like a cat on hot bricks. ※猫臨シリーズ拍手連載第二弾 |
すっぽりと身を包む毛布から顔を出して鼻を鳴らすと、視界の端で白い髭がひくひくと動いた。しんと静まり返った無人の部屋の中には、煙草の残りがだけが漂っている。 日当たりの良いベッドの上で大きく伸びをして、フローリングへと降り立つ。リビングから玄関を一回りしてダイニングへと立ち寄るが、そのいずれにもシズちゃんの姿はなかった。 頭上高くそびえるダイニングテーブルの上に飛び乗ると、そこには焼き魚が用意されていた。 綺麗にラップで包まれたそれを前足を使ってこじ開け、良い感じに焦げ目のついた魚の切り身に鼻先をうずめる。 塩も振られていない魚はひどく味気なかったが、鮮度の怪しい猫缶の魚肉を食べるよりは幾分かましだ。 「あ、臨也起きたのか。おはよう」 半分程度平らげたところで、背後からあくび交じりの声に名前を呼ばれた。 肩越しに振り返ると、寝癖で毛先がぴょんぴょん跳ねた頭を掻き回しながら、ろっぴがふにゃりと微笑んだ。 (シズちゃんは?) 「買い物行くっていってたけど。あと、えーっと……しんら?のところ寄るって」 (ふうん……全然気づかなかった) 「臨也、よく寝てたからね。朝出てったから、たぶんもうすぐ帰ってくるんじゃない?」 相変わらず締りの無い声でそう言うと、ろっぴは小慣れた手つきで冷蔵庫の扉を引いた。 俺がコーヒーを飲む時に使っているカップをテーブルの上に用意し、パックの牛乳を淵いっぱいまでなみなみと注ぐ。 傾けた勢いで少しだけテーブルの上に散らばった中身には目もくれず、彼はおいしそうに喉を鳴らしながらカップを煽った。 口の端から零れ落ちた乳白色の液体が、フローリングの上にぱたぱたと零れ落ちる。 思わず顔をしかめ(実際に表情が変わっているかは定かではないのだが)一声鳴くと、ろっぴは慌てて手の甲で口元を拭った。 成人済みの男が幼児のようにふるまう様は実に不気味である。なにより、それがよく見知った自分の顔で自分の体なのだから、軽く眩暈すらおこしそうだ。 ため息をつく代わりに、丸めた前足を使って顔中をごしごしと擦った。 ろっぴが人間に、そして俺が再び猫になって、もうすぐ一週間が過ぎる。 当たり前のことだが、当面の仕事は開店休業状態だ。シズちゃんを通じて波江に簡単なことの経緯を説明はしたが 物分りの良い彼女は文句ひとつ零さずに「出来る範囲の仕事はしておくわ」と了承してくれた。 はなから弟以外の事柄には毛ほども興味を示さないあの女にとって、俺が生きようが死のうが猫になろうがどうでも良いことなのだろう。 声の調子からして、元の生活に戻ったら嫌味の一つと共に、特別手当を強請られるに違いない。 「……?」 意識するよりも先に尖った耳の先がぴくりと震える。丸まっていた身体をしゃんと伸ばして、俺はじっと耳をそばだてた。 鉄製の階段を踏み鳴らす足音。歩調に合わせて、ビニールの袋が擦れるカサカサという音も聞こえる。どうやらシズちゃんが帰ってきたらしい。 俺がテーブルから飛び降りるより早く、手にしていたカップを流しに突っ込んだ目の前の男が一目散に玄関先へと駆け出して行った。 後を追うように椅子を伝って床に降り、その背中を追う。 初めは足取りすらおぼつかなかったくせに、彼は今や我が物顔で部屋を歩き回る。 言葉にも慣れ始めたのか、俺とシズちゃんの会話の橋渡しを率先して行うようにもなった。 猫としての暮らしにすっかり馴染んでしまっている俺が言えた義理ではないが、大した適応能力だ。 「静雄、おかえり」 玄関先で靴を脱ぐ飼い主に迷いなく抱きつくと、ろっぴは首筋に鼻先を擦り付けるようにして甘えた。 繰り返し言うようだが、それをしているのは折原臨也の顔なのだ。正直言って気持ち悪い。 「やめろって、くすぐってぇ」 子供をたしなめるような優しい口調で言うと、シズちゃんは小さく笑った。 胸の奥にこみ上げるドス黒い気持ちを精一杯込めて二人を睨みあげるが ろっぴはどこ吹く風といった具合で、あろうことかシズちゃんの腰に手を回し出した。 (ちょっと!ベタベタしないでよ) 低く唸り声を上げると、ろっぴは数回瞬きをして「どうして?」と小首を傾げた。 「いつも、静雄が帰ってきたときはこうして迎えてたぞ」 確かにろっぴは、シズちゃんによく懐いていた。 彼が仕事から帰れば一目散に出迎えに向かい、抱き上げられては喉を鳴らして顔をこすり付ける様を俺も横目で見てはいた。 ろっぴにとっては姿が変われど何も変わらない、歓迎の儀式の一環なのだろう。 だが、自分の恋人に自分以外の男がベタベタとまとわりつく様を見せられ、かつ手出しひとつできないこの状態。 俺にとっては生き地獄以外のなにものでもない。 「臨也……?なんで怒ってるんだ?」 わけが分からないと、でも言うように目を丸めるろっぴの足に噛み付いて威嚇をはかる。 とっさに振り払われたつま先は、俺の横面に直撃した。脳みそをシェイクされるような衝撃と共に、細い体は無様にもフローリングに転がった。 「おい、お前ら喧嘩すんな」 いよいよ本気で飛び掛ろうかというところで、シズちゃんの腕の中に抱きとめられてしまった。 逆立った背中の毛をゆっくりと撫でながらリビングへと移動するシズちゃんの後に、釈然としない顔をしたろっぴが続く。 片手にぶら下げていた買い物袋をダイニングテーブルの上に置きソファに身体を沈めると、細々としたため息を吐いた。 膝の上に乗せられた俺の顔を見下ろして、彼はぽつりとつぶやく。 「新羅んとこ行ってきた」 「にゃー……?」 「あいつにもお手上げだってよ。解剖解剖うるせーから、適当に殴って帰ってきた」 デュラハンという非科学的な存在が常に傍らに居るせいか、はたまた彼自身の器の広さの問題なのか。 新羅は「臨也が猫になった」という、普通の人間であれば到底受け入れられないであろう事象を、比較的あっさりと飲み込んだらしい。 その上で、解決策が無いものかと助言を求めたものの、こちらは「専門分野外だ」という一言と共に一蹴されてしまったという。 がっくりとうな垂れる俺の背中をゆるゆると撫でながら、シズちゃんは「でも」と言葉を続ける。 「セルティが言うには、前にろっぴの身体に入り込んだ時に、お前の意識と猫の意識が混線?したんじゃねえかってよ」 「混線?」 「あー……なんだ、ごちゃごちゃに混ざっちまったっつーことかな」 性懲りもなくシズちゃんの隣に陣取ってその肩にもたれ掛かるろっぴは、「ふぅん」と気のない返事を返した。 「お前とろっぴの意識が妙なとこで混ざって、スイッチみたいなもんが一時的に切り替わったんだろうとよ」 つまり、首なしの言うところの「スイッチ」とやらの正体が分からないことには、この状況を打開する術はないということだ。 シズちゃんは再度小さなため息を吐くと、俺の背中をぽんぽんと優しく叩いた。 「まあ、しばらくは様子見るしかねえな。焦っても仕方ねーし」 胸の奥に引っかかった小さな棘がちくりと痛む。 「にゃぅ……」 君は良いよね。口うるさい俺が喋れなくなって、実は清々しているんじゃないのかい? 口を開けば喧嘩ばかりしていた俺よりも、ろっぴみたいに素直に愛情表現をしてくれる相手の方が心安らぐんだろう? 恨み言を口にしようにも、何一つ伝えられないこんな惨めな俺を、内心あざ笑っているんじゃないのか? 「臨也?」 細い身体を気遣うようにそっと抱き上げられ、ますます惨めな気持ちになる。 腹の底にわだかまった不安と焦燥でどうにかなってしまいそうだった。 (シズちゃんには、俺の気持ちは分からないよ) 朝目が覚めるたびに、君を抱きしめられないことに絶望する。 傍に居るのにキスをすることも、ひとつの時間を共有して笑い合うことすらできない。 ろっぴに笑いかけるシズちゃんに嫉妬して、自分の身体を占領している男を憎悪して。 ほの暗い感情を一人で溜め込んでいく俺の惨めな気持ちなんか、シズちゃんに分かるわけがない。 「……っ、おい」 精一杯の力を込めて、シズちゃんの手首に爪と牙を立てる。案の定傷ひとつ残すことはできなかったが、その腕の拘束を振りほどくことに成功した。 フローリングに飛び降りた俺は、そのまま薄く開いた窓の隙間から外へと飛び出す。 背後から名前を呼ぶ声が聞こえたような気がしたが、冷たい北風に掻き消えてすべてうやむやになった。 そわそわして、びくびくして ← → いざ伝えられないと分かると、どうしても言葉にしたくなるものです。 (2012.11.29) like a cat on hot bricks. どこにでも気持ちよさそうにゴロリと横になる猫も 太陽の熱で熱々になったレンガの上では、足すら満足に着けることができない。 そんな猫のように、「落ち着かずに、そわそわ、びくびくして」というのがこの慣用句の意味。 |