The cat shuts its eyes while it steals cram.
※猫臨シリーズ拍手連載第二弾
「うわあああぁ!」
地鳴りのような野太い悲鳴に弾かれ、勢いよく身体が跳ね上がった。
ろくに瞼も開いていない状態だというのに、気付けば俺の身体は地面すれすれ這いつくばって警戒の姿勢を取っていた。
眠っていてもとっさに身の危険を感じ取って無意識に動けるなんて、まったく猫ってやつは実に素晴らしい。
……なんて、無意味な感慨にふけっている場合ではないのだけれど。
背筋を大きく逸らして、伸びをひとつ。ほぐした身体をゆっくりと起こして、丸みをおびた前足で顔を擦った。
手始めに爪先を舌で舐めて、くるくると顔全体をマッサージするように額から頬まで万遍なく擦り上げた。
驚いた拍子に膨れ上がって乱れた毛並みを慎重にとかして、寝ている間に折れ曲がってしまった髭の先まで丁寧に繕う。
すっかり板についた仕草を繰り返すと、不思議と心が落ち着いた。
「みゃっ?!」
ばさり。ほこりっぽい音と共に頭上から落ちてきた大きな毛布が、一瞬にして視界を遮断する。
ああ、もう。せっかく綺麗にしたところだっていうのに。
前足と鼻の先で分厚い毛布の波を掻き分けながら、真っ暗な迷路をかいくぐって外へと顔を出すと
カーテンの隙間から差し込む陽の光が、暗闇に慣らされた目の奥を容赦なく突き刺した。
(一晩たっても戻らない、か……)
今さらながら、じわりと落胆じみたものが胸の奥に滲んだ気がした。
目が覚めたら全部夢でした――というオチだったらどんなによかっただろう。
毛布に襲撃され、渦を巻いたように乱れてしまった背中の毛並みを舌先で整えながら、俺はそっと溜息を吐いた。
すっかりピカピカになった毛並みに一息ついたところで、後ろ足に力を込めて力強く地面を蹴りつける。
天辺の見えないサイドテーブルに飛び乗り、置き型の目覚まし時計を確認した。
時刻は正午を少し回ったところだった。

「臨、也っ……?」
名前を呼ばれ、無意識にシズちゃんへと視線を向ける。そこでふと、違和感に気付いた。
今のこの姿を見て、彼がこのちっぽけな猫を俺だと認識できるはずもない。
俺が猫として暮らしていた、あの不思議な数週間の出来事について、シズちゃんには何一つ知らせていないのだから当然だ。
「実は俺、猫として君と暮らしてたんだよね」などと言ったところで、とうとう頭がおかしくなったかと哀れまれるのが関の山だろう。
自分自身ですら、今でもあれは夢だったんじゃないかと思うときがあるのだから。
彼が“臨也”と呼ぶそれは、ベッドの上で昏々と眠り続けている抜け殻のことを指しているのだろうか。
「ふぎゃっ?!」
何の気なしに振り返って、俺は思わず目を見張った。
真っ白なシーツの張られたキングサイズのベッドのマットの上。
そこには、素っ裸のシズちゃんに同じく身一つでのしかかる“俺”の姿があった。
日の光に照らされた頬をほんのりと桃色に上気させながら、シズちゃんは絡みつく腕から逃れようと懸命に身を捩っている。
もう片手では足りないほど身体を重ねているくせに、セックスの翌日、素面に戻った彼は決まって死ぬほど照れるのだ。
照れ隠しからか平素に輪をかけて不機嫌になるのが珠にキズだけれど
でかい芋虫みたいに毛布に包まったまま動けずにいる彼にキスしてやるのも、実は嫌いじゃない。
しつこくやりすぎると怒りのゲージがあっという間にMAXに到達してしまうので、引き際が肝心だったりするのだけれど。

それが、どうしたことだろう。
不気味なものでも見るような表情で凍り付いているシズちゃんの頬を、ぺろぺろと根絶丁寧に舐めている“俺”
恋人たちの朝の睦み合いというよりは、まるで犬か猫が母親に甘えるような幼い仕草にも見える。
そもそも、俺達は喧嘩の延長のようなセックスをした後だ。
本来であれば、今この場には死ぬほど気まずい沈黙が漂っていてしかるべきだというのに、この状況はなんだ。

いや、それよりも何よりも。
今、“俺”は猫の身体を借りて、ベッドから飛び出している筈ではないのか。
あまりにも異様な光景に、俺は身動きも取れずにじゃれ合う二人の様を眺めていた。
(……あれは誰だ?俺?俺はここに居る……よな?)
そう。今、折原臨也は猫だ。猫の身体に入っている俺の方こそ、折原臨也なのだ。……うん、これは間違いない。
一度あることは二度あると言うけれど、その言葉通り今の俺は再び猫の――ろっぴの身体にお邪魔する事態に陥ってしまっているらしい。
原因は分からない。けれど、あの時と今とでは、少なからず状況が変わってきていることは確かだった。
不慮の事故で俺の中身がそっくりそのまま猫に入ってしまった、あの時。
空っぽになっていた人間の体は、ただひたすら眠り続けていたはずだ。
しかし、今、持ち主不在の身体の中には、“何か”が潜り込んでいる。
「ん、気色悪ぃ……って、」
混乱した頭の中で必死に今この状況を整理しようと試みるも、考えは一向にまとまらなかった。
そうこうしているうちにも、俺の身体を動かしているその“何か”は遠慮なしにシズちゃんの顔を舐め回し続けている。
くすぐったそうに身を捩る様がお気に召したのか、耳の裏側や、果ては白い項にまで舌を這わせ出す始末だ。
己の身体を、自分以外のものが我が物顔で操る姿は、はっきり言って気持ちの良いものではない。
苛立ちを紛らわせようと、細い尻尾を鞭のようにしならせて左右にぶんぶんと振る。
(いつもは嫌がるくせに)
何へらへら笑ってんだ、シズちゃんの馬鹿。
自分自身に嫉妬しているなんて、はなはだ馬鹿馬鹿しい。でも、あれは俺であって俺じゃない。
堂々巡りの思考とイライラがいよいよピークに達しようかという、まさにその瞬間。
俺(もどき)の唇の隙間から覗いた舌がシズちゃんの唇を掠めた。

「ウウゥ〜……!シャー!!!」
気づいた時には、ベッドに襲い掛っていた。
重なり合った二つの身体の間にもぐり込んで、わけも分からずにうめき声を上げる。
小さな頭を使って、べったりとシズちゃんに圧し掛かる“俺”の身体を無我夢中で押し返した。
“俺”じゃない“何か”が“俺”のフリをしてシズちゃんに迫るだなんて、冗談じゃない!虫唾が走る。
喉の奥から目いっぱい凄みを利かせた唸り声を発し、全身の毛を逆立てて威嚇し続けた。
ほんの少しだけ怯んだ相手に追い討ちをかけるようにして、鋭く尖った鉤状の爪をむき出しの二の腕に振り下ろす。
「いてっ……!」
シズちゃんの肩を押さえつけていた両手を引いて、“俺”はとっさに身体を仰け反らせた。
さらに数回、追い討ちをかけるべくパンチを繰り出すが、すれすれのところで回避される。我ながら瞬発力がいい。
最初の一撃が思いのほか深く突き刺さったらしく、白い素肌に残った爪あとからは、鮮血が滲み出し始める。
結果的に己の身体を傷つけることになってしまったが、そんなことには構っていられなかった。
というよりも、考えるよりも先に身体が動いてしまっていたのだから仕方ない。
本能的、とでも言うのだろうか。動物的な感覚。まるでシズちゃんみたいだと思った。
「お、おい。ろっぴ、どうした?」
ちっぽけな猫のあまりの剣幕に気おされたのか、戸惑いを含んだ声が頭上からぼそぼそと降り注ぐ。
人間の“俺”の身体を押しのけ、ベッドの上に体を起こしたシズちゃんは、ぼうぼうになった子猫の毛をそっと撫でた。
「おい、臨也。何かこいつ、様子おかしくねえか?」
何度撫で付けてもすぐにぶわりと立ち上がる毛並みを見て、どうしたものかと目の前の“俺”を見やる。
腕に残った傷を舐めながら、“俺”はしばらく押し黙って何か思案しているようだった。

「しずお、ろっぴは俺だぞ」
「……は?」
「それ。そっちが、いざや」

ひどくたどたどしい口調でのたまうと、“俺”はへらりと笑ってみせた。




 


臨也⇔六臂
六静+臨(猫)静の三つ巴。
何気にろっぴさん人気でびっくりしました。
人間のくせに猫みたく捻くれてる臨也さんとは対極をいく無邪気肉食系。

(2012.3.20)

The cat shuts its eyes while it steals cram.
猫はクリームを盗むとき目を閉じる=人は欲にかられて悪事を働くとき
罪の意識に目をつぶるものだ、ということ。




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