続いたの | ナノ


  小さな幸せの中で



 王下七武海、海賊女帝ボア・ソフィア。世界一とも謳われる美貌の持ち主である彼女は、普段とは違う少女のように可憐な笑い声をこぼしていた。

「ロシー、そなたまたドジをして」

「…やっちまった」

 散らばった書類に、それをぶちまけた張本人であるロシナンテは起き上がりながら、あー、と声をもらした。けれど、愛しい彼女がこうして可愛らしく笑ってくれるなら悪くないのかもしれない。

「怪我はないか?」

「ああ。でも、書類散らばっちまった」

 ソフィアは構わんよ、と笑いながら、床に散らばった書類を拾い集める。ロシナンテがそれを手伝おうと手を伸ばせば、指先が触れ合った。あっ、と小さな声をこぼしてソフィアが手を引く。それを追ってロシナンテがソフィアへ視線を向ければ、その頬がほんのりと赤く染まっていた。

「わ、悪りぃ」

「…いや大丈夫じゃ」

 夫婦になってもう何年も経つが、ソフィアはいまだに僅かな恥じらいを残したままでいる。ふとした瞬間に顔をのぞかせるそれを、ロシナンテはとても可愛らしいと思っている。
 互いに顔を見合わせて、少しだけ笑う。なんでもないような小さな幸せに満ちた今を、ロシナンテは愛していた。
 だからこそ、唐突なその通信に動揺してしまったのだ。電伝虫の向こうの相手が、人の幸せを平然と踏みにじる男だと知っていたから。

『よぉ、ソフィア』

「……何の用じゃ、ドフラミンゴ」

 ぷるぷる、と鳴き声をこぼした電伝虫の受話器をとって、その向こう側の相手を確認したソフィアは不快そうに顔を歪める。
 通信の内容が気になって歩み寄ったロシナンテだが、いつも通りのドジを発揮し、どたん! とその場に倒れてしまった。
 大きな音に視線を向けたソフィアが、人差し指を口元に当てて静かにしろ、と声もなく伝えてきたので、ロシナンテはそのまま動きを止めた。

『たいした用じゃねぇよ。聞きたいことがあるだけだ』

「なんじゃ、手短に話せ」

『てめぇの国に俺の弟がいるって話だが、どういうつもりだ』

 ちらり、とソフィアの目がロシナンテに向けられる。一瞬だけ、何かを考えるようなそぶりを見せた後、ふっくらとした唇が、自信に満ちた声を紡ぎ出した。

「ああ、ロシナンテならばわらわの隣で寝ておるよ」

 ふふん、と相手を見下すような笑みを浮かべて、ソフィアはわざと誤解を招くような言い回しをしてみせた。流石に目の前に相手がいないので、見下しすぎて見上げるようなことはないが、豊満な胸を反らした姿は海賊女帝らしい堂々としたものだ。

「それで、わらわの愛しき夫に何か用かの、義兄上殿?」

 そして、盛大な皮肉をこぼせば、電伝虫がドフラミンゴの苛立ったような顔を再現してみせた。けれど、ソフィアは臆することもなく、不敵な笑みを崩さない。
 海賊女帝の夫。それは、ドフラミンゴでさえ手を出すことができないほどの立場だ。ソフィアの幸せのためなら、アマゾンリリーの女たちは全力でロシナンテを守るだろう。だからこそ、誰も彼を害することはできない。
 そしてなにより、ソフィア自身が愛する夫を守り抜くだけの力を持っているのだから。

『…フッフッフ、ロシナンテもいい女を捕まえたじゃねぇか』

「逆じゃな。わらわがロシナンテを捕まえたのじゃ。用件はそれだけだな? 切るぞ」

 ドフラミンゴの返答も聞かず、ソフィアはがしゃんと受話器を置いた。そして、くるりと振り返ると、動きを止めていたロシナンテを見て吹き出した。

「ロシー! 静かにしろとは言うたが、倒れたままでいろとは言っておらんぞ」

「あ、そっか!」

 今気づいたとでも言わんばかりのロシナンテに、ソフィアはあはは、と屈託なく大笑いしてみせた。そもそも能力を使えば音を消すことくらい簡単にできるというのに、それを忘れていたロシナンテはやはり少しだけ抜けている。
 ソフィアがあまりに笑うので、ロシナンテは恥ずかしそうに頬をかいていたが、ばつが悪そうな顔はそれだけが原因ではない。

「…ソフィア、悪ぃ。迷惑かける」

 ドフラミンゴは狡猾な男だ。ソフィアの脅しに表立っては手を出してこないだろうけれど、それでも何かをしてくるだろう。今だって、何かにつけちょっかいをかけてくるのだから。
 けれど、ソフィアは気にするな、とロシナンテの手を握った。

「安心せい。必ずわらわが守ってやるからの」

 それはそれは美しい、女神のような笑みを浮かべて言い切ったソフィアに、ロシナンテの胸がきゅん、と高鳴った。

「…ソフィアってば、本当にかっこいい」

「当然じゃな」

 そしてわらわは美しかろう、と続けたソフィアは、本人の言う通りいつもと変わらず美しかった。


小さな幸せの中で




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