約束
祭壇以外になにもない、広くて寂しい部屋だった。その中央に真っ白な服と白いマントを羽織った団長さんが、こちらに背中を向けて立っている。
団長さんはまだ俺に気づいていない。なんて声をかけようかと迷っていると、「……いつまで待たせる気ですか、陛下」と声が聞こえた。
その瞬間、俺は弾丸のように飛んだ。
俺に気づいて驚いたように目を見開く団長さんに、突進する勢いでしがみつく。
頭では理解していた。でも、ぜんぜん現実感がわかなくて、たぶん俺は本当の意味でわかっていなかったんだと思う。
俺を「婚約者殿」と愛しげに呼んでくれる団長さんは、いなくなってしまうのだ。
「どうして、ここに……!?」
「大丈夫だからっ。俺は本当のことを知っても、死んじゃったりしないから!」
涙でぐしゃぐしゃになってしまっている顔を団長さんの胸に押しつけた。顔を見たいけど、このままじゃ、ダメだ。泣いた顔は絶対に見せられない。
笑え、笑え、と必死に念じる。
団長さんはすでに覚悟を決めているのだ。その覚悟に水を差すことがあってはいけない。本音を言えば、団長さんに王様なんかになってほしくない。でも、それは絶対に言えない。だって、団長さんはなにを犠牲にしてもこの国を守るって決めたんでしょう?
だったら俺にできることは、唯一の心残りだろう俺自身への心配をなくしてあげることだ。
「あのね、団長さん。俺ね、決めたんだ。団長さんは国王になってこの国を守るんでしょ。だったら、俺は騎士団に入って、父ちゃんみたいな騎士団長になる。それで、この国と団長さんを守る。だから、だから……だから、俺は大丈夫だよ!」
顔をあげて、精一杯の笑みを浮かべる。
涙で歪んだ視界をへだてて、団長さんが優しげに微笑んだ気がした。
「……俺も婚約者殿のそばにあって、その成長を見守りたかった。できれば、手助けしたかった。けれど、それは叶いそうにもない。……こんな不甲斐ない男を許してくれるだろうか?」
「そんなことない、団長さんは立派だよ!」
まるで壊れ物でも扱うように優しく抱きあげられ、それとは反比例するかのように強い力で抱きしめられる。
「ヴァイスリーリエ」
はじめて呼ばれる名前に、全身があわだった。
「ずっと名前を呼びたかった。けれど、一度呼んでしまったら、愛しさがあふれて浚ってしまいそうだった。……ヴァイスリーリエ。とても美しい名前だ」
「お、俺だって団長さんの名前を呼んでみたかった!でも、団長さんって呼んでたから、名前で呼ぶのは恥ずかしかったんだ……」
でも、こんなことになるなら、恥ずかしがらずに名前を呼べばよかった。浚われたら、兄ちゃんや父ちゃんたちが大変そうだけど、俺の名前だってもっと呼んでもらいたかった。
「クルス。大好きだよ、クルス」
「ああ。俺も君を愛しているよ、ヴァイスリーリエ」
体を離して、俺の顔を覗き込むようにして、団長さん――クルスは告げた。
「大丈夫。たとえ何度、記憶を失おうとも、その度に君を愛すると誓おう」
え、なにその愛。ちょっと重いんですけど。それにたぶん、何度も記憶を失うことなんてないと思う。シリアスな場面なのに、ついツッコんじゃう俺は悪くないと思う。声に出してないからセーフだよね。
それに、嬉しいって思ってしまうくらいには、俺のクルスへの愛も重い気がするし。
「約束だからね?嘘ついたら、絶対に許さないから」
「ヴァイスリーリエに嫌われたら困るな。もちろん、約束は守るさ」
背後の扉が開く気配がした。
ああ、もうお別れなのか。
クルスから離れて、一歩、後ずさる。
その姿を絶対に忘れないように目に焼きつけて、俺は彼に背を向けた。そして、国王様と入れ替わるように部屋を出る。
そこには父ちゃんがいた。
そして、なにも言わずに俺を抱きしめてくれた。
俺は必死に歯を食いしばる。絶対に泣き声を漏らさないように。
これから俺は強くならなくてはいけない。クルスにはああ言ったけど、騎士団長への道はきっと途方もなく険しいはずだ。それでも、絶対に諦めるわけにはいかない。強くなって、この国と、クルスを守るのだ――。
その日、国王の代替わりを報せる鐘が、国中に鳴り響いた。
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