青色の約束




 主が倒されたのを見届けると、瓦礫の塔は崩壊を始めた。
 その中を駆け抜ける人影があった。自身が導き出した答えを胸に、これからの世界で生きる為に走り続けた。ある者は道を切り開き、ある者は仲間の手を取り、助けて、助け合って。
 だが一人、逆の答えを出した者が居た。
 全員が自分を追い抜いた事を確認すると、シャドウは歩を緩めて、止めた。先行していたインターセプターが気づいて立ち止まる。
 シャドウは彼らーー仲間達と別の道を歩みだした。当然、インターセプターは追いかけて来た。しかし意思は固まっている。あの村を出てから、ずっと苦楽を共にしてきた愛犬だったが、この先も伴わせる気は毛頭なかった。願わくば、あの村で娘と、

「元気でな……」

 最後の命令。インターセプターは何度も振り返ったが、仲間達が脱出した道を走り出した。
 見届けてシャドウは瓦礫の奥へ身を潜めた。空から自分が見えないような空間を見つけるとそこに座り、来るだろうその瞬間を待った。
 瓦礫が自身を圧し潰すのが先か、瓦礫と共に落下するか。どちらでも良い。出来れば痛み苦しむような終わり方が望ましいか?

「ビリーよ。もう逃げずに済みそうだ。温かく迎えてくれよ」

 自分が最期に手を下さなかったばかりに、きっと友は悲惨な目にあっただろう。それを思えば、それぐらいの最期、甘んじて受ける覚悟がシャドウにはあった。
 友の影は常に自分を手招きしていた。しかし生かされてしまった。それにはきっと意味があると考えて今日まで来たが、答えはこれで良いのだろうか。お前も愛した世界を守る事は、お前への贖罪に繋がっているだろうか。

 パラパラと、欠片が落ちて来る。静かに見上げれば、空は少しずつ、本来の色を取り戻ろうと震え悶えていた。
 かつての蒼穹が懐かしい。そんな事を思う日が来るとは……シャドウは自嘲した。

 仕事柄、陽光と暁を恐れ、冥闇に巣食っていた自分が、透き通る空の下で人並みの生活を送っていた過去があるのは、今でも嘘のようで不思議な感覚に囚われる。遠いあの村で、明るい空の下、幼い娘と愛する妻の手を取って歩いたのは、夢か幻か。思い出はいくらでも美化されてしまうが、あの日常は確かに存在して、かけがえのないものだったのだと気づく。
 遅かったな。思い出すのも、気づくのも。だが思い出は塗り替えられていくものだ。俺は過去の幻影。娘の記憶にはもう無いであろう思い出と共に朽ちて逝こう。

 ふと、左手が温かい。手袋を外すと指輪が淡く光っていた。ああ、お前も迎えてくれるのか。シャドウは左手の薬指に嵌めていた指輪を口元に運ぶ。
 娘は、立派に育っているぞ。心配する事は無い。俺が居なくとも、いや、居ない方があの子は幸せになる筈だ。それにな、ストラゴスの爺さんだけじゃない。連中が……仲間達が、御節介に見守ってくれるだろう。俺を引入れた連中だぞ? きっと、大丈夫だ。
 だから、許してくれ。

 亡き人に報告を済ませると、シャドウは瞼を閉じた。






「本当にいいのか?」

 懐かしい声に驚き、まさかと顔を上げる。隻眼に金髪の男が、向かいの席に座っていた。深く腰掛けて、口元にはうっすらと笑みすら浮かべている。事を起こす前の友の姿だ、間違いはない。
 気づけば塔ではなく、列車のボックス席にシャドウは居た。一定のリズムを刻んで揺れる車体、仄暗い照明の中で浮かび上がるそこは、魔列車の中だった。

「懐かしいだろ? オレ達【列車強盗団シャドウ】のホームグラウンドじゃねぇか」
「ビリー……」
「おいおい。迎えに指名したのはお前だぜ、クライド? ちったぁ喜べっての」

 そう言ってシャドウの眉間を、冷たい指で小突くビリーはやはり笑っていた。遠い過去に見た笑顔と同じで、シャドウーークライドは、次に発すべき言葉を見失ってしまった。
 ずっと、ずっと言いたかった言葉がある。でもそれは赦しを乞うようで憚られてしまう。聞きたいこともあった。しかし、それを知るのも、怖い。
 ふと、白いローブを纏った奴が通路を横切って行った。相変わらず連中は何を考えているのかわからない。ただゾッと、体温が幾分吸われていくような感覚になる。
 車窓の景色は相変わらず暗く、何処を走っているのかわからない。そこに映るクライドの顔は困惑そのもので、代わりにビリーが口を開いた。

「オレはさ、あの後、案外すぐに逝ったよ。だから、お前が気に病む必要は無かったんだ。……悪いな。最期にオレは、お前に呪いを掛けちまった」
「いや、そんな事は」
「だからさ、クライド。お前が死ぬ必要は無いってワケだ」

 また乗客が通路を過ぎる。それをビリーは横目で見遣り、過ぎたのを確認すると口を開いた。

「お前、まだあっちに……現世っていうんだっけ? に、未練あんだろ」
「……いや。何も無い」
「嘘つけ」

 ビリーは詰め寄って、クライドの目を真っ直ぐに捉えた。

「嬢ちゃん……ヨメさんとの約束を忘れたか?」


 約束。


 村を出る決意をした夜。リルムもとうに眠った時刻に、2人で話し合った。打ち明けたクライドの意思を感じ取った彼女は、昔、クライドが村に辿り着いた時の長旅用のローブや、まだ残っていた道具をクローゼットの奥から引っ張り出した。ローブは修繕され、苦無は錆びる事なくかつての輝きを宿していた。更に追加でポーションなどの消耗品も揃えられていた。
 彼女は言った。

「いつか、この日が来る事はわかってた。貴方はそういう人。大事だと思ったものは、生涯、捨てられない人……そんな貴方を、私は愛したわ。今も、もちろん。……リルムには、私やストラゴス、村のみんなが居る……まだ見ぬ世界が、あの子を待ってる……でも、ビリーにはもう、貴方しか居ないから」

 クライドの左手を取り、薬指の指輪を抜き取った。

「貴方だと思って待つわ、クライド。心置き無く征ってください……でも、約束して。必ずここに、この家に帰って来るって。あの子の父親として、あの子を守るって」

 指輪を両手で包み込み、胸に秘める彼女の肩は震えていた。
 クライドは、自分を迷いなく真っ直ぐに見つめてくれる彼女を心から愛していた。強さも、弱さも、すべてを受け止め、受け入れてくれた彼女。その温もりから離別する事は、筆舌し尽くし難いものがある。
 しかし、過去から逃れる事は出来ない。相棒への償いをしなければ、自分は本当の意味で前に進む事はできないだろうと理解してしまった。このまま娘の隣に笑って居続けられる自信は、無かった。
 その為に、俺は一度村を出る。

「わかっている。お前とリルムの元へ、必ず俺は帰る。俺の居場所は、此処だ」

 最後に交わした口付けは涙の味がした。
 彼女の唇の感触を思い出し、クライドは己の薄い唇に触れた。あの夜の約束を果たす資格が、今の自分にはあるのだろうか。

「征くしかねぇだろ、クライド」

 ビリーはしっかり告げた。

「列車はな、行先を変える事はできない。だから降りろ。オレがちゃんと、お前を送り届けてやる」
「ビリー」
「時間が無い。やるぞ」

 ビリーの言葉に反応して、他の乗客達が立ち上がった。許さない、許さない……ゆらゆら揺れながら周りを徐々に取り囲もうとする中で、その内の一体をビリーが薙いだ。いつの間にかビリーの手には、かつて使っていた片手剣がある。
 そして、クライドの手にも苦無が。

「最後尾まで走れ! クライド!! 振り返るなッ!!」

 叫んで、ビリーは自分の役目を果たすべく、乗客を倒しながら先頭車両の機関部へ走り出す。
 クライドはその背中に叫んだ。

「ビリー! この借りはツケとけッ!!」

 気長に待ってやるよ。そう言い残して、ビリーは前の車両へ姿を消した。思い残す事はない。相棒は俺に「振り返るな」と言った。だから、これ切りだ。
 周囲を薙ぎ倒し、次の車両に踏み込む。途端に何もなかった空間から、何体もの亡霊が床から生えるように現れた。自分に襲い掛かる前に行くしかないと判断したクライドは、息を整え、行先を見定める。


 娘の元へ。


 床を蹴れば軋んだ音が鳴る。一閃、一閃、駆けながら道を切り開く。亡霊に手応えはなく、残留思念は四散した。
 行く手を塞ぐ最後の一体を切り上げれば、扉の向こうは目的地、最後尾車両の緩急車だ。真鍮の取っ手を無造作に掴むと一息に開け放った。

 その景色にクライドは息を飲んだ。
 空を。
 青い空の中を、魔列車は走っている。
 眼下に線路は当然無い、あるのは生命に溢れた豊かな大地。或いは紺碧の海。いつの間にこんな事になっていたのか、列車の中からは気づかなかった。

「魔列車を飛ばそうなんて。派手好きなビリーらしいわね」

 聞きたかった声。生涯で唯一人愛して、もう逢えない筈の彼女が隣に居た。

「もう大丈夫ね。まだ死にたいなんて、思ってないわよね? 顔を見ればわかるけど」

 笑って彼女は、クライドの覆面を取り払った。お得意のポーカーフェイスは、崩れかけていた。
 言葉にならない。言葉にできない。でも、言葉なんて、要らない。
 抱きしめれば、彼女の身体は冷たかった。それでも思い出される温もりは、この身体に刻まれていたもの。確かに彼女は、この腕の中に在り続けて居たんだ。それを一度でも忘れるなど、見えぬ運命を呪ったが、今はもう、これで十分。
 そしてこれが、本当に最後だ。

「また逢おう」
「ええ。待ってる。いつまでも」

 最期のキスは、涙の味はしなかった。

 魔列車の側面から身を乗り出せば、小さく見えていたファルコン号が徐々に大きくなる。ビリーが機関部から手を出し、ジェスチャーで横付けしろと合図を送る。舵を握るセッツァー以外の仲間達が、こちらに身を乗り出して、指差して、破顔した。死んだと思っていた仲間の生還を心から喜んでいた。
 その中からリルムの姿を見つけると、クライドは妻の身体を支えながら、互いがよく見えるように移動した。不思議そうな顔をしていたリルムが、理解して、大きな瞳から涙の雫が流れる。ママ、と叫ぶ。腕の中の妻もまた、大きくなった我が子を見とめると顔を覆った。
 ギリギリまで船体が近づく。腕を伸ばして身を乗り出したマッシュをウーマロが支える。その武闘家の大きな手を、クライドはしっかりと掴んだ。

「魔列車で脱出するとはな!」
「成り行きでな」

 跳び移り、もう踏む事はないと思っていたファルコン号の甲板に足をつける。
 はたと気づく。帰還の喜びに浸る時間は無い。仲間達の中から娘を探す。

「リルム! 早く!!」

 クライドは駆け寄るリルムを抱き上げると、母親の目線に合わせてやる。魔列車に残る母親を見て、泣かない子供がいるだろうか。
 彼女は目元を拭い、娘と夫の姿を目に焼き付けた。そして笑った。

「パパと仲良くね! ビンタは一回で許してあげてね!」
「ママ! わかったよ!! わかったから!!」

 リルムの手が伸びる。その手を彼女が掴み、繋がれた手にクライドの手が重なった。

「さようなら。愛してる」

 彼女の手が、魔列車と共に消えた。








 バチンーーッ!

 乾いた音が遊戯室に響く。
 クライドはポーカーフェイスを崩さなかったが、打たれた頬にはモミジの跡がくっきり付いた。

「こンのクソオヤジ! なんでずっと黙ってたわけ!? しかも瓦礫の中に残るとか、どんな神経してたのよ! どれだけ心配させたと思ってるの!? みんなだってギリッギリまで待ってたんだから! インターセプターちゃんなんか、何度吠えて戻ろうとしたかわかる!?」

 ちなみにインターセプターは今、一所懸命クライドの打たれた頬を舐めている。先程からずっとクライドから離れないのだ。当然といえば当然だが、こいつはここまで人懐こかっただろうかとクライドは疑った。
 娘の気迫に押されて正座して黙り込むクライドを哀れに思い、仁王立ちするリルムの前にストラゴスが仲介に入った。

「リルム、それぐらいにするゾイ…」
「じじい。黙ってたじじいも同罪だからね。首洗って待ってろ」

 鬼神が見える。
 その場に居合わせた全員が言葉を失った。
 渦中のクライドは静かに床に手をつき、深々と頭を下げた。

「……申し訳ありません」
「まったくもうっ。ママの口添えが無ければ、こんなもんじゃなかったからね!」

 そう言ったリルムだったが、本当は自分の中で怒りは収まっていた。もっと小さい頃だったら自分の事しか考えず、考え無しに暴れていたかもしれないけれど。いつの間にか怒りの炎は自分の中で消火されてしまっていたらしい。まあここまで反省しているのだ、土下座までしたんだし、許してやるよ。
 リルムのため息を合図に、全員の肩から力が抜けた。

「あー俺ぁ疲れたぜ。ちと寝るから、誰かサウスフィガロまで頼むわ」
「セッツァー、なんでサウスフィガロ?」
「……祝杯ぐらい上げねぇのかよロック」

 サウスフィガロなら国王権限でタダ酒だろ、なるほどな、待て私はそんな事はしないぞ…
 そんな会話が繰り広げられる中、クライドはリルムを抱き上げる。リルムは些か抵抗したが、クライドは離さなかった。

「あら、どうしたの? シャド……じゃなくて、クライド?」
「……親子の、会話だ。悪いが席を外すぞ」

 セリスの問いに答えると、クライドとリルムは遊戯室を出た。
 いつも通り付いて行こうとするインターセプターをストラゴスが制す。

「ここで待つゾイ。な?」






 戻る事はないと思っていた為、クライドの部屋は(元々物は無かったが)初めて部屋を通された時のような状態になっていた。扉を閉め、シーツも掛けられていないベッドに腰掛ける。
 リルムは既に父の服を涙で濡らしていた。嗚咽が響く中で、クライドはリルムの帽子を取り、その頭を何年振りか撫でた。時の流れを感じつつも、変わらないものを確かに感じた。それはリルムも同じで、聞こえる鼓動に耳を側立てる。
 ずっと我慢していた。気遣う声に笑って応えて、無理して背伸びし続けて、生きているかもしれない父の背中を追うのを、諦めるようきつく言い聞かせてきた。それも、もうお終い。夢で父の背中を追いかけるのも。温もりを覚えるように、リルムはクライドの身体を抱きしめた。

「あいたかった」
「遅くなって、すまん」
「ううん」

 互いに強く抱きしめ合い、気が済むまで泣いた。
 父との再会が嬉しくて、母との別れが悲しくて……溜まっていたものが一気に溢れ出し、それが涙となって流れ出る。

 「迎えてくれる人」「自分の居場所、帰る場所」。それらを求めてはならないと戒め続けていたのに、ずっと待っていてくれていた人が居た。どれほど悲しませただろう、どれほど傷つけただろう。それなのに娘は、許してくれた。
 左手の薬指で輝く指輪に誓う。



 約束。果たすから。



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