サティスファクションな待遇
何を考えているのか判らない、と。
言われ続けて18年が過ぎた。
科学者と言えば聞こえが良い両親は、息子よりモルモットの方が愛しいと宣う生物学者であり。
一年365日、閏年なら366日、絶えず研究と言う名の趣味に実益を結んでいる。らしい。
十年以上会っていない上に、最後に面会したのはほんの数分だ。
誕生日には毎回プレゼントとビデオレターが届いているが、早熟だった俺は同世代が好むゲームも玩具も興味がなかった。
然も祖父母宅にはビデオデッキしかなかったので、ブルーレイディスクの手紙は見た事がない。
両親の顔を忘れ始めていた半年前、ひたすら同じ事の繰り返しで連なってきた18年もの日々に革命が起きた。
「ぉわっ?!」
腹の上に重み、立て続けに股間に激痛。
腹が減るまで起きない俺を一瞬で目覚めさせたその声の主は、人間の癖に四足歩行で悲鳴を上げた。
「…重い」
「ぎゃー!!!人殺しー!!!」
余りの騒音に眉を寄せた瞬間、腹がきゅるりと鳴く。
腹が減り、排泄し、眠気を覚える。動物に於いては至極当たり前の欲を、俺は我慢した事がない。
生きるのは非常に退屈で面倒だが、死ぬのもまた非常に面倒ではないか。それなら腹を満たし出すもの出して好きなだけ眠る方が、余程有意義だろう。
「腹が減った」
足跡が付いたシャツの腹部を眺めながら、持ち上げた右手は真っ赤に染まっていた。眠る前に「縄張り争い」をした名残。
ただ屋上で昼寝がしたかっただけなのに、いきなりやってきた雄共が殴り掛かってきたので、非常に面倒だが眠気には適わず全力で排除した。
但し屍と化した雄らと血で汚れたコンクリートのお陰で、屋上での昼寝は延期せざるえなかったのが現実だ。
「う、ぉっ」
「肉」
匍匐前進態勢で見つめてくる人間へ、赤茶色に染まった右手を伸ばし引き寄せる。
「へ」
「肉の匂いがする」
真っ黒な目でまっすぐ見てくるソレは、今までの誰とも似ていない様な気がしたのだ。
「に、肉…?いや、あの…え?」
「喰わせろ」
上下する喉仏、その下に鎖骨。
骨付きカルビを思い出したが、噛み付いた肉の弾力は地鶏の歯応え。
「う、うわーーーーー?!」
左の犬歯が突き刺さる間際、獲物が殴り掛かってきた。
俺の腹と股間を踏み、健やかな眠りから呼び起こしておいて、なんと偉そうな獲物だろう。
「煩い。黙って喰われろ」
「は、はぁあああ?!ちょ、これ!これやるから、痛っ、咬むな!」
「煩い。俺は腹が減ってる」
「や、だからこれ!喰って良いから、俺を喰おうとすんなっ」
ガサッとした何かを押し付けられた。何処かで見たコンビニの袋に、眉を寄せながら手を伸ばす。
「お握りあるから!」
「シーチキン」
「サンドイッチも!」
「シーチキンばっか」
地鶏の歯応えがした獲物の首筋に、くっきり歯型が付いていた。
肉の癖に魚を差し出してくるなんて、不思議な獲物だ。体格には恵まれているが、喧嘩慣れしている気配はない。
「お。お茶もある、ぞ」
「…爽健美茶」
「もっ、文句あんならっ」
「ドクダミよりマシだ」
涙目で吠える獲物から目を離し、健康思考の祖母が淹れる雑草の煮汁の味を思い出した。
「安っぽい味がする」
「人の飯横取りしといてグダグダほざくな!くそ!首チョー痛ぇ!げっ、歯型…?!」
死ね変態、捨て台詞を最後に獲物は素早く走り去っていく。
さほど駿足ではなかった。
次に会った時、獲物は雄共に絡まれていた。
俺の歯型が目視出来ないほど薄くなっていた獲物は、暴れたそうな目をしている癖にどうやら耐えているらしく、初対面の時以上に不細工だった。くしゃみを堪えたブルドック、と言えば判り易いのではないだろうか。
何を考えているのか判らない、と言われ続けて18年の俺だが、弱肉強食世界の雄の競争はマンツーマンであるべきだと言う、祖父の言葉には心から賛同していた。
獲物は五人から囲まれている。
俺はあの獲物がバレーボールを追い掛けて体育館狭しと駆け回っている姿を見た事があった。勝てはしなくとも三人程度からなら、逃げる事は可能だったと思う。
然し、不細工な上にツンツン固そうな髪の獲物は、逃げる気配がない。
隙あらばボコボコにしてやる、と言わんばかりの表情で、じっと耐えていた。
曰く、体育会系は縦社会・だそうだ。
腹の足しにもならない教訓を律儀に守っていた様だが、俺を見て怯えない・殴り掛かって来ない、そんな人間は初めてだったので、つい助太刀した。
前の日、祖母と見た時代劇の影響があった事は否めない。
「あ…あの、有難、う。助かった」
ギラギラ闘争本能を秘めた眼差しを和らげ、ふやけた笑みを向けてきた獲物を上から下まで眺める。
空手の師範である祖父から叩き込まれた「実戦」は、殺さず勝てば何でも良しの喧嘩戦法だ。五人程度では眠気覚ましにすらならない遊びだったが、ふやけた笑みを見た瞬間、俺の眠気は寝てもいないのに霧散した。
「おい?」
喉。
地鶏の弾力を秘めた首筋。
鎖骨。
何の変哲もない男へ、腹の奥からぞわぞわ何かが這い上がってくる。
これは、食欲に似ている。
食べなきゃ。
今すぐ、これを食べなきゃいけない。
「お、い?」
怯える獲物に近付けば、彼は一目散に走り去っていく。あ、逃げられた、まぁ良い、すぐに見付けられる筈だ。
とりあえず伸びてる雄共を締め上げて獲物の名前を聞こう。
と、ひとしきり雄共を痛めつけていると、獲物がやはり走ってやってきた。
「これ!俺が作ったっつーか、冷凍もんばっかの弁当だけど…!」
ギンガムチェックの包みから、割り箸が覗いている。明らかに弁当だと瞬けば、怯え切っていた雄共が獲物を神と呼んだ。
「腹減ってるなら喰って良いから、暴力はやめろよ」
焦げた卵焼きはしょっぱかった。
「何事も腹八分目っつーだろ」
どうやら世間では不良と呼ばれているらしい俺には、舎弟を名乗る雄が何百人か存在していて、いわゆるチームと言う組織も結成されている。らしい。
毎週毎週、集会に来て下さい、と迎えに来る人間が居たが、面倒臭いので無視している。
そのお陰で、今目の前でぶつぶつ悪態吐いている獲物が俺にビビり、毎日弁当を持って来る様になったので、まぁ、悪くはない。
「好き嫌いも良くない。ほら、またグリーンピース残そうとしてんな、テメーこの野郎」
面倒だった高校生活。
授業内容など聞かなくても判るが、テスト用紙に文字を書くのも面倒臭いので今まで留年三昧だった。
とりあえず今まで白紙回答してきたテスト用紙を三時間で埋め、将来的に海外の大学に進学する約束をしたら、校長らが泣きながら踊った。以降、奴らは俺の奴隷だ。
早速、今ぶつぶつ悪態吐きながら烏龍茶を飲んでいる獲物と同じクラスに編入させ、席も隣同士になった。
クラスメートは俺の一つ年下ばかりだからか、俺に怯えて誰も話し掛けて来ない。教師も然り。
「足りない」
「弁当2つ食っただろ!俺のメンチカツまで食った癖に!」
「人間の欲に底はないと言う。まるで円周率の様に」
「はいはい判ったから黙れ、腹空かしながら部活に行く運命の俺を労れ労え伏して詫びろ宇宙人が!」
頭を殴られた。
水族館デートの時は可愛げがあったのに、近頃は随分な扱いだ。
だがまぁ、ベッドの中では大人しいので可愛いと言えなくもない。などと考えていたら、ムラムラしてきた。
「腹八分目!食い過ぎだっつーの!何処に入ってんだよ、マジで」
「ムラムラする」
「…は?」
「ムラムラ八分目、これが村八分か」
「何か言ったか宇宙人」
獲物は俺を宇宙人と呼ぶ。
先日、珍しく電話してきた両親に宇宙人と呼ばれていると言ったら、素敵じゃないと喜んでいた。
俺が言うのも何だが、彼らが何を考えているのか理解出来ない。
面倒なので解説は求めなかった。
「集会に来いと言われた」
「ああ、副総長さん?良い人だよなぁ、昨日なんかパンだらけのチーズケーキ貰ったし」
「お前が行くなら行っても良い」
「え、やだ。何で俺が不良の集まりに!」
「アイツらは可笑しい。金銀はともかく、赤や緑、青や紫の髪をした人間が居る。遺伝子上、紫の目をした人間など存在しない」
「…いや、あのな、あれはカラコンとかブリーチとかさ」
「お前の家で将棋する方が余程有意義だ」
「だから何でいつの間にかうちの両親と仲良くなってんだよ!」
獲物の母親から今夜はシチューだと言うメールが着いていたので、見せれば獲物はバンバンと壁を叩いた。
「うちは寿司らしい。俺は寿司よりカボチャシチューが食べたい。食べた事がない」
「いやいやどう考えても寿司のが良いだろ!」
「昨日はサーロインステーキだった」
「何でうちのカレー食いに来たんだよテメー…!」
毎日毎日、近頃は退屈だと思う事なく過ごしている。地鶏食感の首筋を見ていると、ムラムラするのが唯一の悩みだ。
人前で脱がすと、獲物は何故か凄まじく怒る。
「カルシウムが不足している。背が伸びんぞ」
「175cmはチビじゃねぇえ!」
「食も細い。悪い病気じゃないか?」
「テメーが食い過ぎなんだよ馬鹿野郎ー!!!」
とりあえず今は、何故怒っているのか判らない獲物をどう喰おうか考えながら、祖母から持たされた水筒のドクダミ茶を啜った。
ああ、不味い。
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