海の上の眠り姫
この美しい男が無防備な寝姿を晒すようになったのはいつからだったか。フィンの寝顔を覗き込んでふと思う。
ここに来たばかりの頃は、マルコが少しでも触れれば飛び起きていたのに、今ではこうして頭を撫でてみてても起きる気配はない。
「…フィン」
声をかければフィンはほんの少し身じろいだ。けれど、相変わらず目を覚まさない。そっと体を揺すれば、起きたのか、フィンは眠そうに目を開けた。
「……マルコ?」
「おはよう。起きたかよい」
「まだ…、ねむい」
まだ半分夢のなかにいるような潤んだ瞳に見つめられて、なんだかたまらない気持ちになる。こみ上げる想いに任せてキスがしたい。しかし、マルコはその衝動をぐっと飲み込んだ。それは、まだ踏み込んではいけない領域だ。
手をつなぐこと、普通に体に触れること、顔に触れること、頭を撫でること。マルコが許されているのはそこまでだ。その先はまだ、フィンに許されていない。
どうにも複雑な事情を抱えたフィンは、男との接触を酷く怖がっている。だから、マルコはフィンが許す範囲でしか恋人らしいことをしないと決めているのだ。
「寝るんじゃねぇよい。ほら、起きろ」
「んー…」
本当は朝があまり得意ではないと分かったのも、フィンが心を許してくれたからだ。ぐだぐたとベッドから出てこないのを起こすのがマルコの日課になっている。
「おきる…、おれはおきる」
「いや、寝てんじゃねぇか」
口ばっかりで全く起きようとしないフィンを引っ張って少し強引に体を起こさせる。うー…、と謎のうめき声を上げる姿さえ、朝の気だるげな雰囲気と合わさって色っぽく見えるから困ったものだ。
「毎度思うが、眠り姫かよい」
「おれ、姫じゃなくて王子」
「まあ、フィンは男だしねい」
「あー…、うん」
曖昧な返事をしてフィンはようやくベッドを抜け出した。起き上がったら頭が回るようになったのか、その言葉は先ほどよりしっかりしている。
さらり、と首筋を青い髪が滑り落ちる。まだ結い上げていない乱れたそれを適当に流して、フィンは大きなあくびを一つした。
「おはよう、マルコ。いつも悪いな」
「好きでやってんだ。気にすんなよい」
フィンを起こすのはマルコだけに許された特権だ。他の家族ではこうはいかない。今のところ、フィンが1番心を許しているのはマルコなのだから。
ありがと、とはにかんだフィンは顔洗いに行ってくる、とドアに手をかける。しかし、部屋を出る前にあー…、と何かを言いよどんだ。
「フィン?」
「…おれが眠り姫だって言うなら、明日からキスで起こして」
自分で自分の発言に照れたのか、フィンはそれだけ! とばたばたと部屋を出て行った。
恋人の恥じらう様子に、マルコは思わず緩んだ口元を手で押さえた。どうやら、また一歩、踏み込むことを許されたらしい。
海の上の眠り姫
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