童貞は成人を前に奴隷と化す
(三途の川を渡るのは大船か泥舟か)
フィフス=グレアム、国籍に刻まれている本名は横文字だが実は書けと言われると難しい、そんな学力である彼は帝王院学園初等科の受験で残念ながら失敗した過去がある。

面接は兄弟の中で最も評価が高かった。
然し理事会議で当時百歳間近だった理事長が最後まで無表情で悩み、血を吐く気持ちで「不合格」と囁いたのは、理由がある。

形ばかりの筆記試験。
帝王院学園初等科の受験には、ひらがな50音と、簡単な足し算の問題が出るのだ。だから親は幼稚園に通う前から燃えている。



此処で一つ、問題が発覚した。

人生で勉強と言う行為を進んでやった事がない父親と、勉強してた筈なのにいつの間にかBL漫画読んでたと言う母親から産まれた末っ子は、漫画以外の本が苦手だったのだ。
一度見たものは忘れない長男と、産まれた瞬間から萌えていた次男と、極々普通の感覚で腐女子に育った長女次女、その中にあって最も器用であり運動神経の良かった末っ子は、可哀想だったと言う他ない。

長男と次男は面接で理事会役員一同を混乱に落としたものの、この内長男は試験が物足りないと切なげに零し、次男は鋭い目で「この程度で進学校とは片腹痛い」と痛烈に批判、「兄上の仰せに従い、今回の試験は無効に願いたい」と宣った。当時彼は六歳である。
然しそれにより彼らは別の試験を用意された。

この時、長女と次女から「ひらがな」の書き方と、林檎と蜜柑が一個ずつあると二個になる、と言う簡単な足し算しか習っていなかった末っ子は、悲劇のヒロインだ。
長男と次男は高等部卒業試験に相当する試験をクリアしたが、悟郎にはハードルが余りにも高かった。高過ぎてそこにハードルがある事にも気付かないレベルだったのだ。


これにより、本来の試験ならば受かっていた悟郎だけ、不合格となる。理事会役員が頭を悩ませ悩ませ、遂に下した決断だった。


他の親なら発狂しただろう。
然し悟郎の両親と言えば…ご存じだろうか否か、恐らく世界中で最もマイペースな夫婦であり、合格した長男と次男を誉めるでもなく、不合格だった末っ子を慰めるでもなく、デパートのランドセル売り場で購入した七色のランドセルを持ち帰り、家族7人お揃いでご満悦。

「カイちゃん、やっぱランドセルは赤なりん」
「ふむ、だが白も捨て難い」
「兄上!兄上ほど黒がお似合いになる方は存在しませぬ…!ハァハァハァハァ」
「うーん、残りは青と紫と緑とピンクかー」
「ヨリィは紫がイイな!ミーナは緑にしたら?ジロちゃんはお目めが蒼いから青ね!」

遠野悟郎。
選ぶ権利なくピンクのランドセルを与えられた彼は、公立の小学校へ姉二人と共に入学。当時兄弟の中で最も大人しかった彼はそれから半年でランドセルを投げ付け、初めて母親に大声で怒鳴る羽目に陥るのである。







グレアム一族は恐らく一般的ではなかった。
両親共に財閥の会長であり、片や世界最強のマフィアファンドの大富豪、片や日本一のお金持ちである。
然しすったもんだの末、平日はアメリカ、週末は日本のウィークデーフレックスを採用している様だ。悟郎が考えるだに、両親は休む暇がなかった。

以前、弟が欲しいと母にねだった事がある。
その時、数週間寝てなかった母は凄まじく荒んだ目付きで、コミケが終わったらと言った。
然し毎年、否、毎月何処かで行われているコミケ。悟郎の願いは未だ叶っていない。


「末っ子に人権なんて…ない」

遠い目で呟いた悟郎は、父である神威から預かったポテチ代で購入した最後のたこ焼きを頬張った。
チラチラと彼を遠巻きに見詰めている高等部生徒らは一様に顔が赤く、何やら楽しげに噂していたが、視線に慣れている…と言うより底知れず鈍い悟郎は、一切気にしていない。確実に母親に似たのだろう。

「あ、あの、た、たこ焼きお代わりなさいますかっ?!」
「…え?あ、いや、もうお金持ってないから」
「お代は結構です…!どっ、どうぞっ、英雄陛下ッ!」

高校時代に遅い成長期を迎えた長男と、悟郎は他人から見ると瓜二つだ。特に大学まで公立の学校に通っていた悟郎は、高校で二人の姉と別れ、偏差値の低さで知られたそこそこお馬鹿な共立高校に通った。噂で、あの学校なら馬鹿でも受かると聞いたからだ。

「英雄…?何か判らんけど、悪いな。ありがと」
「い、いいえ…!光栄で、ございます…!」

感極まり涙を浮かべた作業着姿の後輩に微笑み掛けた悟郎は、目の前で鼻血を垂れ流しながら崩れ落ちた作業着に飛び上がる。さささと素早くやって来た風紀委員が瀕死の作業着を連れていき、悟郎は余りの早業に目を白黒させた。

「な…何だったんだ?」
「…あれ?悟郎兄、何してんの?」
「ん?おー、佑大」

ネイビーブルー、中等部のブレザーにSバッジを付けた見慣れた後輩に、振り返った悟郎が手を上げる。ちょこまか小動物的な仕草で寄ってきた赤毛の可愛こちゃんは、父方の親戚だ。
父親の従弟の息子で、中等部に進学したばかりの様な初々しい外見に騙されてはならない、喧嘩の腕前は悟郎も認める所である。そして頭が良い、良すぎて会話が通じない時がしばしば。

悟郎は決して馬鹿ではない。
但し兄弟のレベルが高過ぎた故に自らを馬鹿のドン底と評価しており、自分の偏差値よりかなり低い高校へ進んでしまったが故の現状である。
半ば裏口入学と思っている最上学部だが、帝王院学園は裏口入学を一切認めていない事を此処に記しておこう。

「ご飯?」
「ん、たこ焼き。喰うか?」
「要らない。悟郎兄、顔色良くないけど生きてる?」
「死んでる様に見えるか?俺そんなヤバい?さっき枝にも言われたけどよ…」

合コンに誘ってくれた親友の枝は悟郎の顔色の悪さを心配してくれたが、芸能学部の悟郎をコンパに連れていくのはやはり本心ではないのか、偶々見掛けたから挨拶程度に声を掛けただけの様だった。
今日は早く帰って寝ろよ、と優しい言葉を掛けて去っていったので、悟郎は今更合コンに行きたいとは言えなかったのである。
親友の優しさを裏切れなかった、と言った方が正しい。龍とは違い、我が身可愛い枝に優しさなどほぼない。

「………あのさ、佑大」
「あ、次移動教室で美術室だから。じゃ」
「え?!…早!ちょ、もっと俺を構って!ちょ!」

小さい癖に性格も仕草も男らしい後輩は、人間とは思えない動きで近場の木を登っていき、5階辺りの廊下の窓へ消えていく。呆然とその後ろ姿を見上げていた悟郎は再び一人になり、ベンチに腰を下ろした。



寂しい。
やっぱり弟が欲しい。
もっと自分を励ましてくれる、可愛い弟が。
決してオタク活動中の次男の様に無視したりしない、決して長男の様に9割9分9厘会話が通じない事もなく、姉らの様に虐げたりしない、優しい優しい弟が。


「そしたら俺も…超可愛がるのに…」
「ふーん。具体的に言うと、どんな風に?」
「具体的?んー、そうだな、撫でたりキャッチボールしたり、たこ焼き分け合ったり…色々あんだろ?」
「成程。じゃ、あーん」

急に入ってきた他人の声に応えていた悟郎は、そこではたっと我に返る。恐る恐る隣を見れば、白いブレザーを纏う黒髪が、目の前で大きく口を開けていた。

「……………は?」
「あーん」

黄色い悲鳴が響き渡り、周囲の誰もがこちらを見ている。
何だ何だと慌てふためく悟郎を余所に、酷く綺麗な顔をした高校生は艶々の肌にさらさらの黒髪を靡かせ、またも「あーん」と言ったのだ。
芸能界に入って数年になる悟郎ですら稀に見る美貌に緊張しつつ、どうしたものだと数秒悩み、見ていたギャラリーからたこ焼きを指差されている事に気付いて、これか?とたこ焼きを差す。それそれ!とギャラリーから賛同を得た悟郎は恐る恐る、目の前で大きく口を開いている美貌へ、爪楊枝に刺したたこ焼きを運んだのだ。

「ど、どうだ?うううまい?」
「…んー、何か物足りないかなー。出汁をケチってるねー、キャベツも。これで500円も取ってるなんて原価を考えても割に合わない。会計、此処の帳簿は?」
「確認しました。ご指摘の通りやはりかなり杜撰です、会長」

もぐもぐと頬を蠢かせながら、いつの間にか屋台を取り囲んでいた他のブレザーに声を掛ける黒髪を呆然と眺めるしかない悟郎は、この時、留年の危機をすっかりさっぱり忘れていたのだ。

「と言う訳で、此処の屋台は取り壊し決定だねー。はい、お兄さん。500円はお返ししますから、そのたこ焼きは証拠として押さえさせて貰いますー。オッケー?」
「え?は?お、オッケー?何がオッケー?え?」
「良し、次はアンダーラインの視察に行くよー。時間の無駄だからさっさと実況見分終わらせてくれるかなー、君らたったこの程度で二日も無駄にしてるんだよー?」
「も、申し訳ありません、陛下!」
「直ちに報告書を取り纏め、改めてお詫びに、」
「あのさー、だからそれが無駄だって言ってるの」

何だ、この険悪な雰囲気は。
悟郎は目の前で繰り広げられているブレザー達の会話にひやひやしながら、奪われたたこ焼きのパックと、戻ってきた500円玉を交互に見つめた。


「僕に謝ってる暇があるならお仕事してくれたら良いからー。ポケットティッシュの方がまだマシ、使えるから」
「…!」
「へ、陛下…!」
「あはは。使えない役員はさー、使える子に取り替える必要があるかもねー。…そうですよねぇ、お兄さん?」


蛇に睨まれた蛙。
悟郎は、蛙の気持ちが痛いほど判った。

無言でコクコクと頷いた悟郎は無意識に手を伸ばし、笑顔でブリザードを撒き散らしている黒髪の美人を撫でたのだ。恐怖心だろうか。


「何か良く判らんけど、ティッシュペーパーはトイレに流しちゃ駄目だろ。ちゃんとトイレットペーパーを使えよ」
「え?」
「あ、美人はトイレに行かないんだった。悪い悪い」

きょとんと首を傾げる彼の背後の他のブレザー達が顔を強ばらせたが、鈍い悟郎と言えば、勝手に撫でてごめん!と顔を真っ赤に染めて、光の早さで逃げるしかなかった。



遠野悟郎。
平日はフィフス=グレアム、祝祭日は帝王院悟郎。



そんな彼の人生は今、分岐点に差し掛かったらしかった。



留年か、魔王か。
選択肢を選択する権利は残念ながら、ピンクのランドセルを背負って入学式に参加した彼には、与えられていない。



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