龍クエスト
(Lv.1)
「その本、面白い?」




彼に出会ったのは高等部に進級した日。始まりは多分、そんな台詞だったと思う。

一昔前は全寮制だった帝王院学園は、今や希望入寮制だけど山奥だから通学は少ない。俺も、双子の弟である枝も、土日と祝祭日に気が向けば帰省する寮生だ。

その日、寮部屋の移動と始業式典の慌ただしさを乗り越えた俺は真新しいブレザーのまま、久し振りに本独特の匂いに包まれた。
…ああ、好きだなぁ。この独特の匂い。双子の枝からは根暗だとかオタクみたいだとかいつも笑われてしまうけれど、俺は本の匂いが本当に好きだ。自分でも地味だとは思うけど、落ち着く香り。

賑やかな式典後に図書館に来る生徒はまず居ない。
枝は昼御飯も食べず無断外出して、引っ越したての二人部屋の片付けは俺がやるしかないのだ。枝は物凄く我儘だけど最近産まれた妹のまなには優しくて、ちゃんとお兄ちゃんに見える。俺には意地悪だけどね。
でも俺には枝しか居ない、から。生まれる前から一緒に過ごしてきた双子だしね。

どんなに意地悪でも枝が居ない部屋には帰りたくなくて、暫く一心不乱に本を読む事にした。
いつの間にか開け放たれた窓から舞い込む桜吹雪に気付いたのは、テーブルの上に薄紅の斑点が所狭しと広がってからだ。

「…あ」
「その本、面白い?」

顔を上げると、向かい側に座る男が頬杖をついて俺を見ていた。さらさらの髪を靡かせ、緩く眼差しを眇めている。

俺は、そんなに集中力がある方じゃない。確かに面白い内容の本ではあったけれど、人の気配にはかなり敏感な方だと自覚している。
今だって読んでいた本の初めの方の内容も忘れかけてるし、こんな間近に座ってる相手から何の遠慮もなく凝視されてたら、普通はナマケモノだって気付くと思う。
けれどどうやら彼は今そこに座ったと言う訳ではなさそうだった。一体いつから、そこに居るのか。

こんな綺麗な顔をした人に気づかなかったなんて。
驚きと生来の人見知りで硬直するしかない俺に、向かい側の紅い眼は真綿の様にふんわりと笑みを滲ませ、擽る様に囁いた。

「凄く真剣に読んでたよ」
「…」
「進級、おめでとう」

まず俺は誰かに尋ねたい。
世間一般のコミュニケーション能力が備わっている人は、『おめでとう』の言葉に対して『ありがとう』以外どう切り返すのだろう。喧嘩越しだったりもっと別の台詞だったりしたら、幾らコミュニケーション能力の低い俺だって、それなりに返せた筈だ。…多分、きっと。

「ありが、と」
「うん」

その人の名前はまだ、知らないまま。













暫くして、緊急下院総会が開かれた。
中央委員会役員と左席委員会役員が駆け落ちをしたとかで、急遽新規執行部編成が行われる事になったらしい。両執行部は進学科であるSクラスの生徒から選ばれるのが暗黙の了解で、特に会長は高等部に三人しか居ない帝君がにべもなく任命されてる。
だから、俺達の様な普通科の一般生には縁のない話だった。

朝方に帰ってきた弟の枝は堂々とぐうぐう寝てて、そもそも見てさえいない。
他は興奮してたり煩いと耳を塞いでたり、どっちにしろ、壇上にずらりと新政役員が並ぶと講堂は激震した。


「待たせたな子猫ちゃん達、お前らの愛する俺ですよ。祝え」

特に凄かったのは、金髪蒼眼の凛々しい顔をした帝王院次郎君がスピーチした時だ。Sクラス主席、滅多に御目に掛かれない帝君である彼はハーフで、男前だから大層モテる。
抱いてくれコールが凄くて、彼の声は勿論、以降の新役員の挨拶も、何も聞こえなかった。

寝返りを打った枝が椅子から落ちたのだけは、覚えてる。









さらさらの黒髪と紅眼は生まれつきで、最近とにかくお腹が空くらしい彼の名前を知ったのは、図書館で三回目に会った時だった。
勇気を出して聞いてみようと思ったのに、『君の名前を教えて』の『君の』部分で先に、彼は囁いた。困った様な笑みを浮かべて、たしなめる様に、ともすればねだる様に。

「ヒロだよ」
「え…?」
「君、なんて。…そんな呼び方しないで欲しい」

捨て犬顔で言われて、俺は彼をひぃ君と呼ぶ事になった。

名字はと聞いても教えてくれなくて、身内以外を名前で呼ぶ事に慣れていなかった俺の、苦肉の策だ。妥協とも言えるかも知れない。

ひぃ君は存外、頑固だ。








「あ、ちょーちょ」
「…珍しいな、揚羽蝶だ」
「こんにちは、揚羽さん。今日も綺麗だね」

ひぃ君は不思議さんだった。多分、天然。
窓から入ってきた蝶々と会話したり、俺なんかに恥ずかしくなるほど笑いかけてくれたり。何かにつけて自然とエスコートされて、顔から火を吹き掛けた事もしばしば。俺は本当に言葉が足りない駄目な男で、色々言いたい事があるのに半分も伝えられなくて、いつももどかしい。
なのに彼は、俺の言葉を強制したりしなかった。いつも最後まで聞いてくれる。

「紋白蝶は何て呼ぶの?」
「紋白蝶は紋白蝶さんだよ?」
「…そうなんだ」
「蛾はモスラさん」
「モスラって何?」
「俺も良く知らないんだ。母上から教えて貰ったんだけどね」

とにかく、ひぃ君と本の話をしたりまったりするのは嫌いじゃないけど、どうしても、目を合わせるのは抵抗があった。彼の顔が余りにも綺麗だからだ。こんなに綺麗な人を見た事がなかったから、免疫が全くと言って良いほどない。きっと誰もが俺みたいになる筈だ。



いつか俺がうたた寝した時に。
ひぃ君が俺のツンツン硬い髪を撫でていた。余りの恥ずかしさに真っ赤な顔で起きた俺が、一体どう見えたのか。



「龍君、かまぼこみたい」

俺は多分思ってた以上に頭が悪い。
ファーストキスが異常にねちっこかった気がしたのも、並んで立つと俺より背が低いひぃ君が言った言葉も、全てが意味不明だったからだ。

「かま、ぼ…こ?」
「ささかま。ハヤシライスの味がする」

やっぱり俺は馬鹿なんだろう。
会話が成立していない気がするのに、笑みを讃えて細められた深紅の双眸を見てしまうと、もう何も言えなかった。



後から、お昼にハヤシライスを食べた事を思い出した。













「…ひぃ、君?どうしたの?」

いつも眩しい笑顔の紅眼が、その日は元気がなかった。
図書館の本は全部読んで暗記してると言うひぃ君おすすめの本を読み進めつつ、美形の憂い顔にドキドキする俺は、最低だと思う。


「最近、心臓だけじゃなくて全身が痛いんだ」

ひぃ君の謎かけはいつも難しい。
だからって、何でキスしなきゃいけないのか。


後からどれ程考えても答えはでないのに、彼にはどうしても問えないまま。
される度に頭が真っ白になってしまう。ただの挨拶だとしても、慣れる気はしない。


ただ、ドキドキしてばかり、で。



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