童貞は成人を前に奴隷と化す
(どす黒い三途の川を俺は征く)
「燦、気持ち悪いからやめろ」

同い年の幼馴染みが真顔で宣う。
新役員として否応なく指名したのは自分なので、文句の一つは言われても仕方なかった。中等部自治会の会長を引き抜いたのだから。

「酷いなー、気持ち悪いって何?」
「判らんなら良い」
「久し振りだねー、佑大。そろそろ戸籍の無駄な点は消したの?」
「は。佑大だろうが佑犬だろうが何も不便ねーから、どうでも良いだろ」
「相変わらず男らしいね。確かに戸籍上の記載が『高坂佑犬』だろうと、タスクはタスク。無駄な提案だったねー、謝るよ」

表情の変わらない幼馴染みは、未だに初等科生徒と大差ない小柄さながら、中等部三年生である。

「つーか、お前ほど合理的だと人生つまんねぇんじゃね?もっと余裕を持てよ、あらゆる面で。若いんだしよ」
「もー、僕はいつも楽しいよー?そんな事より佑大、今日から中央委員会副会長と書記を兼任する事になるけど、宜しくねー。新しい中等部自治会長は誰になるの?」
「や、俺まだやるとか言ってねぇだろ。引き継ぎも終わってねぇし」
「え?帝君なのに?佑大と僕がいつも満点で勝負にならないから僕、高等部に進んだのに」
「いつもだと?一年の時の一斉考査と選定考査で同点だっただけじゃねぇか、帝君は二人も要らないとかほざいて勝手に後期からスキップしたんだろうが」
「英雄陛下だって初等科の時に卒業資格を取って、在学中はお昼寝ばかりしてたって話だよー?だから僕、陛下にはお会いした事ないもの」
「あの人を同等に語るな。ありゃ人間じゃない」

呆れた声音の幼馴染みは、宝石の様に美しい蒼い双眸を僅かに細め、馬鹿にした様な笑みを浮かべる。大人びた嘲笑に、背がぞくりと粟立った。

「…んー、佑大は本当に格好いいよねぇ。一度で充分だから、泣いてるとこ見てみたいなー」
「言ってろサディスト」

ネイビーブルーのブレザーを脱ぎ、吐き捨てながら副会長の席に向かう小柄な男のシャツの下は、一切の無駄がない筋肉で覆われている。見た目は小学生、体はマッスル、中身は年寄りだ。何があろうと声を荒げず、何があろうと臨機応変に、川を流れる一枚の柳葉の様な生き様。

「物には限度がある。他の役員を一気に辞めさせる奴があるか」
「左席がリコールしたんだもんー、仕方ないよー」
「んなもん、今の左席会長がお前の親衛隊だからだろうが」
「うーん、イケメン副会長、眼福だよねー」
「あ?」

彼のファンはかなりの数だ。然し根っからの男なので、むさ苦しい男からの求愛は片っ端からお断りしている。腕力と嘲笑で、だ。

「にやにやすんな、気持ち悪い」
「え?僕にやにやしてた?」
「何度も言ってんだろ。お前は合理的な振りした、無駄だらけの人間だってなぁ」

見た目の色合いは母親に。
然し顔立ちは父親に。中身は両親の性格を合わせて毒消し草を混ぜた様な、そんな高坂佑大の言葉は、やはり何の効果もなかった。

「大体、無理矢理スキップしといて何でまだ二年なんだ」
「あはは。スキップした年に卒業認定貰ったんだけどさー。お父さんからねー、18になるまで卒業するなって怒られたんだよねー」

成程。
あの二葉叔父なら有り得ると、佑大は父親の従弟である愉快魔王を思い出した。今年からは下の娘も中学生、そろそろ夫婦水入らずの時間が欲しいのだろう。彼の嫁への暑苦しい愛は近所でも評判だ。隣の家の佑大は知っている。

「で、去年から改めて再入学した訳か」
「困るよねー、子作りの為に子供を追い出すなんてさー」
「そこは空気を読んでやれ。夫婦円満こそ、延いては子の為にもなるんだ」
「判ってるけどさー。お母さんは大学なり就職なり好きにしろって言うんだけど、大学なんか無駄しかないし、この年で就職したって、年上振った老害から苛められるに決まってるよねぇ、やだやだ」

誰がお前を苛めるか、と。
佑大は深い溜息を飲み込んだ。カタカタと慣れた手付きでタイプライターを操る佑大は、パソコンに触ると爆発してしまう難儀な性分なので、携帯さえ使った事のない、若おじいちゃんである。

「お前はまだ良い、幸せだぞ燦。何せ秋葉は大人しくて可愛いし、」
「あはは。騙されてるよねー。何、佑大、またお姉さんに苛められたの?」
「お袋が編んでくれたカーディガン、帰省した時にうっかり置いてきたら速攻取られてた。しかも家に女連れ込んで親父と殴り合いの騒動でな」
「あー、秋葉と違って雛お姉さんは体格がいいもんねぇ。おっぱい大きいし」
「そしたらその女がお袋に惚れやがって、姉貴と親父から追い出されてんの」

目に見える様だ、と。
伯父である日向を思い浮かべた燦は、忽ち佑壱の作る抹茶パンケーキを思い浮かべる。

「抹茶味のパンケーキ、今度の休みに食べに行こうかなー。お母さんに頼んでも円盤形の炭にしかなんないんだよねー、何でかなー、作り方は間違ってないんだけどなー」
「ダークマターが働いてるな」
「うん、ダークマターが働いてるね」

中央委員会会長、叶燦、その母親は暗黒物質までも操る、全世界の魔帝だ。何がどうなったのか、父方の家系であるヴィーゼンバーグ公爵家の爵位を継承し、前女公爵から『最高の逸材』と言う遺言まで残された、文字通り最強公爵である。
彼がひとたび怒りを露にすれば、暗黒物質ダークマターが宇宙から飛来し放電するとさえ言われており、逆らう者はまず居ない。

「燦、算盤はあるか」
「要らないから電卓もないよー。計算は僕が暗算するからこっちに回してー」
「判った」

こうして中央委員会は、会長兼会計、副会長兼書記により、新たな一歩を踏み出したのであった。














「へぇ、それじゃ、叶君に会ったの?」
「かのー?」
「叶燦。確か黒百合って呼ばれてる、綺麗な男の子だった筈」

コンソメポテチを求めて、龍と共にスーパーへ向かいながら、悟郎は何処かで聞いた名前だと首を傾げる。然し思い出す前に、激安スーパーであるワラショクが見えてきた。

「確かまだ14・15歳だった筈だけど、何年前だったか…中等部進級の時かその直前だったか、何かあったって聞いた事がある様な…。それで途中から、高等部にスキップしたんだ」
「スキップ?これか?」

店にスキップしながら入っていく悟郎に笑う龍は、ふるふると首を振った。近頃では悟郎の兄である太郎の為に料理の修行をしている龍はカートを手に取り、

「あの子は中等部を抜かして、高等部に入ったんだよ。俺らの卒業前だったかな。だからまだ本当なら中等部三年くらいじゃないか?」
「はー、そんな事出来るのかー」
「国際科以外は基本的に認めてない筈だ。特例中の特例、じゃなかったかな。ひぃ君も、本来スキップしてても可笑しくなかったし。結構、皆が噂してたよ」
「へー。中学生には見えなかったけどなぁ、どう見ても…。ずらーっとお供引き連れて、ヘーカヘーカって呼ばれてたぜ?うちの親父のあだ名もヘーカなんだけどさ…嘘?!安い!」

よもやのポテチ特売に目を輝かせた悟郎は、周囲の視線には構わずコンソメとうす塩をそれぞれ手に取り、余ったおつりで夕飯のおかずを作れるか素早く考えた。

「ポテチビッグバッグが2つで300円、特売5円のもやしと95円の卵で100円…ちっ、鶏ガラは無理か。グラム20円だけど500グラムじゃ母ちゃんのおやつにすらなんねェ…」
「ゴロー君、いつもご飯の用意手伝ってるんだったな。偉い」

最近は吃らなくなってきた龍に誉められて悪い気はしないが、悟郎の表情は優れない。

「…や、今夜は生きるか死ぬかの家族会議になるかも知れねェの。ご馳走用意して親の腹を満たしとかないと、俺マジ死ぬから」
「え?そんな、まさか」
「………母ちゃんですら、あのヒロ兄より握力あんだぜ、うち」

凍りついた龍の顔に真顔で頷いた悟郎は、続けて父はそれ以上だ、と呟いた。

「親父は怒らせたら不味い。怒った所なんか見た事ないけども、確実に俺死ぬ。高校時代の夏休みも、意思の疎通が図れなくて、両手の指の関節外された事があるんだぜ。…然も全部」
「全、部」
「キレた母ちゃんに顔掴まれても死にそうになるけど、無表情で十本の指の関節ボキボキ外す親父がキレたら俺どうなるのか、考えたくないざます」

そのまま無言で会計を済まし、余った百円で店先の自販機の50円のジュースを2本買った悟郎は一つを顔色を失った龍に渡して、よろよろと帰路に着いたのだ。


「…兄貴、お疲れ。今夜はカレーとかにかまサラダだって」

週末なので自転車で龍を迎えに来る予定の長男が、店前の電信柱の影で既に待機していたからである。自転車がはみ出している事に気付いているが知らない振りをしてやる龍は、お人好しだ。








「はふん。たまにはお鍋もイイわねィ、温まるにょ。カイちゃん、しーしー取って下さる?」
「ふむ。鶏ガラと肉団子しか入っておらなんだが、隠し味のコンソメポテチがキレておったな」
「キレ…っ」

びくっと肩を震わせた悟郎は、汁の一滴も残っていない鍋を青冷めたまま片付けた。
平日はセレブ、週末は庶民(寧ろ貧乏)生活を送る一家は、金土日は日本のボロアパート暮らしだ。別荘とも言える。
普段はアメリカの屋敷を往復するのだが、週末くらい友達と遊びたいだろうと両親が決めた制度。一般的にはおよそ有り得ないと言う事を、五つ子は知らなかった。

「悟郎ちゃん」
「ヒ!な、何、母ちゃん?お代わり?!」
「ふぇ?もうしーしーしたから要らないにょ。それより悟郎ちゃん、こっちにいらっしゃい」

ちょいちょい。
母親にて招かれた悟郎は洗剤をつけたスポンジから手を離し、ふらふらと四畳半の居間へと戻った。
アパート丸々遠野家の持ち物であり、六部屋ある内の一つは居間、一つは夫婦の漫画部屋、一つは修羅場部屋、二つは子供部屋、残りの一つは親戚の神崎隼人が仕事をサボる時に逃げ込むゲストルームである。

長男は男三人の子供部屋でイチャイチャと嫁と食事中だろうが、修羅場中らしい次男は食事も取らず修羅場部屋に籠っていた。
必然的に、居間には両親と姉二人。

「聞いたわょ、悟郎ちゃん」
「!」
「いつ話してくれるか、ずっとドキハラして待ってたのに…とうとう、肉団子がなくなっても黙ってるなんて…。いけない子!」
「か、母ちゃん、ごめ、ごめんよう!俺、マジでそんなつもりなかったんだって!本当に!」
「判ってるにょ。誰しも、落ちようとして恋する訳じゃないにょ!」

バン!
卓袱台を激しく叩きつけた母の眼鏡がレインボーに輝いており、末っ子は震え上がる。まぁ落ち着けおかっつぁんや、と湯呑みに注いだコーラZEROを手渡す父親は相変わらずの無表情だ。表情を読み取ろうとするだけ無駄である。

「年下のイケメンに口説かれたなんて!我が子ながらグッジョブなり!」
「…は?へ?」
「告白はどんなだったの?!みなちゃんもよりちゃんも廊下の窓越しに見掛けたって話だから、お母さんもう、気になって気になって気になって、久し振りに子作りしようかと思ってたのに心臓が止まって救急車で運ばれそうになったのょ!」
「お前の中に入る前にICUに入る所だったぞ俊、今度鼓動を止める時は俺を受け入れたままにしろ」

腹上死!
腹上死!
と、囃し立てる姉らを横目に、固まっていた悟郎は頭を振る。どうやら留年の話ではなかったらしい。

「あー、アイツは…何だっけ、中学のカノサン?とか言って、どっかで見た事ある様な気がしたんだけど…母ちゃん覚えてない?」
「カノさん?さァ、ご近所のカヨさんならみーちゃんのゲートボールフレンドだけどねィ」
「パパ!ママのほっぺに豆乳鍋のお汁が付いてますぜ!」
「パパ!ありゃあ誘ってますぜ!」
「案ずるな、既に気付いておる些末事。後で狭い風呂場に連れ込む手筈だ」

悶える姉二人はもう無視しよう。
無表情で母を凝視している父からはディープピンクなハートマークが連射されていたが、鈍い母と言えば眼鏡をパッションレインボーに染めたまま、ぐびぐびコーラZEROを飲んでいる。

「ぷは!…どっかで見た事があるなんて、ナンパで必須のご挨拶!悟郎ちゃん!此処は涙とコーラをぐびぐび飲んで次郎ちゃんは諦めるから!どんどん俺様に攻めなさい!」
「母ちゃんも諦めてくれ、俺はホモじゃない」
「悟郎ちゃんはクール俺様攻めなのょ!太郎ちゃんは甘えた攻めだったから!お母さんはねィ!俺様攻めに、何十年も飢えてるのよー!!!」
「自棄になるな俊」

子供は皆知っている。
俺様攻め候補だった父親がオタク化した為に、母は日向小父や二葉小父、朱雀小父にまで一縷の望みを懸けたが、悉く失敗。
何故か誰も彼も嫁の尻に敷かれ、母は絶望した。

「タイヨーもイチもちょっと性格があれだから仕方ないにしても!まさかスゥたんまでとわ!僕は何度涙で眼鏡を濡らした事か!うっうっ」
「何と哀れな…。良かろう俊、俺に任せておけ」

無表情で母を抱き締めた父から見つめられた悟郎はビクリと震え、そっくりな父子は暫し見つめ合う。この二人、何と声もそっくりだった。

「フィフス。そなた、成績が著しく平均に届かず、留年の瀬戸際らしいな」
「知ってたのかよ!」

姉二人を睨むが、二人は首を振る。

「勘繰る必要は皆無だ。この俺に判らぬ事などない」
「ちゃ、卓袱台投げるのか!」
「何だと?」
「…投げないなら、イイです。おとっつぁん、馬鹿でごめんなさい」
「そこで父はそなたに教師を手配した。如何なる馬鹿であれど効率的に学ぶ事が出来るであろう、優秀な人間を」

神威は無表情で俊の尻を揉み、娘を萌えさせながら、やはり無表情で囁いたのだ。


「セカンドとヒロアーキの息子、ソレイユの元へ行け」
「ソレイユ?」
「そなたの教師となりし、………新たな俺様攻め候補だ」
「へ?聞こえねーよ、おとっつぁん」

悟郎とは違い小声の父の台詞は最後だけ殆ど聞こえなかった。



遠野悟郎、19歳。
誕生日を前に、彼は実の父から罠に嵌められた事も、父に抱き付いた母がニヤリと笑んだ事も、姉二人が鼻血を吹き出した事も、隣の修羅場部屋から天井に忍び込んだ次兄がデジカメをフラッシュさせた事も知らぬまま、


地獄の方舟へ、突き落とされたのだ。



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