ポリジュース薬
一緒に来るか、というエースの誘いに首を横に振った。まだ気持ちの整理をするためにも一人でいたい、という私の言葉を優しいエースは受け入れてくれた。それが、少し前のこと。
あれから、そんなに時間は経っていないのに耳に届いたのは、最初は噂話。次はゴシップ記事。その次は海軍の公式発表。火拳のエースがインペルダウンに投獄された、と。そんな話。世間はその話で持ちきりだ。
エース。強くて優しくて可愛い私の弟。血の繋がりはなくても、私が家出中だとしてもそれは変わらない。だから、何もせずにいることなんてできなかった。
「……、大丈夫。できる」
ここからインペルダウンまではそう遠くない。海図で場所も確認した。たとえ鉄壁の監獄であっても、姿現しでなら侵入できるはずだ。
今のところ、この世界に来てから行ったことのない場所への姿現しは成功していない。それは、きっと「どこへ」の意識が不足しているからだ。姿くらましの基本は3つのD。「どこへ」「どうやって」「どうしても」。この「どこへ」が慣れない場所でうまくイメージできていないのだろう。
だから、エースを目印にする。モビーを目印にすれば移動している船の上に姿あらわしをすることはできた。同じ原理でならできるはず。できなくてもやる。
「…エースに会いたい。あの子のところへ…」
そう強く強くイメージして杖を振る。ばちん、と耳元でゴムが弾けるような音がした。
ーーーーー
……騒がしさに目が覚める。どうやら気を失っていたらしい。顔をあげれば、看守たちがばたばたと忙しなく走り回っているのが鉄格子越しに見えた。なんの騒ぎだろうか。
時々、聞こえてくる会話の中には、侵入者、脱獄、なんて言葉が混ざっている。侵入してきた誰かが上層の牢を開けて大騒ぎになっている。断片的な情報から推測すると、そんなところか。とんだ命知らずがいたらしい。誰だか知らないがすげぇな。
「あ、やっと見つけた」
「……ソフィア!?」
聞き慣れた優しい声がする。いつの間に現れたのか、暗い牢獄には場違いなほど明るく軽い調子で手を振るソフィアがそこにいた。しかも牢の中に。なんで、いつの間に。
…なるほど、命知らずの侵入者はソフィアのことだったらしい。魔女に不可能はないんだろう。
「なんで、って。あなたを連れ出すために来たの」
助けにきたってこと、と笑ったソフィアが杖を振る。がしゃん、と音を立てて枷がはずれた。海楼石が体から離れて少し楽になった。
そこで、ふと気づく。監視も周囲の囚人の目もあるはずなのに、全く騒ぎになっていない。まるで、この場におれとソフィアしかいないような、そんな錯覚さえ覚えるほどに、誰もこちらを注視していなかった。
「ソフィア、なんかした?」
あれとか、とじっとこちらを見つめている監視用の電々虫を指させば、ソフィアは目眩しかけといた、と簡単に答えをくれた。外からは何も変わった様子は見えないようになってるの、と。本当、なんでもありだな魔法。
「電々虫って生き物だから、魔法にかかっちゃうの。間抜けで可愛いわね」
「…………うん」
そうだった、こいつ怒らせたらいけない女だった。いつだったか、魔法で一切の身動きができなくなった日のことを思い出して冷や汗がふきだす。周囲にねだられて宴で見せた魔法なんて戯れでしかなかったんだろう。これが、ソフィアの本気だ。
黙り込んだおれを気にする様子もなく、ソフィアはごそごそとローブのポケットを漁っている。何をするつもりなのか分からないが、信頼できる相手だから、その様子を伺うだけにしておく。
「エース、ちょっと髪の毛ちょうだいね」
「え、なんで…?」
ぴっ、と髪を引き抜かれて、いてっ、と声をあげる。ごめんなさいね、と軽い調子の詫びを口にしながら、ソフィアは何故かその髪をローブから取り出した薬品に突っ込んで瓶を振った。ソフィアお得意の『魔法薬』ってやつだ。どんな効果のあるものなのか、見ているだけでは全く分からないけど。
「……なにしてんだ、それ?」
「バレるなら遅い方がいいじゃない? だから、エースの身代わり作って置いていこうと思って」
ソフィアの3分クッキングなんてね?と冗談を口にしながら、ソフィアはちょっと材料とってくるから、とおれを置いて牢から出て行った。……材料ってなんだ。
看守や他の囚人に見つかりはしないか、と少し不安になるが、たぶん、目眩し?というやつを使っているから誰にも見つからないんだろう。リスクのある行動はしない。ソフィアはそういう女だから。
「お待たせ、材料ゲット」
「いや、ソフィア、それ看守……」
しばらくして戻ってきたソフィアが材料、と杖を振っておれの前に転がしたのは気を失っている看守だった。いや、看守は材料にはならないだろ。どういうことなんだ。
おれの疑問なんて気にした様子もなくソフィアはマイペースにさっきの小瓶をゆらゆらと揺らして中身の状態を確認している。よし、と何かに納得したのか、それを無理やり気絶している男に飲み込ませた。
『魔法薬』の効果なのか、みるみるうちにその姿が変わる。髪の色も顔立ちも体つきも。しばらくして変化が終われば、そこに転がっているのは看守の服を着たおれそっくりの男になっていた。
「……え、おれ?」
「ポリジュース薬っていうの。簡単に言えば変身できる薬。あ、でも服までは変わらないから脱いでエース」
「あ、はい」
勢いに押されて、ソフィアの変な要求に素直に頷いてしまったおれは悪くないと思う。もう、考えるのやめよう。魔女ってなんでもあり。そういうものだ。
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