43.《飛び立つ鳥》


"あの夜"より少し前のこと。屋敷の男が出張中、憲兵団本部でナイルの手伝いをしていた時に偶然エルヴィン分隊長がナイルを尋ねてきていた。その時に初めて顔を会わせていたので面割れしていたのだが、彼から蹂躙されている間、素性だけはバレてはいけないと、飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止め、マスクが取れぬよう終始押さえて何とかやり過ごした。だから、私と接触があったこと自体、彼は知らなかったと思う。彼のことだから今となっては何かに気付いているかもしれないが、自分からあの夜の出来事を彼に直接告げるつもりは後にも先にも一切ない。



そもそも、これは屋敷の男の策略によるものだった。兵団を私物化しようと企んでいた男が、先ずは資金力に乏しい調査兵団を足掛かりにと目をつけたのがエルヴィン分隊長だった。自らの屋敷の使用人に手をつけるよう仕向け、それを言い掛かりにして調査兵団に責任を取らせる魂胆だったようだ。だが、もちろん男の思うようにはならない。程なくして私は黙って屋敷から姿を消した。隠し部屋を発見し、そこで瓶詰めされた大量の黒い髪を見付けたのだ。その中には母が愛用していたシュシュで纏められた髪束もあり、この男が東洋人狩りに関与していることを示す決定的な証拠であったから。
その後、男に察知される前に、透かさず憲兵団が屋敷を家宅捜索し、証拠品を押収。屋敷の男を違法薬物所持、殺人教唆及び人身売買の罪で逮捕、身柄を王都に移送することになった。
しかしその護送途中、男の雇っていた下組織の一味から襲撃にあい、ナイルを庇った時に、私は肩を撃たれた―――



『どうだ傷の具合は。もういいのか?』
『多少疼きますが、何とか……』
『そうか。……すまなかった』
『いえ、体張るのも仕事ですから』

数日入院した後、退院時にナイルがわざわざ馬車で迎えに来てくれた。ぶつ切りの続かない会話、重たい空気が狭い車内を満たしていて、息苦しい。ナイルが何か言いたいことがあるのだろうか、それを言えないのかあごの無精髭を触ったりソワソワしてるのが嫌でも見えて、こちらまで落ち着かない。

『何か言いたそうですね』
『あぁ……、まぁ、なんだ。その……誰の子だ?まさかあの貴族の男のじゃあねぇだろうな。ちゃんと例の彼氏との子か?』
『……。なぜ、ナイルさんがご存知なんですか』
『負傷して意識の無いお前を担ぎ込んだとき、医者から言われた。"母体は救えるかもしれないが、赤ん坊は無理かもしれん"とな。結果的に、どちらも無事で良かったが。それより、お前、いつからだ?俺に黙ってそんな身体で内偵やってたのか?』
『私が知ったのは昨日です。それまでは全く知りませんでした。幸いなことに……父親は、あの薄汚い屋敷の男ではありません』
『今頃あの男、王都の拘置所で拷問されてるだろうな。可哀想に一生シャバには出られんなあれじゃ。軽くても重くても、どのみち死刑ってとこか。―――オイ、ってことは、子供はやっぱりお前の彼氏との、…』
『ナイルさん、違います。……違うんです。相手の男性本人には、絶対に告げないでください』
『何だそれは、まさかとは思うが……俺の知ってるヤツか?』

ナイルの顔が見れず、俯いて頭を小さく縦に振った。

『彼は、私の恋人の友人でもあるんです……。だから、どうか、言わないで…………』

それから、ナイルに洗いざらい全て話した。
あの夜のことは『酒宴以外何も無かった』と虚偽を報告していただけに、言いづらかったのだが、ナイルからその事を咎められることはなく――ただ、黙って最後まで聞いてくれた。

『苦労を、かけたな』

ナイルのその言葉で、堪えきれなかった涙がこぼれ落ち、握りしめた拳を濡らした。

『ナイルさん。私、今回の事件の処理が片付いたら……兵団辞めます。何処か、遠い田舎で静かに暮らします、この子と二人で……』
『そうか―――分かった』

かごの中の鳥が飛び立つのを見ている気分だと、ナイルはその疲れたような顔に微笑を浮かべ、それ以上詮索してくることはなかった。


それから一月後、私は兵団を去った―――


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