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最終更新2021/10/15(詳細はUPDATE)

真に恐ろしきは歯医者にあらず

デンタルクリニック高杉。
院長は極道顔負けの熊、いや、グリズリー。大きな巨大に優しい診察で、プーさんと呼ばれ親しまれている。


そんな歯科医の門戸を、新たな熊…いや、患者が今開こうとしていた。






「虫歯四本、内半分が歯髄剥き出しの状態に近い」

冷ややかな声音は、武器…いや、治療器を手にしたマスク男が放ったものだ。
冷ややかな双眸以外は手術着に覆われていて、恐ろしい事この上ない。

と。
親不知の痛みでやってきただけだと思っていた秋本は、内心ビビりながら、然し「さっさと本題に入れ!」と怒鳴りたい心境だった。
恵まれた体躯に鍛え抜いた筋肉、鋭く精悍な面構えは、子供が多いクリニックでは明らかに浮いている。

「…然も、左右どちらも末期の歯槽膿漏。子供でも此処まで酷いのは見た事がない」
「ほうれすは」

そうですか、と。
言ったつもりだが大きく口を開かされている今、余りにも間抜けである。

「口を濯いで。今日はとりあえず、レントゲン撮るまで」
「は?」

名前を書けば受かると悪名高い底辺の高校を二度留年した後、二十歳で塗装業に就職。
裏家業のお偉方の目に留まり、再就職した先はジャパニーズマフィア、新入りの馬鹿を通信大学に通わせてくれたもう一人の父親が数年前鬼籍に入り、勤続(と言うのか甚だ謎だが)十年にしてゴッドファーザー就任…。

と言う、極道の花道を華々しく歩いて実に十五年になろうかと言う秋本が、県内でも三本指に入るだろうこのクリニックへやってきたのは、実に単純な事情からだった。

「お、親不知なんざさっさと抜いてジエンドじゃねぇ…ないん、ですか」

冷ややかな双眸に睨まれた気がした秋本の、大切な部分が縮まった様な気がする。
ヤクザと言っても成り上がりなので、内面的には一般人だ。女房に逃げられ一人息子を奪われたらしい前組長は、息子と年頃が近いらしい秋本を息子の様に可愛がってくれたが、彼も寡黙で威圧感があるだけで、中身は善い人だった。

「抜くだけ、だと?」

なので基本的に、秋本はヘタレだ。
大きな動物と歯医者が怖い、アラフォーである。

「抜歯するにも此処まで酷い歯槽膿漏の上に、親不知よりも悪い虫歯のダブルパンチ。…いっそ、外科の手術を受けたらどうだ」
「おい、それが医者の台詞………ですか」
「お宅の口腔はいっそ幼児以下だぞ。反省こそすれ、私の診察に異議があるなら他の医院を薦める」

ヤクザの食生活は暴飲暴食セレブ食、とまでは行かないが、女と言う生き物にトラウマがある秋本は未だに独身で、やはり偏った食生活が目立つ。
数ヶ月前から違和感があった右頬が、つい先日から見た目にも判る程に腫れ上がり、心配した組員らの薦めもあってこの『デンタルクリニック高杉』にやってきたのだ。

女医が少なく、腕が良い、清潔な病院。条件をクリアしているのはこの歯科医院だけだったのである。

「金目当ての他院に通い、少しずつ歯茎と神経と膨大な金を削り取られ、葬儀場で死因:歯槽膿漏と言われたいなら、好きにする事だ」
「異議は…異議…は、ない…です…」
「宜しい。では呼んだら奥のレントゲン室に入って下さい」
「………はい」

終始ニコリともしなかったマスク医師が背を向けるのと同時に、アシスタントらしい歯科衛生士が笑いを噛み殺しながらやってきた。





「親父?どうしました?」

通院初日から1ヶ月弱、高杉歯科唯一最凶と名高い冷血歯科医と三度目の対峙を果たした秋本は、果たしてげっそりやつれている。
心配げな組員を片手で遮り、大好きなビールも日本酒も冷たい水すらも控え、ぬるま湯の様なお茶を啜り顔を顰めた。

「…チクショー、口ん中にも心臓があるみてぇだぜ。…っ」

冷たいもの、固いもの、刺激物…殆どの好物を遠ざけるしかない秋本の口腔は、本日も虫歯治療だけで終わった様だ。
どうやら、過度の虫歯進行具合が末期であり、神経が剥き出し状態だと言う。咀嚼と言う習慣が皆無に近い秋本は、虫歯に気付かないまま歯科医院を訪れたらしい。

実は高杉医院初来院の日、別の歯科医院にも足を運んだのだ。
だが、慈善事業ではないシビアな他院の半数が高額なインプラントを薦め、残り半数は治療を放棄した。正確には、神経を切除すると宣ったのだ。


「冗談じゃねぇぜ」

高杉医院の鬼畜冷血医師が、初日に冷ややかな説明をしたので、神経の切除は望んでいない。
確かに神経剥き出しのままでも痛みを感じなくなるそうだが、それにより新たな虫歯進行に気付かず、最終的には体内に毒素が回り最悪死ぬ…と言う、冷ややかな台詞には説得力があった。

そもそも親不知を抜いて欲しいのに、インプラントなど別次元の話だ。抜いて欲しいのに生やされたら堪らない。


全ては身から出た錆。
二度目の来院日をすっかり忘れ、痛み出してから渋々クリニックを訪れた秋本に、悪魔はやはり冷ややかに宣った。

その日の治療が悶える程に恐ろしかったのは、秘密だ。






「こんにちは」

いよいよ恐怖の手術が済み、数日。
お粥か人肌に温めたシュガーレスゼリーと言う、アラフォーにして離乳食じみた食生活中の秋本に、見慣れない男が話し掛けて来た。

「…んだぁ、てめえ?」
「止せ、あんま騒ぎ立てんな」

取り巻きの組員達が僅かに警戒を見せるが、繁華街は繁華街でも、昼間の街で騒ぎを起こす訳には行かない。
渋々黙った組員を横目に、近寄って来た男を見やる。

背が高い。
恐らく、自分と同じくらいか、少しばかり低い程度の目線だ。但し、足の長さは幾らか負けている気がしてならない。頭も小さい。

「大分、顔色が良くなったな」
「あ?」
「口を開けてごらん」

不躾に伸びてきた手が顎を掴む。
普段なら何を偉そうに・と殴り飛ばす所だが、不躾な手を振り払う前に何故か素直に口を開けてしまい、眉を目一杯寄せた。

口を開けたまま喋る訳にはいかないから、無言を貫くより他ない。組員がどよめいている。ああ、恥ずかしい。

「腫れは大分引いたか。後は抜糸まで、この状態を維持するよう努めなさい」

にこり。
爽やかだが大人の色気を漂わせる笑みに、まさか、と呟いた。

「引き留めてすまない、では」
「…藤田、先生?」
「何ですか、秋本さん」

マジか。
背中を向けた男に恐る恐る声を掛ければ、案の定、彼は背筋を正したまま振り向く。

「いや、あ、いや…」
「ふ。途中で止められると、気になるな」

これが。
この、無意味に色気を振りまく、美貌が。

「精悍な貴方が可愛く思えてしまうと言えば、笑うか?」
「えっ」

優しげに微笑み掛けてくる、この目の前の男、が。

「冗談だ。気を悪くしないで」
「あ、いや、別に…。じゃ、じゃあ、また…来週、に」
「ああ、口腔環境が格段に良くなってる。毎日歯磨きを忘れず、これからも清潔にしてなさい」

近付いてきた男が、僅かに低い位置から覗き込み、よしよしと子供にする様に撫でてきた。痙き攣った組員に構う余裕はない。



「…じゃないと、キスする相手が気を害すから・な?」

キスせんばかりに近付いてきた眼差しが、意地悪く笑みながら囁いた。


「はっ、はいぃ!ががが頑張ります…っ!」
「宜しい」



地域最強と名高い極道の組長が、元県下最強の不良チームリーダーの歯科医師によって、芸能人張りの輝く歯を手にするのは、そう遠くない未来。



「先生!今日は矯正してくれ!全部じゃなくて、下だけ!」
「ああ、いらっしゃい。まずはうがいして、口を開けてごらん」
「はい!あーん」


「あの組長さん、毎日通ってくるわねぇ。最近は何だかあの熊みたいな組長さんが可愛く見えるのよ、院長みたいに」
「でも変ねぇ、先生が休みの次の日は、いつも腰が痛そうなんだもの秋本さん」
「あら、ヘルニア持ちなんじゃない?もうじき40歳になるそうだもの」


「藤田先生より十歳も若いのに、大変ねぇ」

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