Quench

 俺のこめかみから伝った汗がぱたりと布団に落ちたとき、神戸はやめようとでも言いたげに首を振った。気を失いかけていることは見て取れる。あと一、二回が限界といったところか。物音一つしない夜中、誰にも邪魔されない寝室で我慢をする理由などない。ここまできたからにはお互い限界までしてしまえばいい。軽く腰を揺すると神戸の身体は軽く痙攣して、涙交じりの声を出して俺を煽る。何度も欲を吐き出した彼女の中は半端な温もりを持って俺を締め付けてきた。まさか俺が神戸の部屋でこんな背徳的なことをしているだなんて、誰も思いもよらないだろうと思うとなんだか笑えてくる。俺も最初からそのつもりで来たわけじゃなかったものの、男と二人きりになっても全くいつもと変わらない様子を見ていると悪戯心が刺激された。

 それにしても、こうして抱いていてもあまり違和感やずれがあまりないのは逆に不自然に思える。その原因はおそらく俺ではなく神戸の方にあって、要するにこの女は「慣れている」。それが気に入らないと言えるほど嫉妬心があるわけではない。相手が誰なのか勘ぐっているわけでもない。ただ単純に不快に思う。つまらない芝居を見せられているような気分になる。本当は嫌でもないくせに嫌がるそぶりをする演技が気に入らなかった。でも、そんな余裕さえ既になくなってしまったようで、神戸は俺の動きに抗うでもなくなすがままになっている。枕元で着信を知らせる携帯のバイブレーションの音が耳障りで、電源を切っておけば良かったと後悔した。こんな夜中にかけてくる物好きな奴の正体なら大体想像がつく。俺がこうしていることを察しているただ一人の男。神戸のことを妙に気に入っているようで、どうやらそれなりの関係も持っているようだが、俺に思わせぶりに話を振ってくるあたりどこまで本気なのかはよくわからない。でも、感謝はするべきなのかもしれない。感情がともなっていない割には身体の相性は悪くないから。ひくりと痙攣した神戸の中に、何度目なのか自分でもわからないまま精を放った。ふらりとシーツの上に倒れこんだ神戸は俺から顔をそむけた。後ろめたいことをしているという自覚はあったらしい。何度こうして男と寝ようと、神戸が孕むことは一切ない。逆に言えば今のように何も感情が伴わない行為をしても何か起こるわけではない。ただ、意味のないセックスとして終わるだけだ。ただ普通の人間の真似事をしているだけに過ぎない。

「最悪」

 吐き捨てるような神戸のその言葉がどこまで本音なのかは知らない。キスをするときも服を脱がせるときも、大して抵抗していなかったくせによく言う。でも、認めるわけにいかない事情もわからなくもない。神戸の首筋や胸元に残った赤い痕。はっきりと所有印を残すその子供じみたことをする男などそう多くはないだろう。もし神戸が俺や他の男と寝たなんて知れば、あいつはそれこそ神戸をどうするかわかったものではない。別れるくらいで済むならとっくに神戸の方から言い出しているだろう。足や腕など目立たない部分にいくつかみられる痣を見ればおおよそ見当はつく。

「…別れないんか、神奈川と」
「別れてほしいん?」
「そう言ったら別れるんか」
「ううん」

 やっぱり好きだから、と自嘲気味に笑う神戸の表情は見ているだけで痛々しいものだった。行動を縛られ、傷つけられながらそれでも好きだと言える心理は理解に苦しむ。その癖、神奈川に従順というわけでもなく、こうして他の男とセックスに興じることを躊躇わない。矛盾している。

「うちは神奈川の顔も身体も好きやけど、神奈川に縛られるんは嫌やもん」
「ほうか」
「キスとかセックスするだけやったら、別に神奈川やなくてもええし」
「最低じゃな」
「そんな最低の女抱いて何度も射精しとったあんたに言われたないんやけど。好きでもない女とセックスして楽しいん?」
「…………」
「ま、好きとか言われても困るからええよ別に。それで」

 悪戯っぽく微笑んで神戸は俺の首に腕を回して抱きついてきた。舌を絡ませ合って深くキスを味わう。もう互いの癖もタイミングも把握しきっているから楽なものだ。きっと、他の男とも同じようなことを繰り返したのだろう。神戸は一度も拙さを見せることはなかった。神奈川が神戸を束縛する気持ちに同調はできないものの、この女をどうしようもなく傷つけたくなる気持ちはわからなくもない。自分に男が寄ってくることを当然だと思い、一人の男だけを愛するなんてバカらしいと思っている――その浅はかさに、普通の男なら苛立つだろうから。

『あれが神戸のいいところなんじゃねえの』

 そう言いきるような男の方が稀だ。千葉は本気で神奈川と神戸を別れさせようなんて思っていないらしく、二人の様子をむしろ楽しそうに傍観している。全く、救いようのない話。愛の形は人それぞれだなんて言う奴もいるが、ここまで歪んだ愛を貫く奴らはなかなかいないだろう。息が切れかけるまで執拗にし続けた口づけは、普通の恋人同士がするような優しく温かいものでは決してない。神奈川も千葉も、同じようなキスをしただろうか。その時、今の俺と同じように奇妙な感覚に囚われただろうか。好きではない。愛しているわけではない。それが前提のこの行為が、永遠に続けばいいと思ってしまっている。

「…うちのことは嫌いでも、うちとセックスするんは好きなんやろ?」

 言わなくてもわかっているだろうと思ったから、返事はしなかった。汗をかいたせいで肌にひっついている神戸の髪の毛を手で梳くと、シャンプーの甘い匂いが鼻先をくすぐる。黙って俺を見つめる神戸の視線は、次の行動を急かしていた。もっと、と。欲張りな女。どこまで行けば、「もういい」という言葉が聞けるのかはわからない。でも、そのふざけた強欲さに付き合うのも悪くはない。そう思ってしまっている自分の愚かさを自嘲しながらも、火照って熱いままの細い肩を抱き寄せた。




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