rain or shine

 たまに、どうしたって今日は調子が出ないと思える日がある。メモをとっておこうとしたらペンのインクが切れていたとき、横断歩道を渡ろうとした瞬間に信号が黄色になったとき、あるいは今のように、ビルから一歩外に出ただけでうんざりするほどの湿気を感じたとき。じきに雨が降ることは誰にでもわかることだが、天気予報士の言葉を律儀に聞くほど朝から真面目にテレビを見る習慣を身に着けていなかったせいで鞄の中に折り畳み傘は入っていない。駅まではタクシーを使うほど遠いわけではなく、かといって雨の中歩くのは躊躇われる程度に距離がある。地元でもないオフィス街で土地勘があるわけもない。
 道を聞く、という選択肢はあまり考えたくなかった。最もこの土地の地理に詳しいはずの彼の女がこういう場合に頼りにならないどころかさらに厄介事を増やすことはおそらくほぼ間違いないから――と、考えただけで疲れてきたところにカツンカツン、と背後から響くヒールの音が耳に入る。振り返れば予想通り、会議室からようやく出てきたらしい神戸が立っていた。今日は地元での会議だったからなのか、珍しくきっちりとスーツを着ている。
「雨降るで。はよ出た方がええんちゃう?」
「わかっとる」
「道わからんかったら案内するけど」
「いらん」
 何の疑いもなく「山があるところが北や!」と言い張って道を堂々と間違える癖のある女に道案内を任せるほど血迷っているつもりはない。神戸も最初から本気で言っていたわけではないらしく、それ以上はつっかかってこなかった。いつまでもここで立ったまま神戸の近くにいるのもなんだか居心地が悪い。この場で二人っきりというのが、どうにもしっくりこないような気がする。どうせホテルに戻ればまた会うわけで、今わざわざ他人行儀な話をしても時間を無駄にするだけだろう。ぽつりぽつりと雨が降り出す音が聞こえる。
「傘、持ってへんの?」
「部屋に忘れた」
「やと思ったわ。うちの傘貸そか? ……って、そんな嫌そうな顔せんでもええやん」
「女物の傘に入るんはな…気持ちだけでええ」
「じゃあ、うちも一緒に入ったげるから」
 それなら文句ないやろ、と笑う神戸に、言い返すことはしなかった。傘があるに越したことはない。神戸がとんでもなく方向音痴でありかつその自覚がないという大きな不安要素はあるものの。
「もっと喜んでええねんで。こんな美人な彼女と相合傘できるんやから」
「東西南北もわからん女がよう言う」
「はあ!? そんくらい誰でも知ってるわ! 山がある方が北やろ」
 自分の間違いに全く気づいていない神戸は笑われるのが理解できないと言いたげな顔をしていて、あまりに想像通りの答えに思わず笑ってしまった。




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