enough to make a cat laugh. ※猫臨シリーズ拍手連載第二弾 |
「ちょっと待て」 一通りの経緯を喋り終わったところで、シズちゃんがタイミングよく“待った”をかけた。 難しい顔をして黙り込んだ彼の傍らにちんまりと腰をおろして 俺はふわふわと尻尾の先端を揺らしながら、今しがた耳にしたばかりの事実をゆっくりと脳内で反芻していく。 彼の言葉は要領を得なかったので、理解するまでに無駄に時間を食ったような気もするが ようは、折原臨也と猫の中身が綺麗に入れ替わってしまった、らしい。 “俺”の人間の身体を動かし、ことの顛末を不器用な言葉の羅列で語ってみせた男の正体は、俺達の飼い猫。八面六臂。 その猫の中身と、俺の中身とが、何の間違いかそっくりそのまま挿げ変わっているということだった。 「にゃあ……」 一体どうして。何が原因で、こんな妙なことになってしまったのだろうか。 俺の呟きは、もちろん猫の言葉にしかならない。掠れた小さな鳴き声に、ろっぴはふと首を傾げた。 「さあ、俺にもわからない」 なるほど。 どうやら今の俺の言葉も、元々が猫である彼には理解できるらしかった。 暖かな春の日差しが差し込む昼下がり、素っ裸の男が二人、猫を挟んで向かい合ってにらみ合う様はひどく滑稽だ。 ベランダの手すりに止まったスズメがまるで俺達二人と一匹を嘲笑うかのように、ちちち、とさえずった。 ぼんやりと窓の外を眺めているろっぴの横顔を見つめて、シズちゃんは一層眉間の皺を深めた。 「おい、臨也」 「だから、いざやはそっち」 ろっぴは相変わらず気の抜けた声で訂正する。 顔も声も、何もかもが俺のものだというのに、中身が違うだけでこうも印象が変わるものだとは。実に興味深い。 俺やシズちゃんほどこの現状に混乱していないらしい彼は、眠たげに目をしょぼつかせて生あくびを繰り返している。 シズちゃんの顔どころか、そっち、と指さした俺にすら目もくれやしない。 彼の視線は、窓の外で仲良く並んで寛ぐスズメたちへとまっすぐに注がれている。 羽の内側を嘴でつついて入念に羽繕いを続けるスズメの動きに合わせて 何がそんなに楽しいのか、時折ベッドから乗り出したりもしていた。 「……てめぇ、いい加減なこと言って、また俺をおちょくってるんじゃねぇだろうなあ?」 引き攣った笑みを浮かべたシズちゃんが、地を這うように低い声で凄む。 ……うん、そうだよね。信じられるわけがないよね。自分でこう言うのもなんだけれど。 俺が長年に渡りしてきたことと、昨日の喧嘩の後というこの状況で、彼が俺をすんなり信用するわけがない。 冗談だったらいいのにね、なんて嫌味の一つですら、今のシズちゃんには伝わらないのが悲しいところだ。 ガラス越しに不穏な空気でも感じ取ったのだろうか。 羽を休めていた小鳥達は、何かに追い立てられるようにバタバタと飛び立っていった。 青空の中に吸い込まれていく小さな影を名残惜し気に見送ってから、ろっぴはようやくシズちゃんへと向き直った。 「いざやは、うそつきだからな」 「はっ、自分で言ってりゃ世話ねぇな」 「でも、しずおもうそつきだ」 「……気持ち悪ィ呼び方すんな」 頼むからこれ以上、シズちゃんの神経を逆撫でしないでもらえるかな!余計にややこしい事になるから!! 屈託なく笑うろっぴと、こめかみに青筋を立て始めたシズちゃんの間に慌てて割り入った。 「にゃー」 「……ちょっと待って」 今にも殴り掛かってきそうなシズちゃんを制し、ベッドから飛び降りた俺に続いて、ろっぴがフローリングに降り立った。 何もないところで何度も躓きながらも、しっぽを立てて歩く俺の後に続く。 酷く不恰好な歩き方でよたよたと足を踏み出す様は、初めて二本足で立ち上がった赤子のそれと同じく、どこか危うい。 魔女に足を貰ったばかりの人魚姫だって、もう少しまともに歩けるんじゃないだろうか。 せめて床に落ちた毛布で下半身ぐらい隠してくれと文句を言ってやろうかとも思ったが 恐らくは無駄な時間を費やすことになるだけなので、潔く諦めることにした。 「にゃあ」 「しずおも、来いって」 イライラを紛らわせようと煙草の箱に手を伸ばしかけたシズちゃんに向かって一声かけると、ろっぴがそれを翻訳した。 訝しげにこちらを眺めていたシズちゃんは、床の上に散らばっていた衣服を適当に身に着けてから、しぶしぶと俺達に続く。 寝室のドアをくぐり、昨夜の波乱をそのままにしたリビングへ。 粉々になったグラスの破片を踏みつけないよう、慎重な足取りで部屋の中を斜めにつっきっていく。 幸いにも、ダイニングテーブルの上に避難させておいたノートパソコンは無事のようだ。 倒れた椅子を足場代わりにテーブルへと飛び移り、閉じたままのパソコンを前足でつつく。 ロックを外せずに四苦八苦しているろっぴに痺れを効かせたシズちゃんが、ノートパソコンの画面を開いた。 電源ボタンの上に前足を乗せ、スリープモードを解除する。 まっさらなテキストファイルを立ち上げてから、さてどうしようか、と思案した。 あまり小難しく考えても仕方がない。とりあえずは、一番伝えたいことだけにしよう。 前足二本を駆使して文字を打ち込んでいく。 飛び跳ねるためだけに特化したぷにぷにの肉球が邪魔をして、なかなかスムーズにタイピングができない。 変換は諦めて、ひらがなだけの短い文章をつづり終えた俺は、背後から黙って画面を覗き込んでいたシズちゃんを仰ぎ見た。 【しんしつは きんjえん。たばこは、りびんぐですって】 しかめっ面でモニターを注視していた彼の顔が、困惑と驚嘆を混ぜこぜにしたような表情で彩られていく。 唇に咥えていた煙草を揺らしながら、シズちゃんは小さな声で「マジかよ」と呟いた。 多分、俺も人間の言葉を発することができたなら、ろっぴの話を聞いた時点で一言一句違わずに同じことを呟いていたと思う。 「本当に、臨也……なのか?」 肯定を示す意味を込めて、一声鳴くとシズちゃんは今度こそ吐き出すべき言葉を見失ってしまったらしい。 「し、ず、おー」 「うおっ?!」 黙り込んでしまったシズちゃんの背後から、白い腕がにゅっと伸びて彼の身体をホールドする。 突然のことに目を白黒させているシズちゃんの背中には、俺……ではなく、ろっぴがぺたりと張り付いていた。 「お腹すいた。エサ、まだ?」 俺の身体を使って甘えたような声を上げないで欲しい、心底気持ち悪い。 シズちゃんも同じ気持ちなのだろう。引き攣った頬には、青筋ではなく薄く鳥肌が浮いている。 そういえば、俺もシズちゃんも昨日の夜から何も口にしていない。 現状をどうにか把握しおえて余裕が生まれたのだろう。薄っぺらな俺の腹もぐう、と悲鳴を上げた。 状況が状況なだけに、優雅に遅めのブランチ――などという気分にはなれそうもないけれど。 はあ、と大きく息を吐いたシズちゃんは、寝癖のついた髪をぐしゃぐしゃと掻き毟って、テーブルの上の俺をそっと抱き上げた。 「にゃ?」 「……てめぇも、腹減ってんだろ」 猫餌はごめんだからね。 にゃあ、と短く返事をした俺に、シズちゃんは生返事を返した。 猫が嗤うほどに滑稽な ← → 肉球タイピングを再現するために、膝に乗ってきた猫の両手を拝借して キーボードタップしたらものすごく迷惑がられました(笑) (2012.4.3) enough to make a cat laugh. 「猫が笑うほど可笑しい、滑稽な」の意。 |