優しい世界はその手に
・エースとはくっついた後
・救済あり
ーーーーー
「……許さない」
しゃらり、と音を立てて簪を引き抜いたソフィアは、いつになく険しい顔をしていた。穏やかで優しい彼女がここまで怒りをあらわにするのも珍しい。
「オヤジ様。この戦場、私に譲ってもらうわぁ」
「…何するつもりだ、ソフィア」
戦うのよ、と鋭い目をしたソフィアだが、元々そこまで前に出るつもりはなかったのだ。家族が強いのを知っているから。無茶をすれば叱られるのを知っているから。だから、自分にできる範囲で戦うと決めていた。そうしろと言われていたから。だから、武器化魔装以外を使うつもりはなかった。
けれど、エースが苦しんでいるのなら話は違う。愛しい男を傷つけられて平気でいられるほど、ソフィアの心は広くない。
「……悲哀と隔絶の精霊よ、我が身に纏え我が身に宿れ、我が身を大いなる魔神と化せ! ヴィネア!!」
掲げた簪の八芒星が眩い光を放つ。光に包まれたソフィアの姿が変わった。
豊かな赤毛は澄んだ水のような青に。纏う服は薄く透ける羽衣に。そして、その手足を水色の鱗が覆う。手にした簪が剣に変わり、それを一振りした彼女は神々しいまでに輝いていた。
「私の大事な人を傷つけるのは、誰であろうと許さない!」
たっ、と甲板を蹴って宙へと舞い上がったソフィアは、ギラギラと怒りに満ちた目を敵である海軍へ向けた。そこには何時もの穏やかな彼女はいない。武人としてのソフィアがそこにいた。
「喰らいなさい!! 『水神散弾槍(ヴァイネル・アルサーロス)』!!」
空中に出現した幾多もの水の槍が剣の動きにあわせて容赦無く降り注ぐ。一つ一つが地面を穿つほどの威力を持ったそれは、敵を滅ぼす明確な意思を持って、屈強な男たちを吹き飛ばした。
「もう一撃!!」
「『氷河時代(アイスエイジ)』!」
二撃目の水の槍が空中で凍りついて砕ける。冷気の発生源を辿れば、怖えな、と息を吐いた青雉の姿があった。
「あらぁ、止められちゃった」
けれど、一撃を防がれたくらいでソフィアは止まらない。にいっ、とその唇が笑みを形作る。
よくってよ、と剣を掲げたソフィアの足元に、キィン、と音を立てて八芒星が浮かび上がった。
「悲哀と隔絶の精霊よ、汝が王に力を集わせ、地上を裁く大いなる激流をもたらさんことを!極大魔法『水神召海(ヴァイネル・ガネッザ)』!!」
海面がざわりと蠢いて持ち上がる。ひいぃ!と海兵が悲鳴をあげた。
逃れることができない大津波が襲いかかる。青雉が再び冷気を放つが、魔力を帯びて意思を持つ波は一部が凍りついても止まらない。
「これは…、ちょっと無理かも」
大津波が、戦場を飲み込んだ。渦巻く波が屈強な男たちを押し流していく。
ぐらり、と大きく揺れたモビーの上で白ひげがやりやがる、と大きな笑い声をあげた。
「あ、エース巻き込んじゃった!!」
あぁ! と慌てたように悲鳴を上げたソフィアだったが、視界の端に捉えた光に体を捻る。掠めた頬から血が滴った。
手の甲でそれを拭ったソフィアは、光の発生源を捉えてあらぁ、と間延びした声を上げた。
「残ったのがいたのねぇ」
「そう簡単にやられやしねぇよぉ〜」
面白いわ、とソフィアは水を纏った剣を振る。それを光でできた剣が受け止めた。
けれど、華奢なソフィアと黄猿とでは力の差は歴然だった。
「きゃあ!!」
鍔迫り合いの末、弾かれた小さな体が海面に叩きつけられる。そこに幾つもの光が降り注いだ。
「あれだけ大きな技やれば消耗はするよねぇ〜」
叩くなら今だろう、と黄猿は追撃の手を緩めない。ソフィア!と誰かが声をあげた。
けれど、そのままやられるほどソフィアは弱くないのだ。
ざばり、と水飛沫をあげて海面から宙へと舞い上がる。手にした剣は渦巻く水を纏い槍のように形を変えていた。
「『水神槍(ヴァイネル・アロス)』!!」
「っ!!」
貫通力に優れたそれは、受け止める剣すら砕いて、歴戦の大将を貫いて吹き飛ばす。海水でできた槍は、能力者である黄猿に大きなダメージを与えた。
倒した相手に興味はないのか、ひゅ、と空中を飛んだソフィアは、今度は自ら海に飛び込むとそこからルフを吸収していく。そして、海水を滴らせたまま、最後に残った大将を睨みつけた。
「あなたで最後ねぇ」
「やってくれよるのぉ、小娘!」
叫んだ赤犬がマグマを打ち出した。ソフィアは水の壁を展開してそれを防ぐ。凄まじい量の水蒸気が上がった。
マグマの圧倒的な熱量の前では、海水は全て水蒸気に変えられてしまう。はじめの大津波もそうやって防いだのだろう。赤犬は、ソフィアと最も相性が悪いと言ってもいい能力者だった。
「『水神散弾槍(ヴァイネル・アルサーロス)』!!」
「『流星火山』!」
空中で水の槍とマグマの塊がぶつかり合って消える。けれど、ソフィアが生み出す槍よりも、赤犬が打ち出したマグマの方が数が多い。ソフィアは宙を飛び時には剣でそれを弾くが、受け止めきれなかった塊が腹を直撃した。小さな体が吹き飛ぶ。危うく甲板に叩きつけられそうになったところを、白ひげの大きな手が受け止めた。
「無茶すんじゃねぇ、ソフィア」
「…止めないで!」
咳き込みながらも、ソフィアは再び空中に舞い上がる。その目は相変わらずギラギラと鋭い光を宿していた。
キィン、と音を立ててまたソフィアの足元に八芒星が浮かび上がる。いくら海からルフを吸収しているとはいえ、極大魔法の消耗は計り知れない。魔力が尽きる度にルフを吸収するのは、何度も死にかけるのと同じことだ。それでも、ソフィアは止まろうとしなかった。
「…我は召す、怒りを持って其を貫く水神の裁き!極大魔法『水神召海(ヴァイネル・ガネッザ)』!」
大津波が収束し巨大な槍へと姿を変える。赤犬がマグマで防ごうとするが、激流はそれすらも貫いた。
はっ、と肩で息をしたソフィアは、もはや誰も立つもののいない戦場を見下ろして、唯一残った処刑台に舞い降りる。
「っ、ソフィア…」
「巻き込んじゃってごめんなさいね、エース」
手にした剣でがしゃり、と枷を破壊したソフィアは、海水まみれのエースを心配しながら、ぺろっと舌を出した。その表情はいつも通りの可愛らしい彼女のもので、エースは少しだけ安心したように息をついた。
「エース、飛ぶからしっかり捕まっててちょうだいねぇ」
「ちょ、ソフィア!これはちょっと!!」
背中と膝の裏を支えられて抱き上げられ、エースは慌てた。いわゆるお姫様抱っこの体制は、男として受け入れ難いものがある。そもそも、華奢なソフィアのどこにこんな力があったのだろうか。
「だってこれが一番早いんだから、我慢して欲しいわぁ」
「……そう、だな」
たっ、と空中に飛び上がられてしまえばどうすることもできなくて、エースは諦めたように頷いた。
ーーーーー
「無茶ばっかりしやがって、この馬鹿娘が!」
「ごめんなさい!」
体が震えるほどの怒鳴り声にソフィアは身を竦ませながら謝罪を口にした。
無茶をした自覚はあるのだ。いくら金属器が強大な力を秘めているとはいえ、たった一人で海軍に挑むなど無茶以外の何物でもない。
しかも、マグマの直撃した腹に大きな怪我を負っているのだから、謝罪以外に返す言葉もない。
「オヤジ、そもそも俺のせいだから、あんまり怒らねえでやってくれよ」
「うるせぇ、おめぇもだぞエース!」
「ごめんなさい!!」
同じように叱られてエースは潔く良く頭を下げた。ソフィアを庇ってやりたかったのだけれど、エースも無茶をしているのだから怒られるのは当然だ。
「…ったく、おめぇらもう少し家族を頼りやがれ」
やれやれとため息をついた白ひげは、その大きな手で二人の頭を撫でた。とにかく無事でよかった、とこぼされた言葉にきゅ、と胸の奥があたたかくなる。
エースもソフィアも、親の愛や家族の愛なんてものとは縁遠かった。だけど、今はそのあたたかさが良く分かる。
「次からはそうするわぁ」
「次からはそうする」
ほとんど同時に同じことを言った二人は、顔を見合わせると揃って照れたように笑う。その可愛らしい様子に、家族がつられて笑ってくれた。
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