続いたの | ナノ


  はじまり


 英雄なんて呼ばれていたあの男が、国民や妹の無事と引き換えに、とおれの耳元で囁いたのはもう随分と前の話だ。『しばらくは彼のところで勉強をさせてもらうことにする』と嘘をついて、自分の足であの悪党の元を訪れたのは。
 結局、おれが外に出られたのは、全てが終わった後だった。王女とおかしな海賊の活躍で悪党が倒された、その後。
 偽りの英雄の正体を知っていた。妹を、国民を、守りたかった。だけど、なにもできなかった。おれに出来たことなんて、ほんの少しあの悪党の目を逸らして、時間を稼いだ程度だろう。なにもかもビビが必死に頑張ってくれたおかげだ。
 長い軟禁生活のせいでおれの体は随分と弱っていた。激しい動きができるほどの力はないし、あの妙な薬を使われ続けたせいで、常にぼんやりと熱っぽい。そんな体では、国の復興の手伝いは何一つできなくて。皆、焦らなくていい、今は体を回復されることを優先しろ、と気を使ってくれるが、それが苦しかった。
 この優しく美しい国には、もうおれの居場所はない。それが、真実だ。悪党に手篭めにされた王子なんて汚点でしかない。そんなおれが国を背負う王になんてなれるわけがないんだ。分かってる。
 …おれがいなくてもビビがいる。誰よりも民を想う立派な王女が。だから、もう大丈夫だ。

「…ごめんな、ビビ」

 そっと音を立てないように踏み込んだ部屋で、ビビはぐっすり眠っていた。今日も一日、城下へ繰り出してよく働いてきたのだろう。本当に立派な王女様だ。
 穏やかに眠る妹が愛おしくて、少しだけ泣けた。その細い体に重いものを背負わせて、全ての責務を放り出して無様に逃げ出すことが情けなくて、不甲斐なくて苦しい。だけどもう、おれは心が折れてしまった。おれはもう、なにも背負えない。おれは、無力だ。

「ごめん…、ごめんな、ビビ。あいしているよ」

 本当は昔のように頭を撫でてやりたいけれど、こんな汚れきった手で触れることはできない。最後に可愛い妹の寝顔を目に焼き付けて部屋を出る。これでもう最後だ。
 心が折れて、無様にも逃げ出すのだ、と、だから探さないでくれ、とそんなことを書いた手紙はちゃんと自分の部屋に置いてきた。うまく頭が働かなくて支離滅裂な内容になっているだろうが、おれが国を捨てていくことだけ伝わればいい。探す必要もないのだ、とそれが伝われば。
 必要最低限の荷物だけ抱えて、王宮を抜け出す。昔から慣れ親しんだ場所だ。兵士に見つからないルートならいくらでも知っている。復興のため、人の出入りが激しい今なら、誰にも知られずに国を出ることくらい容易だ。
 …行くあてなんてどこにもない。だけど、それでいいんだ。これは死に場所を求める旅なんだから。



prev / next

[ back to top ]