その頃、裏では【ナジルside】
静まり返った校内。休日ということもあって、生徒の姿は当然、見かけることもない。そのなかをナジルは一人、靴音を響かせ三階にある生徒会室へと向かっていた。途中、巡回中の教師とすれ違う。
しかし、あちらはナジルに気づいた様子はない。そのまま階段をのぼり、生徒会室の扉を開けなかに滑り込むように入室する。
「ああ、やっと来たか」
パチン、と自分の周囲に張ってあった膜のようなものが消える音がした。目眩ましの精霊魔法だ。それも精霊持ちの教師とすれ違っても気づかれないくらい精巧なものである。
「それはこちらの台詞ですよ。私はもっと早く接触したかったのに」
「しっかりと情報を集めてから報告したかったんだよ。中途半端な状態じゃ、会っても意味ねぇだろ」
ソファーに座ってくつろいでいたのは、生徒会長であるマルクスだった。その隣には彼の精霊であるマーリンが寝そべっている。巨大な狼の姿をした彼女は、ナジルの姿を見ると嬉しそうに尻尾を振った。
「マーリンも久しぶりですね。先ほどは精霊魔法をかけていただき、ありがとうございました。お元気でしたか?」
『ええ。あなたは少し痩せたかしら。闇の御方のそばにいるのだから気苦労は多いと思うけれど、しっかりね』
いつもは尊大な口調で話す彼女だが、身内のまえでのみ、その素を晒す。砕けた口調に、ナジルは微笑ましさを感じた。
「いえいえ、意外と常識的な方ですよ。己の契約者殿が絡まない限り」
『それは精霊だもの。しかたないわ』
そう言って、マーリンはマルクスの首筋に鼻を寄せた。彼女のマルクスに対する感情は、男女の情ではなく母親が子に向けるそれに近いらしい。
「じゃあ、マルクスを危険な立場に置いている私は、あなたの怒りを買ってしまいますね」
『マルクスが望んだのなら、私は口出しするつもりはないわよ』
「俺はお前に命令された覚えはないけどな。俺になにかあって恨まれるなら、陛下かうちのクソ親父だろ」
『もう、マルクスったら。お父様のことを、またそんな風に言って』
「クソ親父はクソ親父だ」
完全に母と子の会話である。ナジルは苦笑して、テーブルの反対側にあるソファーに座った。
「さて、報告を聞く前に、なにか言いたいことは?」
「…………悪かった」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、マルクスは頭をさげた。それにナジルは溜息を零す。
マルクスはナジル直属の部下である。精霊と契約していない自分が、まさか精霊の契約者を部下に持つなんて、精霊信仰にかぶれている者たちが知ったら阿鼻叫喚の騒ぎとなるだろう。しかし、それを命じたのは国王であり、マルクスの父親である騎士団長もまた、己の息子をナジルの下につかせることに賛同した一人だ。
まだ学生であるマルクスには秘密裏に、学内で起こったことの報告や、差別によって迫害に遭っている生徒の保護を命じていた。保護された生徒は、表向きは退学したことになっている。
「彼を保護しようと手筈を整えてはいた。……ただ、優先順位を下に見ていた」
「ライナ・ノースを最上位に置いたことについては、間違いではありませんよ。あれが他国に奪われていたら、我が国としても損失は大きかった」
せめてマーリンを使えていれば、彼はあそこまで追いつめられることもなかっただろう。しかし、彼女はライナの護衛で手一杯だった。むろん、ライナにも高位精霊がついている。
だが、精霊信仰に傾倒している者たちと接触し、彼らの言葉に感化されてしまったらお終いだ。精霊は契約者に対し盲目。契約者が人を殺せと命じたら、それが望みならばと従ってしまうのだ。
「そのお陰で、学内のスパイを炙りだせたのも事実です。総合的にみて、あなたはよくやったと思いますよ」
学生に扮した隣国のスパイの駆逐は、重要課題だった。毎年、一定数が新入学生に紛れて入学してくる。それを一人一人見つけて潰していくのだ。彼らは理由をつけて退学させたあと、尋問のため騎士団送りになった。
「ただ、ノーブレンに対する評価が間違っていた。それが敗因です」
キリア・セロ・ノーブレン――生徒会副会長であるあの男がライナに傾倒しなければ、彼はあそこまで追いつめられ、壊れることもなかっただろう。しかし、そうならなかったら、闇の精霊とも契約することはなかった。皮肉なものだ。
「……あいつは精霊と契約して変わった。生徒会のなかで唯一、信頼できる相手だと思ってたんだけどな」
「彼もしょせん、ノーブレン家の者だったということでしょう」
ノーブレン家は国内でも一、二位を争うほど、精霊信仰に傾倒している一族でもある。精霊信仰を弱めようと足掻いている現国王の敵とも言える一派だ。隣国と繋がっているのでは、という噂もあった。
ノーブレン家を背後に持つキリアを敵に回すのは得策ではない。それに、マルクスがナジルの支持を受け、学内で暗躍していることを知られてしまう怖れもあった。
マルクスがライナの取り巻きを演じていたのは、それを気づかせないためだ。ナジルがマルクスの立場でも、きっと同じような行動を取っただろう。
「“ノーブレンは、精霊に愛された一族”――昔から、そう吹聴し続けているくらいですから」
「だが、それは事実だ。ノーブレン家の人間は、例外なく精霊と契約している」
ノーブレン家の発言力が衰えない理由は、一族の全員が精霊持ちだからだ。精霊に愛された一族。そして、ノーブレン家の一人息子であるキリアも、また精霊と契約した。
「ええ、本当に。それを、なぜ誰も異常だと思わないのでしょうね」
しかし、その“異常”の理由はわからない。いったい、どのような方法で一族全員が精霊を得ているのか。もしくは、本当に精霊に愛されているのか。どれほど探りを入れても、その謎は解けなかった。
「そのあたりは陛下も探りを入れているようなので、いずれ判明するとは思いますが……。まあ、いまはもうこの話はいいでしょう。それで、例の件にかんする報告は?」
それにマルクスは姿勢を正し、表情を改めた。
「盗まれた精霊の宝玉は、未だに見つかっていない。しかし、学内から持ちだされた形跡はなかった。犯人が持っているとみて間違いはないだろう」
――精霊の宝玉。
それは国宝とも言えるべき、国の宝だ。それが何者かに盗まれた。
精霊の宝玉は一年に一度、精霊界との境が重なったとき、道を安定させるために欠かせないアイテムだ。それが盗まれた。このままでは、儀式がおこなえなくなってしまう。
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