54.【本心】


遠くでまだ微かに食堂のドンチャン騒ぎが聞こえる夜半。
兵舎の屋上を吹く冷たい風が火照った体を冷やすのにちょうど良い。
アサギは自身を取り巻く雑念を払うかのようにその目を閉じては、木製の手すりにもたれ掛かり深呼吸した。

……私、まだ生きてる
頭では"生きたい"なんて思ってないのに、心臓は持ち主の意思とは関係なく、勝手に動いてて。もし、目の前に死が迫っている人が居たのなら、迷わずこの体を差し出すというのに。

一人感傷に浸っていたが自分以外の気配を背後に感じ、その人へ声をかけた。


「お疲れ様です、リヴァイ兵長」


別にコソコソしてたつもりはなかったが、振り向きもせず気配だけで誰だか分かるとは……と、その隠しきれない能力をまざまざと感じ、今更ながら彼女の只者じゃない雰囲気に思わずリヴァイは身構えてしまう。なのに憂いを含んだ顔に浮かべた儚い笑顔を向けられると、胸を締め付けられるような苦しさから言葉も出ず、リヴァイはそのまま黙って彼女の側へと足を進めた。


「眠れないんですか?」

「まぁ、そんなとこだ」

「そういえば、リヴァイ兵長ったら飲み会、途中で抜け出してましたね。しかも始まって早々に。探したんですよ?」

「嘘つけ。お前も今抜け出てるだろうが」


そのアサギの変わらぬ気さくで明るい口調を聞くと、リヴァイは安堵した。
彼女が婚約者の敵を討ったあの件で、アサギが最後に残ると言ったことを咎めた自分に対して別人のように振る舞われたらと恐れていたから。


「リヴァイ兵長」

「なんだ」

「遠征の時、一泊した古城でナナバとハンジさんに話してたの、聞いてましたよね?」

「……」


ニコッと目を細めてズバリ言うアサギに、こいつはやはり一筋縄ではいかないと、せっかく緩んだ頬が引き締まる。

古城でも、リヴァイはアサギのことが気掛かりで堪らなかった。あの場に残ると言った彼女を、上司として無理にでも連れて帰るという強硬手段を選択した為、彼女に嫌われたと思っていた。実際、古城へ向かう馬上で二人の会話は一切無かった。その時は別に嫌われようがどうでも良かった、全ては命あってのことだから。それなのにいざ助かったと思うと、次は彼女が自分をどう思っているかという女々しい気持ちが首をもたげてきた。気が付けば、何か話すキッカケになればと配給されたパンとスープを持ってアサギの所に足を運んでいた。しかし既にハンジ達が先を越してアサギと話をしていて……別に立ち聞きするつもりは更々無く一度は踵を返したものの、偶然耳に入ってきた内容からして彼女が過去の話していると気付いてしまった瞬間、リヴァイは金縛りに遭ったように動けなくなった。


「部屋の出入り口の付近にいらっしゃったかと。どの辺から聞いてたんですか?」

「……お前が訓練兵時代、ナナバから何故憲兵に入ったかと聞かれたところくらいから」

「ほぼ全部聞いちゃってますね」


ハハッと一瞬明るく笑うが、やっぱり、すぐまた悲しそうな目をする。
それだからお前は……


「なぁ」

「はい」

「お前、エルヴィンのこと、まだ……」

「……。さっき廊下では失礼しました。リヴァイ兵長が部屋にいるなんて知らなくて」


リヴァイは飲む気分にはなれず、乾杯だけ済ませると、そそくさと部屋に帰っていた。
部屋で一人読書をし始めた時、誰かが帰ってくる音が近付いてきた。声の主はアサギ。『エルヴィン団長、大丈夫ですか』と気遣っている、酔い潰れたのはまさかエルヴィンか?それをアサギが介抱でもしているのだろうか。
まぁ……俺には関係ない
気になりつつも本に視線を戻すと、ガタンッと大きな音がした。転びでもしたか…やれやれ、助太刀してやろうとドアを開けて目に入ったのは、二人が絡み口づけを交わしているところだった。驚きのあまり、後ろめたいことがあるわけでもないのに、リヴァイは気付かれないようドアをそっと閉めたのだった。


「……邪魔したな」

「邪魔だなんて。寧ろどうして助けてくださらなかったんですか?」

「助ける?どういうことだ……」


古城でエルヴィンとアサギにあんな過去があったと知ってから、未だ二人に何らかの"関係"があってもおかしくないと考えるようになった。実際、アサギはエルヴィンの香りを纏って帰ってきたこともあるのだから。
なのに、『助ける』だと?


「リヴァイ兵長、誤解されているようですが、私とエルヴィン団長が恋仲だったことなど今も昔も、一度もありませんよ?エルヴィン団長には、ちゃんと想い人がいらっしゃるのですから。ずっと昔から、同じ女性が。さっきもその方の名前を呟きながら私に触れてましたもの」


かつての上司の嫁の名前が酩酊したエルヴィンの口から出てきた瞬間、この人も私と同じ"結ばれない人"なのかとアサギは哀れみ、抗うことを止めた。少しでも自分に触れることでこの人悲しさが紛れるのなら。それくらいしか、私が彼にできることはない、と。

どのみち、もう誰の目にも"私"が映ることなんて…この先無いんです、と消えそうな声で一人ごちるとアサギは星の無い空を見上げた。
しかしリヴァイには、彼女自信が自分の意思で誰も寄せ付けないようにしている風にしか見えなくて……。
すると今まで気付かなかったが、彼女の白い首筋に切り傷の様なものを見つけた。


「おい、首んとこ血が出てんじゃねえか」

「え?あ、ほんとですね。エルヴィン団長運ぶときに自分の手が当たってかさぶた剥がしちゃったかな……痛いなぁとは思ってたんですが」


手で傷を触り、直に出血を確認するアサギ。
そして刃物で切ったような傷口ではないのを、リヴァイは見逃さなかった。


「どこで切ったんだ、それ」

「えっと、たしか遠征で奇行種討伐してた時です。前、私ネックレスしてたんですけど、攻撃避けた時に奇行種に引きちぎられて無くしちゃって。たぶんその時にチェーンで擦れて切れちゃっ……リヴァイ兵長?」


リヴァイは自分のクラバットを外すと、その細い首にふわりと巻いた。
いきなり近くなった距離に、アサギは驚き身を固くして、首を縮めた。


「あ、あのっ!それ、せっかく真っ白なのに、そのまま巻くと血が付いちゃいますよっ」

「お前の血なら構わねぇさ。おい、大人しくしてろ。上手く結べないだろうが」


結んでいる間、くすぐったいのか目をぎゅっと瞑り、手をこぶしにして耐えている。どうやら首が弱いらしい。
消えて無くなりそうなくらいの悲壮感で人を遠ざけてると思ったら、顔を真っ赤にして、こんな初な一面をちらつかせてくる。分かってやってるのだろうか、だとしたらとんだ小悪魔だと、リヴァイは無性にもっと悪戯してやりたくなった。


「よし、終わったぞ」

「……ありがとうございます」

「ん、待てよ」

「ッ!!!」


終わったと見せかけ、布のよりを直すフリをしながら、クラバットに沿って指先を肌に滑らせた。
するとアサギは面白いくらい身体をビクつかせて仰け反った。


「あのッ!あ、あとは自分でやります!」

「嫌だったか?」

「え?あ、そうじゃなくて、その……私、首弱いんです……」


首を両手で覆い隠しながら恥ずかしそうに言うその彼女の全てが、リヴァイの気持ちを煽りたててくる。



俺は……
自分の気持ちなんて、とっくに分かってたさ
ただ認めたくなかった、ちゃんと見ようとしてなかった

守りたいものが増えるっていうことが、
"生きづらい"ことは誰より知っているつもりだったから
だとしても……


「なぁ、アサギ」



お前を護っていたモノはもう無くなった

今こそ―――


「……こっちへ来い」


俺がお前を―――


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