12.《不思議な人》


「お前の故郷はどこだろうな……。僕の故郷は……まだ暫らく帰れそうにないよ……」





ちょうど太陽の光が、厩舎の屋根と壁の通気孔から鋭く射し込んでくる角度まで昇ってきた。
初冬の冷えた空気に、温泉水で洗い上げた馬の体から白い湯気が立ち込める中、話しかけながら丁寧に全身ブラシをかけてやる――…











『ガキ共!いつまで寝てやがる!』


太陽が長い夜を破ってようやく壁内を照らし始めた頃、僕の休日はリヴァイ兵長の怒号で始まった。

今日は日曜日。
専ら訓練に明け暮れている兵士達も、思い思いの方法で自由に過ごせる日。
実家に一時帰宅したり、恋人とデートや、友人とショッピング…――

若しくは、エレンのように上官から補習との名目で掃除をやらされている者もいたりする……
先週、エレンは男子浴場の掃除が担当だったんだけど、隅々まで清掃が行き届いてなかったようでリヴァイ兵長の逆鱗に触れたようだった。
幸い僕は別の掃除場所だったから撒き沿えにならずに済んだけど……


……なんだか今日は……気分が優れない……














「アルミンじゃない、おはよう。あら、今日は一人?」



厩舎の入り口に立っているその人は、顔が逆光で眩しくて分からなかったが、優しい声と落ち着いた口調からすぐに誰か検討がついた。
小屋の中に入ってきたその人――もとい、アサギさんは、いつもはキッチリと一つのおだんごに纏めている髪がポニーテールで、服は兵団の制服ながらもハーネスを付けていないので、随分とラフな格好をしているように見えた。



「おはようございます。エレンはリヴァイ兵長から先週の清掃担当箇所が不徹底だったとのことで、その補完措置として今朝から兵団寄宿舎内の清掃をするよう言い渡されて、今頑張ってやってるところだと思います。」

「……なるほど、こんな休日に夜明けと共に勢いよく部屋を出る音が聞こえたと思ったら、そういうことだったのね。エレン…お気の毒に……。」

「リヴァイ兵長と部屋が近いんですか?」

「まぁ、そんなとこね。ミカサは?」

「ミカサはエレンと一緒に掃除すると言ってました。だから今日は……一人なんです……」



そう、僕は一人なんだ……
エレンやミカサがいると言っても、血の繋がった『家族』じゃない。
友情という、いつ切れるとも分からない脆い絆で繋がっているだけなんだ。



「…………何かあったの?」

「――…いえ、何も……」

「アルミンの馬は、貴方の気持ち感じ取って不安がってるみたいよ、体の皮膚震わせてるもの。」



ハッとして自分の馬を見ると、不安げにに揺れる大きな瞳とぶつかった。

馬は感受性豊かな動物で、人間の声や雰囲気などから多くを感じ取るという。
無意識にブラッシングを強くし過ぎたのだろうか?
それとも、故郷のことを話したのがいけなかったのかな……

いきなり図星を突かれて動揺していると、アサギさんが僕の馬に優しく声を掛け、鼻の上を撫で始めた。



「いい子ね……何も心配いらないわ。よしよし……」

「馬の扱い、上手いんですね」

「昔うちで飼っていた馬がとても神経質で凄く難しい性格の子だったの。それと比べると、ここの馬はとても大人しくて良い子ばかり。流石、調査兵団。馬も一味違うわ。」



僕の馬を宥めて落ち着かせると、今度は少し離れたところに居る自分の馬の傍に行って『ノワール』と呼びながら、その鼻を撫で始めた。



「《ノワール》って、確か他言語で《黒》って意味があると何かの本で読んだことがあります。……アサギさんの馬は、殆ど白に近い灰色なのに……」

「ここの厩務員さんから聞いたんだけど、この子、産まれた時は真っ黒だったんですって。芦毛っていう毛色の種類でね、年を取るごとに白くなっていく馬なの。もう随分白くなってきてるんだけど、瞳の色は変わらず真っ黒のままでしょ?だから《ノワール》って名付けたの。例え容姿が変わっても、瞳の奥の色は変わらないって、なんだか神秘的で強そうなイメージしない?」

「なんだか、アサギさんみたいな馬ですね。」



貴女と私は似てるんですってと、アサギさんが嬉しそうにノワールの背を毛並みに沿って擦ると、ノワールもまた、気持ち良いのかブルンと鼻を鳴らして答えた。

調査兵団に入ってまだ一ヶ月くらいなのに、アサギさんとノワールは前から一緒にいたかのように息がピッタリ合っている。



「きっと、この子とは相性も良いのよ。…………って、アルミン……、それは私も年取って容姿が変化したという意味?」

「え?ち、違います!僕、そんなつもりで言ったんじゃなくて……!」



全くそんな事言うつもりもないのに誤解されてしまい、焦って全力で弁解するべく言葉を探してしていると、アサギさんはくすくすと笑いながら僕の所に戻ってきた。



「ごめんごめん、冗談よ!アルミンが可愛いから、つい意地悪したくなっちゃった」



怒った?と僕の顔を覗きこんでくるアサギさんだけど、そんな貴女の方が可愛いですよ、なんて言ったら子供だと馬鹿にされるかな。
そんなことを思いながらも、『可愛い』と言われたことに男の自分が少しだけ違和感を覚えた。



「僕は男ですから……『可愛い』とかじゃ、ないです……」

「そうね、もうアルミンは立派な男性ですもの。でもアルミンは私の中で少し年の離れた可愛い弟のような感覚なの。だから、私が言ったのはそういう意味での『可愛い』よ。」

「なら……良いですけど……」

「その尖らせた口も、堪らなく可愛い!」

「……今の『可愛い』は僕の嫌な方のです」

「堅いこと言わないのー。というか、………ねぇ、アルミン」



急にトーンを落としたアサギさんの声で、賑やかにしていた雰囲気が少しだけ変わった。
アサギさんは僕の馬の頬を撫で、視線を馬に落としたまま僕に語りかけてきた。



「気分……落ち着いた?」

「え?」

「最初、何か様子がおかしかったから」



……そういえば。
確かに今朝僕は孤独感に苛まれて気分が落ちていた訳だけど、アサギさんと話してるうちに、いつの間にか気分が元に戻ってた。

そうか、だから最初から話を無理に聞き出さずに、わざと馬の話題とかで話を逸らしてくれてたんだ……



「すみません……気を遣わせて……。」

「気にしないで。誰だって気分が落ちることあるもの」

「…………僕の両親……、生産者だったんですけど、先の領土奪還の件で死んだんです。だから……、もう僕には家族もいなければ、帰る家も……。たまに、今朝みたいに思い出して嫌な気分になるんです……滅多にないんですけどね」

「アルミン…………」

「でも、アサギさんと話をして、もう大丈夫になりましたから……、っ!」



アサギさんがこちらを向いたかと思った次の瞬間、僕は彼女の腕の中で……
僕より少し背の低い彼女の肩先にある、僕の頭を優しく撫でてきた。



「……僕は……馬じゃ、ありませんよ……」

「冗談はいいから。……アルミン、ツラかったでしょう」

「……。」

「私もね……親類を、同じくその『口減らし』の件で亡くしているの。……詳しく言うと、親類になるはずだった人達、っていうか……。自分の両親も色々あって死んじゃったし、友達も、大事な人も……皆、いなくなっちゃった。家も巨人に壊されてもう無いの。でもアルミン、貴方にはエレンとミカサっていう素敵な親友がいるじゃない。貴方はまだ若いから、これから大切な人ができるかもしれないという希望もあるわ。家も家族も、これからその人と貴方が一緒に作ればいいの。貴方にとっては『もう無い』んじゃなくて、『まだ無い』ってこと。だから、悲しくなった時は……今言ったことを思い出してみて。」

「……そういうアサギさんだって、まだ十分若いじゃないですか……」



お世辞でも嬉しいと言って体を離すと、見た事のないくらい悲しそうな顔で……どこか遠くを見ながら『私は失ったものが大き過ぎて、もう未来は見えないの』と呟いた。

僕は……彼女の悲壮感漂う雰囲気に、二の句が継げなかった…―――





「――…あ!ゲルガーだわ!アルミン、話の途中にごめんなさい、ゲルガーにちょっと用があるの!」



アサギさんは、小屋の前を偶然通り過ぎて行ったゲルガーをちょうど見つけたようで、一目散にそちらへ綺麗な長い髪を揺らしながら走って行ってしまった。




……明るい太陽のような笑顔を見せてくれたと思ったら、こちらまで息が詰まりそうな程の寂寞の情を纏ってたり……







――…貴女はこの間、リヴァイ兵長を“不思議な人”と言っていたけど、

僕には貴女の方がよっぽど“不思議な人”に見えます…――





撫でてと催促するように前足で地面を掻く愛馬の頭を撫でながら、そんな彼女の後姿を見送った―――


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