった。
「ロックマンが、あ、ロックマンって言ってもあそこにいたロックマンがね」
「やぁね、わかってるわよ」
「トレイズが変って言うから、やっぱりって思って」
「? ちょっとまって? 何よ、なんか教室であったの?」
そうだ、まだトレイズがトレイズだと話していなかった。
ベンジャミンについ小一時間前教室でトレイズから言われたことを伝えれば、顔をしかめて何よそれと驚いたのち怒り顔になった。そんな幼くなってまで変えたい未来なら最初からもっと努力なりなんなりしなさいよ! と廊下を歩く音がダンッダンッと激しくなっている。とりあえず落ち着け友よと手をひけば、ベンジャミンは息を大きく吐いて私と向き合った。深い海のような青い瞳がゆっくりと瞬く。
「トレイズが憑いているにしろ変化(へんげ)しているにしろ、目的は変わらないわよ。憑いてるなら引き剥がして、変化してるなら連れ帰る」
「うん」
「まず殿下に、……ああこっち! こっちです!」
ベンジャミンが私の背後に向かって手を振る。
足音に振り返れば、騎士服でもなく軍服姿でもない普通の平民服を着たゼノン王子が、ベンジャミンと同じく教材を片手にこちらへと歩いてくる。ちょうど呼びに行こうと思ってたんですよと彼女が言えば、何か分かったことがあるのかと真剣な表情で廊下の窓際へと寄った。
ロックマン少年が言っていたことと教室での出来事を話す私に、ゼノン王子は顎に手を当て目を閉じる。
「あいつがそんなことを言っていたのか」
「昔からそうなんですか?」
ベンジャミンは王子にそう言って図書室の方角へ視線をむけた。
「ああ……まぁな。そういうものに敏感らしい。魔物の気配に関しては特になんだが、肌が粟立つんだそうだ」
「体質とかですか?」
「魔力過多のせいなのかは不明だが、関係なくはないんだろう。だから余計にかもしれないが、ヒューイ伯爵の件があいつの中では相当堪えていたみたいなんだ」
私はロックマンについて、知らないことが多いみたいだ。