Fever

 神戸とそういうことになるなんて思ってもいなかった。ただ高飛車で、我が儘で、扱いにくい女としか思わなかったし、何か特別な関係があるわけでもない。たまに近畿の面々と会うときに顔を合わせるくらいだった。個人的に会ったことは、本当に一度もなかったかもしれない。それなのに、なぜかあの日は違った。あの日だけは、彼女と二人きりになるはめになってしまったのだった。


 覚えている限りでは、たしか地域ぐるみで飲んでいたはずだ。最初に岡山が明日の会議があるからと言って帰って、それから三重が同じ理由で帰ったと思う。
 二人が帰ってしまったこともあって、少し会話が途切れがちになった。話題も無限にあるわけじゃない。
 退屈したらしい大阪と和歌山が帰ると言い、二人を引き止める滋賀を見て、山口が「帰った方がええっちゃ」と言った。多分、大阪と和歌山が楽しくないなら帰るべきだと言いたかったんだろう。言い方が言い方だっただけに、二人は山口が二人に帰ってほしいのかと勘違いをしてしまったらしく、紆余曲折の末飲み比べが始まっていた。それを傍観していたら、「なあ」と神戸に小さく声をかけられた。

「何じゃ」
「帰らんの?」
「別に」

 明日用事があるわけでもないし、今帰ったところで逆に退屈なだけだろうから、どうせなら山口たちの飲み比べを見届けるつもりだった。でも、それを素直に神戸に言うのはなんだか癪だ。

「ふーん」

 何か絡んでくるのかと思ったら、神戸はそれ以上何も言わなかった。ぼうっとしながら大阪たちの様子を眺めながら日本酒を飲んでいた。

「お前は、もう帰るんか」
「さあ」

 からかっているのかと思って何か言い返そうとした時、神戸の顔がやけに赤いことに気づいた。どうやら自分で飲める酒の分量も忘れてしまったらしい。

「飲みすぎじゃ、それ以上はやめとけ」

 まだ飲もうとする神戸の手をつかんで止めると、「うっさい」と抵抗された。でも、その力もあまり強くない。本人は本気だったらしく、自分でショックを受けて涙目になっていた。どう見ても阿呆だ。

「もう帰った方がええ」
「嫌」
「あのな…」

 播磨か但馬あたりを呼んで連れ帰ってもらった方がいいかもしれないと思ったものの、そういえばあの二人は今日ここにいなかった。何か大事な商談があるからとか言っていたような気がする。サラリーマンかお前らはと突っ込みたいのをぐっとこらえた記憶があるから。丹波は神戸と同じく酔っ払っている京都の介抱に忙しいようだし、淡路に押し付けるわけにもいかない。けれどこのまま放っておくのも何だかもやもやする。

「島根、わしは神戸送ってから帰るけん、後頼んだ」
「……わかった」

 小さく頷いて、島根は音をたてないようにそっと扉を開けておいてくれた。


***


 幸いにも山口たちの飲み比べに注目が集まっていたから、こっそり抜けること自体は簡単だった。エレベーターで一階に下りて、建物を出る。少しだけあった段差につまずいて、こけそうになった神戸を思わず支えた。

「…大丈夫か?」
「ん」

 何も大したことはない、といったふうに神戸は頷いたものの、ふらついた足どりは見ているだけで危なっかしい。

「タクシー拾うか」

 神戸の返事を待たずに右手を挙げてタクシーを止めた。「どこまでですか」と聞かれて、一瞬言葉に詰まる。今日の飲み会は大阪だった。神戸の家に送って行こうとすればできる。ただ、今の酒に酔った神戸がそこまで車内で耐えられるかがわからない。それだったら、俺や山口たちが泊まる予定だったホテルの方が近い。酔いがある程度抜けるまでだったら、一人くらい増えたところで構わない。どうせ一人一部屋ずつ取ってあるのだから。

「…そこの信号曲がって三つ目の角曲がったとこにあるホテルで下ろしてくれ」
「はい」

 神戸は眠いのか、少しうつらうつらしていた。時折窓に頭をぶつけて、痛そうに頭を抱えている様子が痛々しい。仕方なく彼女の体を引き寄せて俺の方に寄りかからせた。

「…優しいやん……」
「今だけじゃ」

 酔っていなかったら素直に従わないだろうに、神戸は特に何も言わず目を閉じた。

「彼女さん、大丈夫ですかね?」

 親切な運転手は神戸の心配をしていた。それは構わないが、神戸のことを俺の彼女だとする誤解は、訂正しておきたい。

「あの、こいつは彼女じゃなくて、」
「そんな必死で否定せんでもいいでしょ。それに、彼女じゃない女の子をちゃんと介抱するあんたはええ男ですね」
「…………」

 そうあっけらかんと笑われたら、こっちの立場がない。居心地が悪くなって黙っていたら、あっという間にホテルに着いた。

「はい、着きましたよ」
「すまん、釣りはとっといてくれ」

 タクシーを出る時、運転手が「頑張ってくださいね」と俺に微笑んだ。なんのことだかわからなかったが、とりあえず「はあ」と曖昧に頷いておいた。軽く神戸の肩を叩くと、「何、もう着いたん…?」とびっくりしていた。

 ホテルの中はそこそこ綺麗だった。廊下をしばらく歩いて突き当たりの部屋。受付の男に言われた言葉を脳内で反芻しながら部屋の鍵を取り出す。突き当たりのその部屋の前は、節電のためか少し薄暗くて、鍵を開けるのに少し苦労した。部屋の中はシングルにしては少し広いものの、一人で泊まることを前提にしているのでベッドは一つだったし、ソファが申し訳程度にあるくらいだった。

「ここ、どこなん?」
「飲み会ついでにいろいろ仕事もあるから、二日くらい泊まれるように予約した部屋じゃ」
「ふうん…」

 しばらく神戸は部屋の中をぼんやりながめて、それからふらふらとベッドに近づいた。

「寝てもええ…?」
「断ったって、寝るじゃろ」
「わかってる、やん…」

 躊躇わずに神戸はベッドに寝転がった。さっきまで寝ていたはずなのに、また瞬時に寝ている。風邪でもひかれたら俺の責任になるような予感がしたから、彼女に布団をかけた。

「ん…」

 もぞもぞと動いたから起きたかと思ったら、ただ寝返りをうっただけらしい。

「はあ……」

 何の因果でこうなったのか。確かに、あのまま放ってはおけなかった。でも、それだったら誰かに押し付けることだって、できないこともなかったはずだ。播磨や但馬や丹波が無理でも、電話で誰かに頼むことだって、できた 。それなのにそうせず、神戸をわざわざ自分の部屋に連れ込んだのは相当判断力が落ちていたと言わざるを得ない。馬鹿馬鹿しい。
 俺も、早くシャワーを浴びて寝たい。この部屋のベッドは神戸に占領されているから、ソファーで寝る選択肢しかないけれど。


***


「は―…ついとらんのお」

 ため息をついたところでどうにもならないのはわかっている。とはいえ、どうせ明日になったら神戸の酔いも覚めているだろうし、俺がここまで面倒をみたのは評価されこそすれ、怒られることはないはずだ。
 スーツのジャケットを脱いでハンガーにかけていると、神戸が「…なあ」と俺に話しかけてきた。随分眠りが浅かったらしい。

「何」
「……ごめん、迷惑かけて」

 案外素直な言葉に驚いた。彼女が誰かに謝るところなんて、見たことがなかったから。

「別に構わん」
「…ごめん」

 泣きそうな顔をして言われると、何も悪くないこっちが悪いような気がしてしまう。謝ってばかりの神戸を見るのも久しぶりだ。「兵庫」としてまとめられた時あたりは、ずっと泣きそうな顔をして謝っていたように思う。誰も聞いていなくても、ごめんなさいと呪文のように唱え続けて。謝ったって事態が何も解決しないということを悟ってからは、神戸は人が変わったように傲慢になった。
 本当のところはどうなのか知らないし、知りたいとも思わない。今も何も変わっていないのかもしれないし、それを隠すために表面だけ傲慢でいるのかもしれない。いや、おそらくそこまで計算してはいないと思う。酔って昔のような態度を取るのは、なにも珍しいことではないのだから。

「謝らんでええ」
「でも…」
「わしがええ、って言ってるんじゃ」

 神戸はそれを聞いてから、謝るのをやめた。かと思えば突然ベッドから下りて、「帰るわ」と言った。適当に脱いでいたヒールを履いてベッドに放り投げていたバッグを抱えて扉に向かおうとしたものの、やはり酔いが覚めていないせいかふらついて、壁に手をついた。

「無理じゃろ。そんなふらふらしとって」
「タクシーで帰る」
「車内で吐いたらどうするんじゃ」
「……なら、誰か呼ぶ」

 神戸が壁に寄りかかりながら出した携帯を、なぜか俺は咄嗟に取ってしまった。

「……え?」

 わけがわからない、と言いたげな神戸に、俺もわけがわからないと言いたかった。何を必死で神戸を引き止めようとしているんだか。理性は携帯を神戸に返せと言っているのに、体は素直に言うことを聞かない。

「誰にかけるつもりじゃ?」

 違う、別にそんなことは聞きたくない。聞いたって、意味のないことだから。

「…播磨とかは出張やし、丹波にかけるつもりやけど?」
「丹波は京都の介抱に忙しいじゃろ」
「……それやったら、滋賀に…」
「滋賀は大阪と和歌山の介抱しとる」

 俺は無意識のうちに、神戸が「しゃあないわ、泊めて」と言ってくるのを期待していたんだと思う。そんな俺の期待とは裏腹に、神戸はその言葉を言わなかった。

「…うちが帰ったらなんか都合の悪いことでもあるん?」

 そう思われても仕方ない。けど、違う。都合が悪いんじゃない。単純に、俺が嫌なだけで。

「別に」
「じゃあ、携帯返して」

 怒ったように手をつき出す神戸に、ゆっくり近づいた。息がかかるほど近い距離になったとき、神戸が俺から目をそらした。その手に携帯を返して、俺は自然と笑ってしまった。


***


「何じゃ、携帯返せ言ったんはそっちじゃろ」
「せやけど…近いわ、離れて」

 顔を少し赤くして言う神戸に、悪戯のつもりで耳へ軽く息を吹きかけた。

「ひゃ、ぁっ…」

 予想以上に反応が大きくて、こっちが驚いた。酒のせいかはわからないものの、その声も艶かしい。

「耳弱いんか」
「ちゃう…」

 弱々しく否定する声に理性が飛ばなかった自分を誉めてやりたい。ただ、そろそろ限界だった。

「…なあ、神戸」
「何…」
「キスさせて」

 何か言ってくるかと思ったら、神戸は何も言わずに俺の頬をひっ叩いた。力があまり入らないようで、威力は全くなかったけれど。

「最低…っ」
「わかっとる」

 ふらついた神戸の体を支えつつ、彼女にキスをした。正直、キス自体久しぶりだったせいで加減がわからなかった。したいようにしていたら神戸が息苦しくなったらしく、ようやく終わったときにはぐったりとしていた。

「すまん」
「ほんま…最悪…」
「わしは気持ちよかったけど」
「そんなん、っ…あんたの、勝手、やろ…うちは、っ…」

 息を切らせながら俺を睨み付けてくる神戸を見ていたら、このまま帰したくなくなってきた。

「神戸、重ねてすまん」
「は?」

 きょとんとしている神戸を抱き抱えて、ベッドまで戻った。そっと神戸を下ろすと、「何…?」と不安げな表情で聞かれた。多分、神戸の不安は当たっている。

「明日腰痛くなったら、ちゃんと詫びはするけぇ」

 一瞬意味がわからず硬直する神戸に二度目のキスをした。俺の息か、彼女の息か、とにかく酒のにおいがする。いつもなら気持ち悪いと思うのに、今日はさほど気にならない。彼女のブラウスのボタンを外して、それからふと手を止めた。

「…何?」
「あ―…その、やっぱりスカートだけでええ」

 俺が気遣ったことの内容がわかったのか、神戸は「うっさいわ!」と言いつつ真っ赤になった。

「別にないんじゃったらないでええけど」
「……っ最っ低!デリカシーとかないん!?」

 今の今まであれだけ面倒をみたのに、それでも俺はデリカシーがないことになるらしい。

「は―…それに、このスカート脱がせにくいんじゃ。さっきからホックがどこなんか全然わからん」

 スカートの丈が長いせいで、構造自体わかりづらい。いっそ神戸が自分で脱いでくれた方が楽でいい。

「なあ」
「嫌」
「スカートを」
「嫌」

 にべもない。まあ、最初から神戸は帰りたがっていたのだし、それも仕方ないといえば仕方ないことではある。

「…それより、さっきからなんかうちの太股に当たってるんやけど」

 神戸が指摘してきたとき、自分でもわかっていた。わからないわけがない。だからこそ、早く熱を出したかった。

「お前がスカート脱いでくれれば解決するんじゃ」
「ふ―ん?」

 じろじろと俺の股間を見て、神戸は「脱いで」と俺に言った。

「はあ?」
「うちが先にスカート脱ぐんは嫌やし、もう限界なんやろ?はよ脱ぎいや」
「あのな…」
「そっちが脱ぐなら、うちも脱いでもええよ」

 俺に選択権はないようだ。仕方なく脱ぐと、神戸はベッドから少し起き上がって俺に近寄ってきた。

「何じゃ」
「ん―、ちょっと足広げてくれへん?」
「は…!?」
「早く」

 渋々少しだけ広げると、すかさずその間に神戸が滑り込んできた。何となく神戸の考えていることがわかって、焦る。神戸を引き離そうとしても、足を抑えられているせいでできなかった。かろうじて最後の砦として残っていた下着を下ろされて、直接触れられる。冷たい彼女の手の温度に、本能で反応を返しそうになった。

「ちょ、やめ…」
「何言ってるん、さっきまでうちのこと散々弄んでくれたくせに」

 そう言うなり、神戸は躊躇いなく俺自身を口に入れた。

「こう、べ…やめ、っ」
「嫌」

 神戸に自覚があるのかどうかは知らないけれど、それはかなり上手い方だった。今までかなりギリギリのところで耐えていたこともあり、かなりあっさり達してしまった。

「……何、考えとんじゃ…」

 息も絶え絶えに聞くと、俺の出したもので少し顔を汚した神戸が、頬を手でこすりながら言った。

「ん。だって、公平ちゃうやん、うちばっかりされるんも」
「…で、スカート脱ぐ約束は」
「言われんでもちゃんと覚えてるわ」

 あれだけ俺が脱がせるのに苦労したスカートをするりと脱いで、神戸は再びベッドに倒れこんだ。

「で、まだするん?」
「当たり前じゃ。このまま終われるか」

 彼女の下着に指を入れると、少し触っただけでわかるくらいに濡れていた。限界ギリギリだったのは神戸も同じらしい。

「あれだけ嫌がっとって、結局これか」
「っん、ぁ……っ」

 神戸と同じやり方でしても良かったものの、どうせならその瞬間を共有する方がいい。彼女の下着を下げて、また熱を持ち始めていた俺自身をあてがう。

「や、あぁっ、…」
「っつ…もう少し力抜いてくれんか…」
「そん、なっ…むり、っ」

 神戸は駄々をこねる子供のように首を振って、少し俺から逃れるように身をよじった。でも、今さらやめるわけにもいかない。

「神戸…」

 最後のつもりでしたキスは、今までの二回よりも苦くて、一番苦しかった。全身から力を抜いた神戸の咥内に舌を入れて、何度も何度も熱を求めた。





「……おはようさん」

 目が覚めたとき、神戸はもう服を着ていた。

「…腰、大丈夫か?」
「大丈夫やったら、あんたが起きるのわざわざ待たんわ」

 遠回しに送れと言いたいらしい。そう約束したのは俺だから、それに関して異論はない。

「じゃあ三十分くらい待っといてくれるか」
「はいはい。服はそこに畳んでるから。先にロビーで待ってる」

 素っ気ないように聞こえるかもしれないけれど、そう言った神戸の耳が真っ赤だったのに、俺はなぜか気づいてしまった。全く、素直じゃない。




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