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最終更新2021/10/15(詳細はUPDATE)

プリンセスマーメイドの遺言

俺は今、きっと誰からも同情されるだろう悲劇のヒロイン的なポジションに立っているのだろう。

「んっ、あ…あっ」

断続的に響き渡る甲高い声、肉と肉が叩き合う音、か細い女の腕を抑えた男が俺を見て、獰猛な笑みを滲ませた。


浮気、らしい。
心の中は余りの驚きと悲しさで一杯、今にも張り裂けそうな癖に、どうして。

そう、どうして。
俺の声は彼の望む言葉を与えてあげられないのだろう、なんて。今更だ。



「好きだ」

如何にも何か企んでいます、と言った妖しい笑みで近付いてきた彼に一目惚れしたのは子供の頃、つまりは告白を受けるずっとずっと、以前の話だった。
小中高一貫して同じ学校なのに全く接点が無かったのは、ストーカー宜しく追い掛けて入学した高校で、同じクラスになるまでただの一度も教室を同じくした事がなかったから、と言う世知辛い理由だけではない。

俺には奇妙な持病がある。
持病と呼ぶにはかなり語弊があるだろうか。呪いだ。馬鹿みたいな話だが、本当だ。


人魚姫。
一度は聞いた事があるだろう悲恋の物語、そのヒロインである人魚姫の「呪い」。
俺の遠い遠い祖先が王子様と恋に落ちた人間の姫との間に生まれた子供で、泡になった人魚姫を哀れに思った魔法使いが掛けた「呪い」らしい。信じられない夢物語だが。


俺の一族は女系一族である。
「呪い」に対抗するべく、王族が血眼になって探し出した魔法が掛けられた為、この数百年、俺の母の家系から男が産まれた記述はない、らしい。
だから王家は早々に滅びたし、現在に至るまで世界中を転々としてきた挙げ句、島国ジャパンに辿り着いたとか何とか。


何が言いたいかと言えば、つまり王子と姫が授かった子供、それも男は、身内以外に声を聞かれたら死ぬ、と言うあんまりなネタバラシ。
眉唾もんだけど本当だ。何故ならば俺には双子の弟が居て、産まれた瞬間、運悪く分娩室で泣き声を発てた瞬間を別の妊婦に聞かれ即死したのだから。

何の為に、母は遠縁の病院に緊急搬送されたのか。代々語り継がれる伝説めいた話だが、何か感じるものがあったのか、母は妊娠した直後にお腹の中の赤ちゃんが男子である事に気付いたと言う。
父は半信半疑ながらも、母の必死の訴えに頷いて、母方の縁故を探し回った果てに祖母ちゃんの妹の娘が女医をしている産婦人科を借り切ったのだ。

なのに、先に産まれた俺は暫く泣かなかったのに、弟はオギャー!と開口一番、ぽっくりご臨終。
そんな元気な死に方あるか!とツッコミたい話だが、死去した弟の名前が戸籍謄本に記載されているのだから、マジだ。
オギャー!の瞬間、息を引き取った弟を見て、流石に父も青ざめ、残った俺の口を塞いだと言うのだから、何も言えない。


「ただいま」
「おかえりー。良かった、まだ生きてるわね」

信憑性皆無だが、一応は恋人である筈の男の生々しい浮気現場を目撃しても、腹が減ったら帰宅する。死にたくないから家の中以外では絶対に喋らない健気な息子に、煎餅を齧りながら迎えた母は、間延びした声で宣った。

「あとちょっとで喋りそうだったけどな」
「あら?無口キャラのアンタが珍しい、何があったの?」
「や、無口キャラじゃねーから。喋ったら死ぬから喋れないだけだから」
「やーね、だから言ったでしょ?身内と人魚姫の子孫だけなら大丈夫なのよ」

脱いだ靴下をカゴに放りながら、台所から漂ってくるシチューの匂いに鼻を蠢かす。

「身内っつったって、母さん方の親戚限定じゃねーか。線引きが曖昧だから、未だに親父の兄弟とすら喋った事ねーんだよ?」
「まぁね…。仕方ないでしょ、私の記憶にある限り、男の子が産まれた事なんかないんだから、うちは」
「だからって一度に二人も産まれるなんてな」
「想定外にも程があるわ。…ま、アンタだけでも生き残ってくれて良かったと、思うわよ」

おお、母の愛。
やっすい特売挽き肉のパックがゴミ箱の中から覗いているが、今は目を瞑ろう。

「たっだいまー、父危篤ー」
「おう、お帰り父帰宅」
「おぉ、息子!大丈夫だ、今宵も俺の子は生きてる」

自分の股間を眺めながら泣き真似をするお茶目なサラリーマンを華麗に無視し、部屋には向かわずダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。

「あのさー」
「なに?お腹空いてんならカップめん食べて良いわよ、まだ時間懸かるから」
「浮気現場を見た場合、普通はどうすんの?」

固まった両親に、舌打ちを噛み殺す。ああ、困らせた。
ただでさえ喋れない息子を持った可哀想な夫婦、なんて不名誉なレッテルを貼られて、いつ死ぬか判らない息子を今までずっと慈しんでくれた両親を。

「…ごめん、教室でそんな話してたから、さ」

だからちょっと聞いてみた、なんて無表情で話を切り替えて、狼狽から安堵の表情に変わった父に肩を竦めて見せた。

物言いたげな母の顔は、見る勇気がない。





「俺が好きなんだろ?」

事ある事にそう聞いてくる彼に、俺が出来る事なんか力一杯頷く事くらいで。

「言葉にしなきゃ、伝わらねぇよ」

実は彼が皆と『賭け』をしている事や、その賭けが『障害者を喋らせる』と言う内容だって事も知っている。
ああ、俺って障害者だと思われてるんだなぁ、とか考えて、差別がどうのと言う前に、寧ろそっちの方が良かったなんて馬鹿な事を考えた。

喋れないんじゃない。
喋れるのに喋ったら死ぬんだ。


「好き、なのに…なぁ」

たった一言、好きだと言えば彼は満足して、賭けにも勝てる。
賭けのスタート、つまり舞い上がるほど嬉しかった告白を受けた日。舞い上がって舞い上がって、一緒に帰ろうと言われて、首がもげそうになるくらい頷いて教室まで鞄を取りに行った。

本当は叫び回りたいくらい嬉しかったのに、待ち合わせ場所に行く前にクラスメートが雑談しているのを聞いて、今度は死にそうなくらい嘆き悲しんだ。

『キモオ、マジ恋する乙女かっつーんだよな』
『中学の頃も、何かと見てたんだよなぁ』
『根暗ホモなんてキチーよ!つーか、マジ嘘でも付き合いたくねぇあんな奴』

わぁ、皆まで言わなくても判りました。だから騒ぎの中心で痙き攣った笑い顔をしている彼は、せめて何も言わないでいて欲しい、なんて。
小学生の頃からキモオと呼ばれている俺が、叫びながらスライディング土下座すれば即昇天だ。


『誰もアイツの声を聞いた事がねぇ、誰もアイツが手話してんの見た事がねぇ。…そんな馬鹿な話あっか』

小学一年生の頃、年上の小学生に石を投げられて苛められてた俺を爽やか且つ凛々しく助けてくれた美少女、今や向かうところ敵なしてあるイケメンは、たった数分前に告白した相手である俺が、まさか鞄を抱き潰す勢いで抱き締めガタブルしながら聞いているとは露知らずに。


『人魚姫気取りの勘違い野郎を、ズタズタにしてやるよ』

本当に。
人魚姫なんかろくでもない。







「普通だな」

浮気されても、死ぬほど泣いた次の日でも、太陽は容赦なく登る。

「見ただろ、昨日」

見惚れる程の美貌で囁かれたら、やっぱり見惚れながら頷くしかない。

「…んで、何も言わねぇわけ?」

泣きたい。
何で昨日と同じ体育館倉庫の、何で昨日知らない女の子を組み敷いてたマットの上で俺は、どんなに酷い目に遭っても嫌えない大好きな男を見上げなきゃならないのか。
そんなに、人魚姫から王子様を奪った祖先は、酷い人間だったのだろうか。だって、彼女は人魚姫の事なんか知らなかったんだ。


喋れない人魚姫。
可哀想な人魚姫。
愛しい人を思いながら泡になった、人魚姫。

愛しい人に揺さぶられながら、繰り返し求められる愛の言葉に答える事が出来ない、俺。


「好きだって、言えよ…!糞っ」

可哀想な、彼。
本当は優しい人で、皆から嫌われてる俺を皆に受け入れさせようとしてくれてる事を、知ってる。
喋らないから馬鹿にされるんだ。知ってるよ、そんな事。

だから喋らせれば、皆とコミュニケーションが取れて仲良くなれる、なんて考えてるんでしょ。


ああ。
頭の中は都合が良い妄想ばかり犇めいて、がむしゃらに腰を打ち付ける男の歪んだ美貌を眺めるばかり。


好きだよ。
この世で唯一、誰もが気持ち悪いって言う俺を助けてくれた人。
この世で唯一、誰もが気持ち悪いって言う俺に好きだって言ってくれた人。


明日は賭けの最終日だね。
だから俺は、今朝アナタに宛てた手紙を書きました。


「何で、何も言わねぇんだテメェは…!」

ハートマークのシールで封をした、水玉模様の便箋で、身内以外誰にも話した事のない身の上話と、溢れる程の愛の言葉をしたためたんだ。


だって、人魚姫の生まれ変わりなんてきっと一生見つけられないから。
これから先、もし君より好きな女の子を見つけたって、会話出来ない夫婦なんか結婚しても果てが見えてる。



恨むよ、魔法使い。
俺の弟を殺して、俺の大好きな人をこんな目に遭わせた意地悪魔法使い。



「あいしてるよ」

ねぇ。
たった一度しか伝えられなかった俺を、明日の君は可哀想だと思って泣いてくれるかな。













「おぉ、息子!どうした、その格好は。最新ファッションか?」
「んな訳ねーだろ」
「おはようございます、お父さん」
「おぉ、洋服が喋った」

何がどうしてこうなった、と叫び出したい日も太陽が登って、相変わらず朝からテンションが高い馬鹿親父は日曜日の午後を新聞片手に過ごしている。

「ちょっと、お客さんがいらしてるんだからシャキッとなさいよ。はい、姫井君。紅茶で良かったかしら?」
「有難うございます、お母さん」
「あら嫌だ、お母さんだなんて気安く呼ばないで貰える?うふふ、性悪魔法使いと人魚姫の末裔だなんて殺しても殺したりないくらいよ」

笑顔の母は怪しげな虹色の紅茶を差し出しながら、近年稀に見る笑顔だ。

「ひ、ひひひ姫井、君…」
「何だ?呪いなら解かねぇっつったろ、勿体無い」

そう美貌を歪める男は、硬直する俺の背中ごと抱き締めたまま吐き捨てる。


昔々、泡になった人魚姫は魔法使いによって強制復活させられ、強引な魔法使いの求愛により、子を残した。

それとなく幸せだったものの、やはり初恋の王子様が忘れられなかった人魚姫は、いつか子孫が王子様の子孫と結ばれれば良いのにと願い、魔法使いの血を引いた子供にお願いしたらしい。

一つ目は、呪いの効果を薄める事。流石に混血の子供には父親ほどの力がなく、完全に消し去る事は出来なかった。
そして、

『いつか、私達の子孫と結ばれますよう。やっぱり、お姫様は王子様と結ばれたいもの』

魔法使いが掛けた呪いは、『私の人魚姫の心を奪った王子の子孫は皆、地味な顔立ちの男ばかり産まれる、そしてモテない人生を歩んで滅びろ』と言った、あんまりにもあんまりな内容だったらしい。
それを無理矢理ねじ曲げたから、男が産まれ難くなり、妻可愛さに女の子ばかり産まれる魔法を自らの子孫に掛けた魔法使いの末裔に、やっと男の子が産まれた年、俺が産まれた。

「つまりお前の弟は、お前に掛けられた『呪い』の抜け殻で、そもそも存在してない」
「そそそそうな、の」
「どもりすぎ」
「ごっごめんっ」
「可愛い」

姫井は一目で俺が王子の子孫、つまり自分が結ばれる運命の相手だと気付いたらしい。後はある程度大きくなって、俺から好きだと言わせれば晴れて人魚姫の物語にハッピーエンドを刻めると、ロマンティックな企みがあったそうだ。
なのに俺は何をしても言わない。わざと賭けの話を聞かせても、浮気しても、とうとう強引な初夜を迎えるまで「好き」を言わなかった。

「漸く言ってくれたと思った次の日に速達でラブレターなんか届いた日には、お前以外ぶっ殺して地球の真ん中にマイホーム建てたいくらい嬉しい」
「…は、ははは」

イケメンスマイルで宣う魔法使いの子孫は、母さんが包丁を笑顔で研いでる事に気付いてるのだろうか。

「俺以外の人間に笑い掛けたら死ぬから、これからも気を付けろよ。ああ、身内以外の人間と話しても死ぬからな。それと俺以外の人間を5秒以上見たら、ソイツが死ぬ魔法も掛けた」
「笑いません話しません瞬きしまくります」
「はは。…つーか、俺以外にラブレターなんか書いたら地球ぶっ壊すから」

目が笑ってなかった。
何か前より悪くなってない?と言うツッコミには気付かない振りをしていよう。

「お前は俺だけ見てりゃ良いんだよ。その内、子供産ませるからな」
「ええ?!産めるの?!」
「伊達に17年も自主練してねぇ。今んとこ難しいのは死者の蘇生くらいか」

愛してる、なんて囁かれカチンコチンに固まった俺は、真っ赤かだったろう。
宛てにならない言い伝えのお陰で、本当は喋っても死ななかった筈の俺は、物語の人魚姫以上に制約を与えられながらも、


「お、俺も…大好きだ、よ」

まったり、大好きな人に抱き締められる幸せを噛みしめているのでありました。
…母さんの包丁も父さんが破り捨てた新聞も、この際見ない振りだ。

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