童貞は成人を前に奴隷と化す
(これぞ血も涙もない地獄でありんす)
世の中、誠に不合理だ。
そう悟ったのは、実に呆れた表情の講師から呼び出されたゼミの一室でレッドスクリプトを叩き付けられた瞬間だった。


赤文字だらけの紙、別名、赤点。

再提出。

劣。


「…遠野、お前マジでこのままじゃ留年だぞ」
「先生。俺、今回のテストとレポート、二週間本気で寝ないでめちゃめちゃ頑張りました。証拠はそこでボリボリ同人誌描いてる金髪が知ってる」

ビシッと狭いゼミ部屋の角、何処から持ち込んだのか蜜柑の段ボール箱を机代わりにガツガツホモを量産している3分違いの兄を指差せば、蜜柑箱に「腐った」と手書きで書かれている事に気付く。
お前は腐った蜜柑じゃない、ただの腐男子だ。

「ゆっ、指…差さないで…欲しいんだな…。ボっ、ボクみたいなウジ虫だってっ…ア、アメンボだって…みんなみんな、生きてるんだな…っ」
「今回は何役だよジロ兄、先生ドン引きしてんぜ」

ガタブルガタブル、と何度も呟きながら部屋の角で震えている所を見ると、根暗ぼっちオタクと言った所か。昨日がエリートマフィアだっただけにダメージが大きい。

「ひぃ君、また靴下が脱げてる」

どうしても彼が喋るとビクッと震えてしまうのは、性格こそとても良い人だと判っていても、彼の顔と声が、苦手なあの男にそっくりだからだ。あの童貞に優しくない、どう見ても年食ったヤンキーにしか見えない大河朱雀。

本日金曜日、遠野家末っ子、遠野悟郎は見た目こそ文句の付ける所のないイケメンだが、中身は極普通の低偏差値学生だった。
モテる男を見ると鳥肌が立ち、女の子の視線を感じても「どうせ俺じゃない誰かを見てるんだろ…ははは…」と自虐的に落ち込む、面倒臭い性格は家族と悪友以外にはバレていない。

「えー、勇者の君はともかく、お前は崖っぷちだ。見ろ、英雄陛下は勿論、神華の君、天華の君、果ては龍宮閣下までも余す所なく『優』。それに引き替えお前と来たら、余す所なく『劣』。

 俺はもう、天の君に会わせる顔がない…!」


男泣きだ。
わぁわぁ泣き喚く、年こそ取っているがそこそこ可愛らしい顔立ちの講師は腹を切ると宣い、光の早さで走り去っていった。

「ちょ、先生?!ま、待ってくれ、それって俺の所為?!俺の所為で切っちゃうの?!」
「悟郎、柚子姫先生を追い掛ける前におやつを作って欲しい。かにたま。お腹空いた」
「兄貴は蒲鉾でも食ってろ!成長期終わったろ!」
「かまぼこ、もうないんだよ」
「ひぃ君、俺のポッケにチーカマがあった。どうぞ」

にこ。
晴れやかな男前スマイルで『ポッケ』発言をした長男の嫁に、弟はときめいて自ら己の頬を殴った。

「おのれ…!俺は、俺は決してBなラブには屈しない…!このままじゃ遠野家は滅びてしまう!ヒロ兄はホモ!ジロはオタク!姉貴は限りなく性別を誤魔化してる、あれは男だ!女じゃない!女は男に扮して男を口説いたりしねぇ!」
「あんだとコラ、テメー悟郎、もっかい言ってみろィ?犯すぞ」
「テメー悟郎、童貞処女を頑なに守ってんじゃねェ、この奥手が。孕ますぞ」

ああ。
運悪く、取り巻きのチワワを連れた姉二匹がやって来た。山程の赤点。チラッと見ただけでニヤリと恐ろしい笑みを浮かべた彼女ら…いやもう彼らで良い。
瓜二つだが一卵性ではない姉二人は、片方が黒髪レザージャケット、片方が銀髪レザージャケットに、揃いのバイオレットサングラスを掛けている。背中にはカルマ、腕にはカオスムーンとシルバームーンのロゴ。

「…姉貴、聞いた話だと最近、遠野ミナト?遠野ヨリト?偽名で街中徘徊してるらしいじゃねぇか」
「ゴローが有名になりすぎた所為だねィ」
「身内に芸能人が二人も居るなんて、お姉ちゃん嬉しいなり☆」
「「これからもどんどん有名になって、お姉ちゃん達を養ってねン!」」

ああ。
不合理だ。

中学時代にモデルデビュー。
パリコレ常連、今や俳優や監督まで務める親戚の叔父が身内だとマスコミに叩かれ、あっという間にトントン拍子。

プロダクションの社長からは大学なんか行かなくて良いと何度も唆されたが、家族で自分だけ高卒と言うのは、何ともなく母に申し訳ない。

帝王院学園の難関高等部外部入学を果たした母。家事能力の酷さに幼い頃から手伝いを買って出ている内に、いつからか器用貧乏に育ってしまったが、尊敬しない事もない母。



「か…母ちゃん…」

テレビの仕事が忙しくなると、どんなに夜遅くなっても寝ないで待ってくれていた母の眼鏡は近頃益々曇り、朝は律儀に「お弁当ょ」と唐揚げとおむすびを持たせてくれる。
残念ながら、おむすびの具も唐揚げだ。

「留年したら…!授業料が余分に懸かっちまう…!」

生粋のボンボン育ちである悟郎は、芸能界の給料を使った事がない。そもそも給料と言うものを知らない。
然しながら他の男兄弟とは違い、帝王院学園の初等科試験で落ちた彼は高校まで一般の公立校に通っており、中身は庶民だった。

「昔、高校で留年しそうになったダチが、留年したら親父が卓袱台ひっくり返すって言ってたな」

ああ。
不合理だ。姉からは仕事を頑張れと脅され、お陰で満足にキャンパスライフを送る事なく二回生で留年を示唆された。何処の大学も一回生と三回生は自動的に進級するものだ。

賢い長男は他人に勉強を教えられる様な性格ではなく、唯一の綱である次男は今現在頼りにならない。部屋の角でガタブルと震えながらガリガリ同人誌を描いている。

「お兄たま」
「なっ…何だ…?!ヒィイイイ…っ、こ、このボクをカツアゲするんだろう…?!蚊も殺せないオタクをコンクリート詰めにして核のプールに沈めるんだろう…!ガタブルガタブル」

話し掛けてもビクッと震えて、がり勉眼鏡をクイクイ押し上げるだけだ。全く話にならない。




仕事は楽しい。
ファンレターがトラックで届くが、それはまぁ、プロダクションのアルバイトさんが総出で書いてくれているものだろう。だがそれでも有り難い事だ。


家族の誰もが勉強などしない。
それに慣れて育った所為で留年の危機に立たされた今、どうしたら良いのか判らなかった。


今はただ一刻も早くここから立ち去りたい。



「親父…卓袱台をひっくり返したら、母ちゃんに叱られるんだろうな。ぐす。俺の所為で…ぐす」

今日は金曜日。
土日は週末、アパートの日だ。狭い四畳半の居間に鎮座する古くさい卓袱台を投げられたら痛いだろうな、と、考えながら、ふらり、ふらり、彼は長身を縮めて歩き出した。

不合理だ。
せめて今日が祝祭日なら。帝王院本家の屋敷に卓袱台はない。


「ぐす。何だよ畜生、最近やっと連立方程式が解ける様になってきてんのに…漢字検定は落ちたけど…ぐす」

全てを忘れて、高等部の生徒が商っていると言うたこ焼き屋台へ食べに行こう。今夜は帰れないから、朝に父親から預かったコンソメポテチ代500円を使い込めば良いのだ。

たこ焼きは庶民の味方。



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