44.《喜びと悲しみ》


『おはようアサギちゃん、久しぶりに良いお天気ね〜』
『おはようございます。ここ最近、毎日雨でしたものね』
『洗濯物やっと外に干せて助かるわ。それはそうと、黄色いチューリップの瓶の塗り薬、あれ良いわ〜!切り傷とか擦り傷、何にでも使えるんだもの』
『チューリップ?……あぁ、あれ肌の吹出物にも使えるんですよ』
『まぁ、本当に?今度試してみるわね!』



退団後、オリヴィエの元へ行った。別れを告げるために。すると薬師の彼は私が知るよりもずっと前から妊娠のことを知っていたという。そしてお腹の子が自分の子でないのを理解した上で、私と結婚して自分の子供として育てたいと言ってくれた。てっきり不貞を咎められ、捨てられるものと思って覚悟していたのだけど、その真逆であったことに戸惑いを隠せなかった。それでも彼の自分への想いが嬉しくて、私は彼と婚約を交わした。ただ、まだその当時肩のケガが完治していなかったため、式は出産後にしよう、と彼が私の身体を優先してくれた。なので私は、出産まで体の動くうちは彼の薬屋の手伝いをすることにした。


この陽だまりのような温かい日々は、どれくらい振りだろうか。つい先日まで置かれていた兵団での悲惨な環境が嘘のよう。
その幸せに素直に浸ることができたら、ただ、それで良かったんだと思う。なのに私は……。
幸せを感じれば感じるほど、忘れたい過去を思い出したり、その幸せを失ったらどうしようと怖くなった。元々の憲兵団に入った目的である親の敵討ちが、最終的には叶ったわけだけど、全然嬉しくなかった。あんな中年の男に身体を弄ばれて、その挙げ句に接待で恋人でもない男性の子供を身籠るだなんて、親が聞いたらそんなことをしてまでする敵討ちなんか、喜ばないし、ましてや悲しむと思う。もっと、自分を大事にすべきだったと、オリヴィエから愛されることで思うようになった。
彼はこんな穢れた私を綺麗だと言い、お腹の子にまで愛情を注いでくれる。もしかしたら今からじゃ、もう遅いかもしれない、けれど…これからは彼のために―――



『婚約指輪のサイズ、少し大きかったかな?』
『今はつわりで痩せてるから大きく見えるけど、食欲が戻ればきっとぴったりになるわ』

夕食後、ソファに座り編み物をしている横から彼がそっと私を抱き寄せる。『まだ動かないかなぁ』と、温かくて大きな手をお腹に当てるのが日課になった彼が愛しくてたまらない。

『産婆さんが言うには、もう少しで動く頃らしいわよ』
『早く出ておいで、パパといっぱい遊ぼうな』
『雪が降りだす頃には産まれてるでしょうね』
『楽しみだなぁ。産まれるのは寒い時期だけど、愛情いっぱい、温かく迎えてあげよう。ママは不器用だけど頑張って毛糸の靴下編んでくれてるし、寒さなんてへっちゃらだぞ。だから安心して産まれてくるんだよ』
『……不器用じゃないもん』



―――私の知ってる時間の中で、一番穏やかな時期はこの頃だったのかもしれない。今思い出すだけでも、幸せだったな……と目頭が熱くなる。




そして、その翌日。

私は突然の腹痛を伴う大出血をして、流産した。


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