「可愛い」なんて言わないで
片腕を失い怪我を重ねたせいで、あの戦争の後、しばらくは医務室で暮らす羽目になった。無理をしがちな阿呆のための特別処置だと、船医が言っていた。別にもうそんなに無茶はしないのに、信用されていないらしい。まあ、心配してくれているのだから文句を言うつもりはないが。
ただ、鍛錬も雑用も何もするなと口うるさく言われたせいでやる事がない。暇だ。
「よう、ソフィア。調子はどうだ?」
「今日も来てくれたのか、サッチ。調子はいいぞ。…ただ、暇だ」
サッチは毎日のように医務室を訪ねてくれる。その理由はよく分からない。ただ、気にかけてくれているのは嬉しかった。
暇で仕方ない、といつものように肩を竦めればサッチにだと思ったよ、と苦笑された。船医のやつ、本当に徹底しすぎだろう。
「じゃあ、ちょっと外行かねぇか? 無人島だから何もねぇけど」
「…船医が許可してくれるならな」
「散歩するくらいならいいって言ってたぜ」
ちゃんと船医に許可は貰ってきていたらしい。じゃあそれを最初に言ってくれ。いたずらが成功したみたいな顔をしているからわざとなんだろう。本当に愉快な男だ。
「自分で歩けるか? 難しいなら運んでやるぞ」
「足は無事だから大丈夫だ」
愉快な男がまた馬鹿なことを言う。抱き上げて運ばれるほど弱ってはいない。…それに、恥ずかしいから嫌だ。
ーーーーー
ぱしゃり、と裸足で海水を踏んで波間を進む。久しぶりに外に出られて気分がいい。
「水が冷たい。気持ちいいな」
「そりゃ良かったな。連れ出した甲斐がある」
寄せては返す波が足を濡らす。振り返れば、途中で放り出した靴が遠いところに落ちていた。散歩にしては少し歩きすぎたかもしれない。…まあいいか。体に不調はないし。
「思ってたより元気だな、ソフィア」
「ああ。船医がうるさいだけで、別にそんなに具合が悪いわけじゃないんだ」
傷の具合ももう随分と良い。ここは私がいたところより医療が発達しているから、思っていた以上に早く治っている。まだ時々腕は痛むが、我慢できないほどではない。タタリ神の呪いに比べたら随分とましだ。
ただ、腕がなくなった分だけ体が軽くなってしまったのか、少しだけ動きにくい。歩くだけでこれなら、当分は刀を握ることはできないだろう。ひとまず、体の動かし方を覚えるのが先だ。
そんなことを考えながら歩いていたせいだろう、不意に砂に足を取られて体が傾いた。
「あっ、」
「おっと、危ねぇ」
傾いた体が太い腕に抱きとめられる。大丈夫か? とサッチが心配そうに顔を覗き込んできて、どうしてかとても恥ずかしくなった。頬があつい。きっと真っ赤になっている。
「…大丈夫、だ。すまないサッチ」
「まだ片腕に慣れてねぇからしょうがねぇよ」
そう落ち込むなって、とサッチが笑う。支えられながら崩れた体勢を立て直してもまだ顔の熱が引かない。なんでこんなに動揺してるんだ。ただ少しだけ体が上手く動かなかっただけだろう。
「あ、そうだ。やっぱり抱き上げて運んだ方がいいんじゃねぇか」
いいこと考えた、なんて子供みたいな顔をしたサッチのせいでまた体が傾いた。今度は倒れたわけじゃない。膝の裏を掬い上げられれば誰だって体勢は崩れる。
軽々と横抱きにされて、また顔が熱くなった。確かナースがお姫様抱っこと言っていたやつだ。女の子の憧れだ、と。
「サッチ! 降ろしてくれ!」
「やーだよ! このまま船まで戻る!」
少し暴れたくらいじゃサッチはびくともしない。落ちるのも嫌だから、仕方なく恥ずかしい格好で船に戻ることになってしまった。
「やっぱ、可愛いとこあるよなソフィア」
「…本当にもう勘弁してくれ」
これ以上は恥ずかしさで死んでしまう。可愛いなんてよしてくれ、と片手で顔を覆えば、サッチはそういうところが可愛い、と繰り返した。
なんでそんなに楽しそうなんだ。 本当にもう勘弁してくれ。
「可愛い」なんて言わないで
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