There's more ways than one to kill a cat.
※猫臨シリーズ拍手連載第二弾
「臨也……っ!」
ものすごい勢いで飛び出していった黒い毛玉を追って、窓から身を乗り出した。
ベランダの傍に生えている木の枝を伝ってアパート沿いの道路へと飛び出した小さな猫の姿は、あっという間に角を曲がって見えなくなる。
びゅう、と吹き込む風に、背後に立ち尽くしていたろっぴが「さむい」と呟いた。
しっかりと閉じた窓に施錠をかけ、ソファに投げ出してあったマフラーを手に玄関へと向かう。
靴を履き慣らす時間すら惜しんで玄関から飛び出そうとする俺の手を、細い指がやんわりと掴んだ。
「どこ行くの?」
相手がろっぴだという事も忘れて振り向きざまに睨み付けると、臨也の姿を借りた猫は困ったような悲しそうな曖昧な笑みを浮かべていた。まるで「置いて行かないで」とせがむ子供のように。
そういえば、最近はろっぴに構ってやる時間がめっきりと減った。仕事から帰ってきて膝に乗せてやることも、喉元をなでてやることもしていない。
人間の身体をしているのだから当たり前のようにも思えるが、こいつにとって俺は母猫のように甘えたい存在のままなのだろう。
出来うるかぎりの笑顔と柔らかな声音で「すぐ戻る」と告げ、柔らかな黒髪を撫でてやった。
「臨也見つけて帰ってきたら、飯作ってやっから」
気まぐれで、嘘つきで、皮肉屋。それが原因で何度もぶつかったし、俺は臨也のそういうところがどうにも好きになれない。
周囲を引っ掻き回すことばかりしているあいつのことだ。今だって、別にたいした意味があるわけじゃないのかもしれない。
気まぐれな猫にでもなりきっているつもりなのか、ただ散歩に出かけただけなのかもしれない。
けど、俺にはあいつが泣いているように思えてならなかった。抱き上げた身体は小刻みに震えていた。じっと俺を見つめる金色の目は、いつもと変わらずに透き通ったままだったけれど。
ちっぽけな黒猫の毛皮の下で、あいつは目元を濡らして泣いている。根拠なんかないが、なんとなくそう確信していた。

「静雄」
ドアノブに手を伸ばそうとした俺の身体は、背後からろっぴの両腕にすっぽりと抱きすくめられた。
段差がある分、今はろっぴの方が上背がある。負ぶさるような形で俺の肩に頭を乗せた男は、胸の前に回した腕をぎゅう、と引き締めた。
「放っておきなよ」
耳元にかかる吐息も声は、臨也のそれだ。だけど、俺にはまったくの別人のもののように感じられた。
臨也は、こんな穏やかな声で喋ったりしない。あいつが悪巧みの際に使う、作りこまれた「好青年」の声音とも違う。
折原臨也を真っ白に漂白して、そこに別の色を乗せたような――姿形が同じでも、やはりそれは別人だ。
細い手首をやんわりと掴み取る。いくら見た目が臨也とはいえ、中身は小さな子供も同然だ。怖がらせないように、細心の注意を払って拘束を振りほどく。
振り返った先にある赤い目はほんのりと涙で潤んでいて、思わずぎょっと目を丸めた。
「ろっぴ、お前……」
両目に溢れた涙は、あっという間に決壊して白い頬の表面をポロポロと流れ落ち始める。
臨也だけでなく、何でこいつまで泣いてんだ。一体俺が何したって言うんだ、畜生。
「静雄っ」
「うお!」
顔中をぐしゃぐしゃにしたろっぴが、懐に飛び込んで来た。抱きとめる暇もなく、玄関先に二人揃って崩れ落ちる。
冷たいコンクリートに背中から叩きつけられ、ほんの一瞬だけ息が詰まった。俺の身体をクッション代わりにしたろっぴに怪我がないことを確認して、ほっと息をつく。
胸元に鼻っ柱を埋めた男の頭をそっと撫で、「どうした」と問いかけてみたが、不規則に鼻をすする音以外に応答はない。
「静雄……静雄……、」
まるでそれ以外の言葉をどこかに置き忘れてきちまったんじゃないかと思えるほど、ろっぴは繰り返し俺の名前を呼んだ。
臨也は俺のことをあのふざけた愛称でしか呼ばないから、奴の声でそう呼ばれるのはなんだか気恥ずかしい。
嗚咽交じりにひとしきり名前を呼んだろっぴは、ようやく顔を上げた。相変わらず涙で濡れた目元を指の先で撫で、もう一度同じ問いを口にする。
「どうしたんだよ」
指先に頬ずりしながら、ろっぴはふにゃりと笑う。今泣いた猫がもう笑う――なんて、大して面白くもないことをぼんやりと考えながら、俺もつられて笑った。
ほんと、中身が違うだけで人間こうも印象が変わるなんて。臨也そっくりの姿をしていても、こいつは俺が長年追っかけ続けたあいつじゃない。そう思うと、少しだけ寂しく感じられた。
ほんのりと汗ばんだ手のひらで恐々と俺の頬を包み込んだろっぴが、ゆっくりと鼻先を俺の顔に近づける。鼻梁の先端を触れ合わせ、すりすりとこすり合わせる。勘の良い俺はとっさにろっぴの口を手のひらで塞いだ。
「んむ……、何で、」
鼻と鼻をくっつけるのは猫同士の挨拶みたいなもんだと、弟の幽から聞いたことがある。親愛の情を示す行動だから、怖がらないであげて、と。
だが、今のこいつは明らかに別の意図をもってして俺の顔に接近してきた。その証拠に、奴の潤んだ両目はまっすぐに俺の唇を見つめている。
あからさまに不満げな声を上げたろっぴは、俺の指にがじりと歯を立てた。
「何でじゃねぇよ、こういうことは好きな奴とするもんだ」
「俺は静雄のこと、好きだ」
「いや、そういうんじゃなくてよ……」
なんと説明すべきかと言葉を濁らせ、頭を掻く。
そもそも、ただ単に飼い主にじゃれついているつもりのこいつに、マジになってる俺の方がどうかしているのかもしれない。
手持ち無沙汰にさ迷わせた手のひらで、つやつやの黒髪をなでてやる。ろっぴは薄っすらと目を細め、それから困ったように笑った。
「うん、知ってる。静雄は、臨也のことが好きなんだろ」
まっすぐに俺を見据え、臨也の顔で、声で恥ずかしげもなく言う。
「この身体は、静雄の好きな臨也の身体だ。唇だって、舌だって。何が違うんだ?」
指先に触れていた唇が、するすると手の甲に降りてくる。皮膚の表面をくすぐる吐息の感触やギラついた視線は、俺の身動きをことごとく封じた。
「俺は、俺だったら……静雄に悲しい思いなんかさせないよ。隠し事なんかしないし、嘘もつかない。静雄を好きだって気持ちも、隠したり誤魔化したりなんかしない」
ゆっくりと紡ぎ出されるたどたどしい科白は、紛れもなく愛を紡ぐ言葉だ。
あいつの声で、あいつとは違う言葉で吐き出される、あいつと同じ想い。妙な感覚だった。
俺は素直な人間が好きだ。
純粋で素直な人間は、俺の怒りを煽ることがない。大嫌いなこの力を、極力振るわずに済む。
このまま一人と一匹の中身が入れ替わったままなら。俺は喉から手が出るくらいに欲しかった、穏やかな日常を手に入れられるのかもしれない。

「静雄……?」
水分をたっぷりと含んだ両目をしっかりと見つめ、薄い胸板を押し上げた。細めていた両目をこれでもかと丸め、ろっぴが悲しそうな声で俺の名前を呟いた。
「ごめんな」
歪んでいても、素直じゃなくても。それがあいつらしいと思う。
そんなあいつの不器用な本音を引きずり出せるのなんか、俺しかいねえんだ。
俺も臨也も馬鹿で意地っ張りで、どうしようもなくお似合いなんだろう。だから、あいつの皮をかぶっただけの赤の他人の愛の言葉は、やっぱり受け入れることができない。
呆然としたままのろっぴの頭をさらりと撫で、俺は革靴をつっかけて玄関を飛び出した。




 


今度は静雄が追いかける番。
この二人の追って追われての関係が大好きです。

(2013.10.1)

There's more ways than one to kill a cat.
猫の殺し方は一通りではない。
すなわち、何かを成し遂げる方法はさまざまある、の意。




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