短編 | ナノ


・新入りエースくんとクルーのお姉さん



 ぐらり、午後のモビー・ディクが大きく揺れた。

「…と、なんだよ急に!」

 転びかけて悪態をついたエースだったが、日の光を遮る大きな影に口を閉じる。嫌な予感を感じながら、恐る恐る顔をあげれば、巨大な生き物と目が合った。

「海王類!?」

 エースの叫びは、地響きのような吠え声にかき消された。どうやら、海の主は怒っているらしい。その巨体が体当たりをして、もう一度船を揺らした。
 途端に甲板にいたクルー達が悲鳴をあげて倒れる。このままでは、いくらモビーが頑丈とはいえ無事では済まないだろう。
 さっさと仕留めてしまおう。エースはぐっと拳を握って構えた。海王類もこちらを見る。タイミングを図るような睨み合いが続き、エースが動こうとした瞬間、船室の扉が大きな音をたてて開いた。

「っ、誰だよ!」

 出鼻を挫かれたエースが苛立ちまじりに振り返れば、エースに負けず劣らず不機嫌な顔をした女がそこに居た。真っ白なシャツにべっとりとついたインクがその原因だろうか。
 白ひげに来てまだ日の浅いエースとは、面識のないその女は、不機嫌な顔のままふっくらと魅力的な唇を開く。

「船揺らしたのはどいつ」

「えっと…、あいつ、です」

 吐き出されたドスのきいた声に思わず敬語で返事をしたエースに視線を向けて、女はそうと頷いた。
 その手が胸ポケットにさしたペンを取ってくるりと回す。くるくるとペンを回しながら、鋭い目が海王類を睨みつけ、その動きを止めさせた。

「エース、後でペン拾っといて」

「え、は?」

 戸惑うエースには構わず、彼女はダーツのように軽い動作で、手にしたペンを投げる。真っ直ぐに飛んだそれは、見事に海王類の眉間に突き刺さった。
 悲鳴が轟き、巨体が倒れる。衝撃に船がまた揺れた。

「書類やり直さなきゃなぁ…」

 自らが倒した海王類に興味も示さず、女はがしがしと頭をかきながら甲板に背を向ける。エースはただ呆然とその背を見送った。


ーーーーー



「…ペン拾っとけったって、どこに届けりゃいいんだよ」

 絶命した海王類から小さなペンを引き抜いて、エースはため息をついた。というか、こんな小さなペンで海王類を仕留めるのもおかしい。何なんだよあいつ、と再びため息がこぼれた。

「どうしたよ、エース。ため息なんかついて」

「…サッチか。いや、これどうしようかと思って」

「ん? ソフィアのペンじゃねぇーの。なんだ、仕留めたのあいつか」

 道理で傷が少ねぇと思った、とサッチは笑う。捌きやすくて助かるらしい。

「ソフィアっていうのか、あいつ」

「そういや、エースとはまだ会ってなかったか。ソフィア、最近部屋に籠りっきりだったからなぁ」

 ナースでもない女がいること自体、エースは初耳だ。先ほどの行動から見て、彼女は戦闘員なのだろう。自分より明らかに強い存在に、エースの胸はわずかに踊る。あんなに強い女もいるのか。世界は広い。

「そうだ、エース。それ届けるんなら、ついでに謝っとけよ」

「は、なんで?」

「あいつが部屋に籠ってんの、半分はお前のせいだから」

 きょとんとするエースが面白いのか、サッチはくくくっと笑った。


ーーーーー


 白ひげ海賊団会計長、それがソフィアの立場で、食費に整備費、医療費など、航海で必要になる金の管理が主な仕事らしい。
 ただでさえ、月末は忙しいというのに、エースが船を壊したせいで仕事が増えて部屋に籠っている。
 そう聞けば、流石に申し訳なくなって、エースは彼女の部屋に直行した。

「し、失礼します!」

「ん? ああ、ペン届けに来てくれたのか。ありがとう、エース」

 ほぼ初対面だというのに、そんな素振りを欠片もみせず、ソフィアは手を差し出す。戸惑いながらもその手に綺麗に拭ったペンを渡してから、エースは勢いよく頭を下げた。

「あの! 俺のせいで仕事増やしちまったみたいで、スミマセン!」

 部屋に沈黙が落ちる。エースがそれに耐えきれなくなる前に、伸びてきた手がくしゃりと頭を撫でた。

「謝んなくていいよ。家族のためなら苦労でもないしね。ほら顔上げな」

 優しい声に従って顔をあげたエースは、改めて見る彼女の姿に息を飲む。
 緩くウェーブした黒髪と、つり目がちな黒い瞳。色香を含んだふっくらとした唇は柔らかく綻んでいる。シンプルなシャツとズボンが、豊満な肉体をより際立たせていた。
 半ば呆然としていたエースだったが、女性にしては無骨な手が煙草を突きつけてきて我にかえる。

「え、なに…」

「火、くれない? マッチ切れてんの」

 これが他のクルーなら、俺は火種じゃねぇ、と断っていただろうが、ソフィアを前にすると何故か断る気になれない。自分でも疑問に思いながら、指先を炎に変えて煙草に火を付ければ、ソフィアにまた頭を撫でられた。

「えっと、あの…、ソフィア、さん。俺、エースっていいマス。自己紹介とか、遅れてスミマセン」

「ん。ソフィアでいいよ。敬語もいらない。家族なんだから」

 ふうっと煙を吐き出してから返された言葉がなんだか、くすぐったくて、エースはきゅっと唇を引き結んだ。気を抜けば、にやけてしまいそうで困る。

「ようこそ、白ひげ海賊団へ」

 そう言って優しく笑った彼女は、とても魅力的だった。

ペンは剣よりも強し(物理)


 そして彼女は誰よりも優しい。

 けれど、エースはまだ知らない。その、剣より強いペンが後に自分に襲いかかることを。

「エース! 書類やれって言っただろ!」

「うわぁぁ、ごめんってばソフィア!」

 それが日常になることを。



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