龍クエスト
(Lv.6)
父さんが枝を連れて出ていくのを見送って、暫くぼんやりしていた時。


「鏡、いる?」

後ろからそれまで黙っていたひぃ君が覗き込んできて、頭の中がぐちゃぐちゃ過ぎて呼吸するのも怪しかった俺は、大きく息を吸い込んでから、ふるふると首を振った。

「…知、ってたの?」
「うん。龍君に暗示を掛けたのは、俺のお母さんだから」
「揶揄って、た?ひぃ君、俺の事、揶揄って遊んでた?…えだ、みたいに?」

ひぃ君から、道端で抱き締められた。



『ひぃ君は俺の、何?』

だから、質問に対して返答以外で答えるのは、条件が揃ってる場合だけだ。答えたくない時とか、回答者の性格とか。
汚くても必死な顔で、助けてくれと言わんばかり見上げる俺は、あくどい。


でも、ひぃ君は答えなかった。何も。ただ、困った様に微笑むだけだった。


頑固な枝も父さんも、母さんがこうやれば途端に素直になる。

傷付いた、って。悲しいよ、って。仲良くしよう、って。仲良くしたい、って。

何一つ感情を隠さない母さんは格好良い。駄目な事は駄目って言うけど、少しのミスは見逃してくれる。 
そんな母さんの真似が、俺に出来る筈がないのに。


何も言わないひぃ君に、離してって言いながらそっと胸を押せば、ひぃ君は無言で離れた。
ひぃ君から逃げる様にユートさんのお店まで小走りで行くと、虎柄のスーツ姿で煙草を咥えてる父さんが、物凄い顔で佇んでいて。

『ロン、…まめなはどうした』
『…え?あ、まな、は…』

この手に可愛い妹の姿がない事に、言われるまで気付かなかったなんて。俺は最低だ。


『こんばんは、いつもお年玉がお世話になってます』

後ろから聞こえてきた声に振り向けなくて。
頭を掻きながら三回も舌打ちした父さんは、俺の横を通り過ぎて「まめな」と、妹の愛称を呼んだ。

ひぃ君は父さんと知り合いで。
父さんはひぃ君を親しげに七光りと呼んで。

俺なんか、見えないみたいに。



父さんが久し振りに、長い話をしてくれた。
俺の眼は、大河が受け継ぐ不思議な瞳なんだって。お祖父さんやそのまた御先祖様に度々現れる瞳は、悪い人に狙われる事もあるそうだ。

父さんも子供の頃はとても苦労して、おばあさんはその所為で若くして亡くなって。父さんは自分の眼が嫌いだった。

けれど母さんのお陰で、今は好きになったって。


そんな事を聞かされても、俺は知らない。何一つ、判らない。

俺が口下手になった事も対人恐怖症になった事も全て、物心付く少し前に、幼稚園でいつもは黒い眼を真っ赤に染めてしまって、『気持ち悪い』って言われた所為らしい。

俺は泣きながら父さんや母さんに喚き散らして、暴れ回って泣き止まなくて。
困り果てた母さんが知り合いに頼んで、俺に催眠術みたいなものを掛けた。感情が高ぶる時に色が変わる瞳が、頻繁に現れない様に。

感情を鎮め、記憶を消して、誰にも、本人にも判らない様に。

魔法が解けるのは、人を好きになった時か誰かとキスをした時。この眼は、恋人にしか見せてはいけない。

『お前らの死んだはあさんからの、遺言だ。』

亡くなった、おばあさんの遺言。
この秘密は、生涯添い遂げると決めた人にだけ、打ち明けなさい、と。

父さんはだから、母さんが俺に催眠術を掛ける事を止めなかった。だけど今の俺は、まだ確かめてないから判らないけど、魔法が解けてしまってるみたいだ。

お前の人生だ、と。呟いて、妹を連れた父さんは枝も引っ張って帰っていった。


まだ、良く判らない。俺、馬鹿だから。
父さんから聞かされた話なのに、まだ。飲み込めていない。


「揶揄う?誰が?」

きょとんと首を傾げたひぃ君は、本当に意味が判ってない様だ。ぱちぱち紅い眼を瞬かせて、綺麗な笑顔には、人を馬鹿にした雰囲気は少しも感じなかった。

「じゃあ何で、い、いきなり、キス…とか…」

図書館で初めて会った時に。キスをしたのは、ひぃ君じゃないか。
ひぃ君がキスなんかしなければ、催眠術が解けて父さんを困らせる事も、枝をびっくりさせる事もなかった。ずっと誰とも関わらないままだとしても、そっちの方がずっと。ずーっと、マシだ。

「ひ、ひぃ君の所為で、」
「だって、龍君が俺を好きだって言ったから」
「は…ぇ?」

目が合った。

「龍君が花びらまみれで本を読んでて、頭の上にちょーちょさんが戯れてた」
「う、ぇ?」
「忍び足で行ったんだ。いつもは父上以外の誰にも気付かれないのに。空気になれるのに」

手が伸びてきてビクッと震えたら、ひぃ君は眉毛をへにょんって、垂らした。


「龍君は、俺にすぐに気付いただろう?」

何だろ、ひぃ君が泣きそうに見える。

「俺は判る。父上が人混みを雑音と呼ぶ気持ちも、母上が一生懸命書いてる事も、だから邪魔したら駄目だって知ってるんだ」

多分。俺の勘違いだろう、けど。

「ご飯は作れない、本は読めても書けない。何の才能もないこんな俺が、世界を汚したらいけないんだ」

ひぃ君の綺麗な紅い瞳から、ポロって何かが滑り落ちた。あんまり綺麗だったから、それが何なのか本気で判らなくて。

「龍君が真っ直ぐ、貫くみたいに、俺なんかより綺麗で甘い苺色の目で、見たから」
「俺、が?」

待って。
だったら俺は、キスで解けたんじゃないの?最初から、解けていたの?

「君の瞳を見た刹那から、左胸が痛くなったんだよ」

どうしよう。

「俺みたいな平凡で地味で役立たずな男に」

ひぃ君のルビーみたいな宝石の両目から、ぽろぽろ、大粒の涙が、滝みたいに。

「…龍君が好きだって、言ったのに」
「ひぃ君」

本当かな。
それなら俺は初めて彼を見た瞬間に好きになってて、ひぃ君はそれを知ってた、って事だろ。
何度見てもまだ慣れない大きくなったひぃ君は、涙を拭こうとしない。

そう言えば前にハンカチをよく無くす、って。言ってたね。
ご飯が炊けなくて生米を食べた事もあるって。レトルトカレーの温め方が判らなくて炬燵に突っ込んでたら、叱られたって。

「泣かないで、ひぃ君」



心臓が痛いの。






俺がもし今、こんなに綺麗で男前で図書館の本を全部覚えてるくらい賢いひぃ君に、勇気を出して告白したら。


「泣かないで、ひぃ君…」


馬鹿で口下手で友達も居ない、俺みたいな不機嫌顔を真っ直ぐ見つめてくれる人は、泣き止んで、笑ってくれるだろうか。




「…好きです。だから、泣かないで」



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