センチメンタル・エゴイズム

 今さら改まって普通の恋人のように渡すことなどできないのは他人に指摘されるまでもなくわかっている。きっと彼は私がわざわざチョコレートを用意しているだなんて毛ほども期待していないだろうし、渡したところで喜ぶとも思えない。結構高かったから、とでも言って押しつけて逃げてしまおうか。いや、手作りのチョコレートにその言い訳はできない。今どき手作りというのも、いかにも「本気」みたいなかんじがする。やっぱりやめようかと考えた脳内を見透かしたかのように、大阪は「渡さんとあかんで」と釘をさしてきた。

「せっかく作ったんやから」
「別に…暇やったから作っただけやし」
「去年もそう言ってたやん」

 それで結局渡さんと終わったし、と呆れたようにため息をつかれた。確かに彼女が言う通り、私は去年広島にチョコレートをあげていない。去年だけでなく、今まで一度も。周りはそれを聞くとああやっぱり、と言いたげな顔をする。だって、と言い訳をするのは見苦しいだろうか。
 ただ何気なくチョコレートを渡すだけのことがこんなに難しいだなんて、今まで思ったこともなかった。いらないと言われるのが怖い、とか、馬鹿馬鹿しいけど仕方ないのだ。

「普通に『はい』って渡せば済むんちゃうの」
「……そう?」
「そうそう。うちも手伝ったるから」
「ええよ、そんな…」

 これは私の問題であって、大阪を巻き込むわけにはいかない。それに、友人を介さないと渡せない意気地無しのように見られたくない。つまらない意地を張っていること以上に見苦しいことなんてそうそうないと、わかっているけど。

「いい加減素直になりいや。付き合ってるんやから別に遠慮する必要なんて全然ないんやし」
「遠慮、なあ……」

 なるほどそう言われてみると、私と広島の関係は恋人にしては奇妙に見えるのかもしれない。他人の前では恋人らしいことはしないし、のろけたりもしない。だから本当に付き合っているのかと疑われたり、「別れたん?」と聞かれることさえある。

「広島やって、もっと素直になってほしいって思ってるんちゃう?」
「それは絶対ないわ」

 むしろもっと大人しくしていろとでも思っているに決まっている。実際ため息交じりにそう言われたこともあるから。それでも付き合っているこのギリギリの状態は綱渡りのように常に不安定で、いつ向こうから別れ話を切り出されてもおかしくないものだ。それが明日であろうが百年後であろうが、「あり得る」のだと思ってしまえばひどく心が沈む。可能性を否定する材料があまりに少なすぎるせいで。

「ちゃんと渡さんかったら来年までずーっと催促するで」
「なんなんそれ。そこまでされんでも……」
「渡せる?」
「…………多分」
「声ちっちゃ!」

 ただでさえ他人がいる前で話をすることなんてほとんどないのに、バレンタインデーのチョコを渡すなんて、正直上手くできる自信はない。いつも通り、普通に、と意識すればするほど鼓動が早くなって、膝に乗せたままの紙袋を放り出したくなる。
 広島が来たら、まず何て言えばいい? 
 「久しぶり」? 先週会ったばかりなのに。
 「暇やったから作ってみてん」? 嘘、一週間前から練習してた。
 やっぱり何を言っても演技くさく聞こえるように思える。断ってしまったけれど、大阪に手伝ってもらう方が良かった気がしてきた。入口の方をじっと見ていても、まだ彼が来る気配はない。何度も足を組み直して、意味もなくネイルを眺める。
 本当は、ごちゃごちゃ考える必要なんてこれっぽっちもないはずなのに。笑顔でただ一言、「今日バレンタインデーやから」。言えれば、いいのに。

「…うべ、神戸っ!」

 思考の海に身を任せていた最中、小声ながら必死で私を呼ぶ声が聞こえて、ふと我に返った。周りを見れば、隣には心配そうな顔をした大阪がこちらを見ていた。机を指でとんとんと叩く仕草からは焦っている様子が見て取れる。

「な、何?」
「来たで」

 顔を上げれば、ついさっきまで考えていた彼の姿が見えた。早く立ち上がらないと。声をかけないと。ずっと膝の上に置いていた、私と大阪以外誰も存在を知らないこの紙袋を渡さないと。焦れば焦るほど体は動かなくなる。このまま去年と同じことになってしまうんだろうか。他の女性からチョコレートを受け取っている広島を見て、自分が作ったチョコレートは紙袋ごとゴミ箱に捨てて、全部なかったことにしてまた次の一年を待って。

「神戸……」
「…ごめん、やっぱり……」

 無理やわ、と言う前に大阪は私の紙袋を掴んで、「もう我慢できへん」と一言呟いた。「何が?」と聞く前に綺麗な直線を描いて投げられた紙袋は絶妙のコントロールで彼の頭にぶつかって、すとんと床に着地した。その場にいた全員が呆然とする中で、大阪は「めんどくさいねん!」と叫んだ。

「なんで付き合ってるくせにすっとチョコ渡さへんの!? 大体挨拶くらい真っ先にするのが普通ちゃうん!? 『久しぶりだね、今日の君も綺麗だ…愛してるよ』『私も?』くらい言うんちゃうの!? いちいちいちいち外野気にして何もコミュニケーション取らんでそれで付き合ってるって意味わからんし! バレンタインデーくらい素直にイチャついてくれんとこっちが逆に気遣うわ!!」

 それを聞いていた私と広島については、ぽかんとしていた、という表現が妥当だろう。ぜえぜえと肩で息をしている大阪は今にも泣きそうで、「ちょっと落ち着きいや」と軽いノリで言える空気でもない。どうしよう、とりあえず謝った方がいいだろうか、と悩んでいたら、「なんなんじゃ一体」と困惑したように広島が独り言のように呟いた。その手にはさっき床に落としたはずの紙袋があって。

「……うちのチョコ」
「は?」
「うちが、あんたに、作った…チョコやから、それ」

 いらんとか、頭でも打ったかとか、そういう類のことを言われるに違いないと思っていた。でも彼はしばらく紙袋を見てから、何てことないようにこう言った。

「知っとる」
「……え?」
「今年も捨てるんかと思っとった」
「はあ!? な、なんで捨てたこと知ってるん?」
「普通のゴミ箱にあんな目立つ紙袋あったら誰でも気づくじゃろ」
 呆れたように言いながらも、広島はどこか機嫌良さげに笑っていて。なんなんそれ、悩んどったうちがアホみたいやん――憎まれ口の一つや二ついつもなら言っていたけど、今は何か言おうとすれば泣いてしまうような気がして、何も言えないでただ彼を見ていた。

「ありがとう」

 その言葉を聞いた時は、我慢なんてできずに涙は出てしまったけど。



「…で、会議を始めるタイミングを完全に逃してるわけなんですが……どうします大阪さん」
「今はそっとしたって」
「貸し一つですよ」
「バレンタインやねんからちょっとはまけてくれてもええやん! 東京ももっとバレンタイン満喫するべきやで。うちもチョコ持ってきたし」
「えっ」





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