長編 | ナノ


  テルジオ


 姿くらましで行ったことのある島を訪ねて、魔法で路銀を稼いで船に乗り次の島へ。箒があればもっと自由に動き回れたのだろうけれど、あいにく相棒は白鯨の腹の中だ。
 普通の人の暮らしに混ざってみたり、海賊と戦ったり、交流したり、海兵に追われたり、退屈する暇もない。まあ、世界を一人で渡り歩くのも存外悪くはないかな、なんて少しは思えるようになった。
 傘下の島も何度か訪ねたから、みんなが私を探してくれていることは噂程度に聞いた。それでも、まだ、向き合えるだけの勇気がないから、こうして家出生活を続けている。

「賑やかな島で良かった」

 今回の路銀をどうやって稼ごうかなんて考えながら大通りを行く。人の多い賑やかな島なのか、通りに並ぶ店はどこも混雑していた。こういうところは、占いや物探し、用心棒から修理屋まで、稼ぐ方法がいくらでもあるから助かる。やっぱり魔法使いは杖があれば、生きていくのには困らない。

「ソフィア!」

 ふと、人混みの中、不意に名前を呼ばれた気がして振り返る。けれど、こんなところに見知った顔があるはずもない。…やっぱり気のせいか。
 そう思っていたのに腕を掴まれて、ひゃあ、と変な悲鳴が出た。

「やっぱりソフィアだ!」

「エース!?」

「おう!久しぶりだな!」

 人混みを抜けてきたらしいエースは、眩しいほど変わらない笑顔を浮かべて私の名前を呼んだ。

ーーーーー

 往来のど真ん中だと話しづらい、と半ば強引に腕を引かれて通りに面した店に入る。ここから、ここまで全部!と元気に適当な注文をしたエースの様子は普段と何も変わらない。まるで、今さっき一緒に船から降りて来たみたいにいつも通りだった。
 元気そうでよかった、と気遣ってくれるエースにうまく言葉が返せない。…なにを話したらいいんだろうか。

「ねぇ、エース…。サッチはどうしてる?」

 うまく言葉は出てこないし、本当は船の様子を聞くのが怖い。それでも、サッチのことだけは確かめておきたかった。
 傷の状態はあまり良くなかったし、応急処置は中途半端になってしまったから。最悪の事態を想像しては吐きたくなるような寒気に襲われる。そんな日々にはもう蹴りをつけたかった。

「サッチなら無事。生きてる。ソフィアのおかげだって船医が言ってた」

「……そう。それなら、よかった」

 無意識に詰めていた息を吐き出したら一緒に力が抜けた。少しだけ泣きそうだけれど、エースの前で泣きたくはないから堪える。私のしたことは無駄ではなかった。

「だから、おれはティーチを追ってんだ。…落とし前はつけさせる」

「え…、ティーチを?」

「あ…、そっか、ソフィアもほとんど何も知らねぇのか」

 戸惑っている私に気がついてエースは、サッチが語ったことを聞かせてくれた。悪魔の実を狙ってサッチとティーチが争ったことを。
 サッチが全部話してくれたから、もう誰もソフィアを疑ったりしてねぇよ、とその後の船のことも少しだけ。
 サッチの話を聞いたエースは、自分の隊の不始末だ、と皆の静止を振り切って飛び出してきてしまったらしい。あとでオヤジに怒られるかも、なんて頬を掻いているけれど、勝手に飛び出してきたのなら私も同じ。だから何も言えない。
 ご注文のお品です、なんて会話が途切れたタイミングで店員の女の子が運んできた食事に早速フォークを突き立てながら、エースは他に聞きたいことあるなら答えるけど、と軽く首を傾げた。

「………特に何も。サッチが無事だって分かったからそれだけで十分」

「マルコのことは聞かねぇのか?」

 気になるんだろ?なんて、妙なところが聡いエースが問いかけてくる。…知りたいけど、知りたくない。信じたい。だけど、もうあんな思いはしたくない。だから、なにも聞きたくない。
 いいの、と首を横に振れば、エースはそれ以上は何も言わなかった。…というか寝た。いきなり、がしゃん、と大きな音を立てて肉の乗ったプレートに顔を突っ込んで。急に糸が切れたように眠りに落ちるところ、久しぶりに見た気がする。

「ああ、気にしないでいつものことです」

 驚いている店員に笑顔でそう伝えて、自分の分の食事に手をつける。しばらく待っていれば自然と起きるだろう。いつもそうだから。なんだかんだとマルコの話がうやむやになって良かった。

「んぁ…、ねてたか!」

「寝てたわ。顔、すごいことになってる」

 寝るのが唐突なら起きるのも唐突で。はっ、と目を覚ましたエースの顔はソースでぐちゃぐちゃになっていた。まあ、皿に顔を突っ込んで寝ていたんだから当然だろう。

「『テルジオ』 …はい、これで綺麗になった」

 呪文をひとつ唱えて、その汚れた顔を拭ってやれば、エースはんん、と声を溢した。少し乱暴だった? と首を傾げれば、そんなことない、と頭を下げてお礼を言われる。妙なところが律儀で丁寧なのは相変わらずらしい。

「ソフィアにこうやって、顔拭いてもらうの、ちょっと好きなんだ」

 なんか不思議な感じがして、とエースが楽しそうに言うから、それはよかった、と杖をしまいながら返す。そういえば、よくこうしてエースの顔を拭ってあげていた気がする。しばらく一緒に食事をしていなかったから、ずいぶん久しぶりにやったけれど。

「また、おれが皿に顔突っ込んだらやってくれよ」

「まず、食事中に寝ないでよ」

 それもそうか、といつもと変わらない様子で笑うエースは、意識的なのか無意識なのかは分からないけど『また』をねだって、私が帰るのを受け入れようとしてくれている。それだけで、少し救われたような気がした。


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