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最終更新2021/10/15(詳細はUPDATE)

大罪と煉愛の追憶

大罪。
人が人を愛する以上の罪など、この世には存在しない。



「化け物…!」

自ら暴走させた力は異世界へとこの肉体を弾き、言葉も常識も通用しない世界に容易く絶望させた。

「こんなのっ、…人間じゃない!」

紅い、紅い。
眼差しはこの世界では酷く珍しいものらしい。言葉こそ通用しないものの、誘う仕草は世界共通の様だ。欲に濡れた目で身を委ねてきた女を抱いて、生き物の記憶を司る「血液」を口にした。
生暖かい人間の匂い、酸えた金属の味。

「ひっ、」

珍しい事ではない。
遣い魔を選別し従わせる時、ウィザードは必ず下僕の血液を体内に取り込み、契約するものだ。微量の血液でその遣い魔の記憶を共有し、仲間として、または家族として生涯を共にする。

「吸血鬼…!」

覚えたばかりの異国語は、胸元をはだけさせた女の記憶を共有したに過ぎない。
そして覚えたばかりの異国語は、容易く絶望に追い詰めた。


「俺は、吸血鬼なんかじゃない」

何が違う。
生きていると言う共通点がある上で、生命に何の違いがあると言うのだ。

狂った様に叫んだ女が崩れ落ちた。傷付けるつもりなどなかった。ただ、少しばかりの血が欲しかっただけだ。
人を食う趣味はない。言葉が通じない焦りから、暴発した己の魔力が招いた失態から。

ただ少し、寂しかっただけだ。



「泣かないの、陸ちゃん」

若い母親が子守唄を歌っている。赤子の泣き声はやまない。然程広くない公園、幸せげな眼差しの母親は我が子を愛しげに見つめながら、

「陸ちゃん、いい子ね。ママの宝物」

“イスト・ベルチェ”、大地を司る神の名。この世界の言葉では「陸」、愚図りながら大きな瞳を煌めかせている赤子の、名前。


『どうして、泣いてるの』

ああ。
異国の女の血が、赤子の意志を伝えてくる。この国で深紅の眼差しは酷く珍しい筈だ。聡い赤子は気付いていた筈だ。俺が、化け物だと。

『泣かないで、悲しくなるから』

言葉すら喋れない赤子の小さな手が、真っ直ぐ伸びてきた。今頃こちらに気付いたらしい母親が、にこりと笑う。

幸せを分け与えるかの様に。
一人ではないのだと、教えるかの様に。

「こんにちは。珍しいお洋服ですね、お兄さん」
「こん、にちは」
「この子は陸って言うんです。…可愛いでしょう?」
「とても」
「抱いてみますか?ずっと見てたでしょう?」

抱いた小さな生き物は酷く暖かかった。気が狂いそうなほど彷徨った異世界で、

『寂しいなら、ずっと一緒にいよう』

崇めたこともなかった神と同じ名の、それだけが唯一。







大罪。
神を愛してしまった以上の罪など存在しない。
自ら壊した。望んで、罪を犯した。

「イスト・フォーレ!(神の慈悲あれ!)」

口々にそう叫ぶ観衆に興味などなかった。大国との戦争が原因で急逝した父と義兄、義母は愛する夫と息子を失い、跡取りとなった側室の子供を欲望の捌け口にした。

『穢らわしい童だこと…!お前が死ねば良かったんじゃ!何故あの子が死なねばならなんだっ、ああ、憎わしいイスト・ベルチェ…っ』

その頃はまだ母が生きていたからマシだっただろう。奴隷紛いの仕打ちに耐えたのは、いつか祖父の地位を継いで義母に復讐する為だった。
優しい母は悪く言えば気弱な女で、側室でありながら女中扱いされても文句一つ言わない。妃殿下は可哀想なのだ、妃殿下も苦しまれているのだ、と。繰り返し繰り返し、義母を庇い続けた。


知っている。
母は義母を愛していた事を。二人が親友だった事は暗黙の了解で、父は義母ではなく母に求愛したのだ。
けれど野心家だった義母はそれを許さず、母を父から遠ざけた。そして己が妃に成り上がったのだ。


「漸くレンディオール殿下も成人の儀!爺はこの日をどれほど待ち侘びたか…!」

それでも母は義母を愛していた。祖父は跡取りである孫に対する義母の仕打ちに耐え切れず、秘密裏に彼女の暗殺を謀った。
そして、母は義母を身を持って守ったのだ。

「お帰りになられるまで、我ら近衛兵一同殿下のご武運を願っておりますぞ!」

ウィザードでもガーディアンでもなかった気弱な女が、元ウィザードだった妃殿下を数多の魔法槍から。
血塗れの義母が凄まじい唸り声を上げたのを覚えている。殺したいくらい憎かった女だった。そんな女を死ぬまで愛した母を、馬鹿だと思った。

『神、よ。わたくしは、何と愚かな動物でしょう。今にして遂に、最愛の友を得ていた事に気付きました』
「ツヴァイクを鍛練の場にお選びになるとは、現皇帝である祖父君以来二度目!いやはや、我が国もこれで安泰ですな!」
『苦労を掛けましたね、レンディオール。恨んでおいででしょう』
「皇帝陛下も460歳の御身。お父上亡き後、お一人でメフィスト・ヴィレを牽引なされておいででした」
『愛しい夫と息子、更には親友まで失ったわたくしに、最早生きる意味はありません』

憎かった。
母の亡骸を抱いたまま別人の様な晴れやかな笑みを浮かべて、全ての魔力を解放した悪魔が、憎かった筈だ。


『陛下は、最期までわたくしを愛して下さいませんでしたね』

天を貫く炎の柱。
赤い双眸を持っていた義母は、炎のウィザードだったらしい。だからこそこの赤い目が嫌いだった。
母はいつもこの赤い目を美しいと言ったけれど。父は母譲りの黒髪を撫でてくれたけれど。


「イスト・フォーレ!猛き光の御子にご武運をっ、レンディオール殿下!」

無気力だ。
何の為に生きているのか判らない。皇帝になりたかったのは、あの卑しい女に復讐する為だ。あの女が母の亡骸と共に灰になってから、生きる意味など存在しなかった。
玉座の上の祖父とは会話らしい会話をした記憶が無い。側室の子でしかなかった俺は、死んだ兄の様に生まれ付き教育を受けていた訳ではないからだ。


100歳を迎えて漸く国を出た。
人生の半分、無気力に暮らしてきた。愚かでも大切だった母からの愛情はきっと、最後の最期まで手に入れられないまま。
目標を失ってからの50年は、酷く永かった様に思える。

「此処が、ツヴァイクか…」

死んだ様に生きていた。実際、ツヴァイク時代は殆ど記憶が無い。
体を動かしていればマシかと選んだガーディアンもすぐにマスターし、ウィザードも暇潰しにはならなかった。

国に戻るつもりはない。
馬鹿な二人の女の思い出が有り過ぎる。もう、思い出したくなかった。


「知ってるか、レンディオール。ガーディがウィザーのローブを剥がしたら、魂を喰われるんだ」
「…下らない事を」
「ウィザーは弱い癖に性格悪いからな。魔力相手じゃ、剣なんか無力だ」

ウィザードは瞳を見れば魔力の属性が判る。だから素顔を隠すのだ。傭兵と魔法使いのジンクスは、学生同士が作った物語に過ぎない。
義母は「赤」、炎のウィザード。祖父は「金」、光のウィザード。マスターウィザードの洗礼を受ければ、ウィザードの目は色を変える。あの女も祖父も、元は違う色だった筈だ。

俺は「紅」、生まれ付きの瞳はマスターウィザードの洗礼を受けても色が変わらなかった。
即ち無属性。
千年に一人誕生するか否かのプレミアものらしい。馬鹿馬鹿しい話だ。


「こんな力、何の役にも立ちはしない」

魔力を解放したら死ねるだろうかと考えた。あの女は火柱となり灰塵と化したが、ならば自分はどうなるのだろう。
僅かな好奇心は生への執着を奪い、死への憧れを呼び起こす。



全身から放たれる凄まじい魔力、歪む世界、ああ、やっと。やっと死ねるのだ、と。



「煉!」

後頭部に凄まじい痛み。
ぱちっと瞼を開いて、こんな事をするのは一人しか有り得ないと起き上がる。どうやら寝ていたらしい。

「お前なぁ、一時間目からぶっ通しで爆睡してだぞ。数学のササセンの殺人光線浴びまくって、よく平気だな」
「…陸、痛い」
「喧しい。次は大好きなマラソンだぞマラソン、とっととジャージに着替えろ」

黒髪、黒目。
異世界は地球と言う星の日本と言う小さな島国で、大きさの割に人口はツヴァイクと変わらない。
単純な暗示で戸籍を手に入れた俺が、日本で暮らし始めて16年が経っていた。

「ったく、お前はいつもいつも…」

16年前は赤子だった『イスト』も今や高校生。記憶操作は可能でも人の人体を変える事は出来ない為に、幼稚園も小学校も今の体格のまま通った俺は、この百歳以上年下の赤子に依存している。
被っていたフードを剥がし、掻き集めた魔力の欠片で瞳を黒く染めた。

「陸」
「あ?何だよ」
「イスト・ベルチェ、ナナル・ヴィレ・フォーレ(我が世界に慈悲あれ)」
「んぁ?またそれかよ。何かの神様だっけ?つか何処の言葉なんだよマジ」
「俺がこの世で唯一崇拝している名だ」

この国の人間はすぐに大きくなっていく。たった16年で、然程目線が変わらなくなってきた。そろそろ視覚暗示を解いても判らないだろう。
ただ、紅い目は死ぬまで隠し通さなければならないだろうが。

「んな事ばっか言ってないで、もう少し愛想良くしろよ。お前モテるんだから」

やれやれ、と。平均寿命80年前後の短命種の、それもほんの15・16歳から頭を撫でられる。

「…子供には興味が無い」
「お前も十分餓鬼だろ、煉」

お前の祖父より年上だ、などと言えばどんな顔をしただろう。たった80年で死んでしまうかも知れない生き物、目を離したらきっと、すぐに老いるだろう生き物。
向こうの世界で暴走させた力が満ちたのが判る。今なら、向こうへ戻る事も出来るだろう。

「にしても、腹減ったな。帰り何か食べて行かね?」

この、愛しい生き物を残して?
─────耐えられない。





『魔法使いは魂を食らう』

大罪。
欲が唸り耐え切れず神を求めた。

「好きだ」

零れ落ちる言葉はまるで間欠泉の様に吹き出し、止まる事を知らない。

「冗談だろ」

手を伸ばし、触れる間際。
殴られた唇から滴る、赤。それは最も醜い己の瞳と同じ色。

「か、える。俺、帰るから…」

逃げ去る様に駆け出した背中、崩れ落ちる膝、ああ。自ら手放してしまったと。たった80年で死んでしまう生き物を、自分は。



それからは走馬灯に近かった。
眠る様に生きて、恐らく半ば死んでいたに違いない。

いつしか卒業していた高校。
一人きりの異世界は酷く心細い。未練がましくこの世界に縋り付いていた時、向こうの世界から探知していた大司教の手によって戻されたのだ。

「ご無事で何よりでございました、レンディオール殿下」

20数年振りの故郷は何の感慨も与えない。成人の儀式を終えていた事に気付いて、正式に皇国の後継者として洗礼を受けた。
あとは、祖父から戴冠するまで自由が与えられる。


「…陸が、居ない」

魂を喰われた様に。
無気力だった。元の世界に戻って来た喜びなど、何処にも。
自ら壊した癖に考える事はいつも、愛しい生き物の事ばかり。

「せめて一目だけでも」

安定してきた魔力で異世界を映し出した水鏡に、映ったのは酷く痩せ細った最愛の、生き物。
瞬きせず、ただひたすら呆然と眺めている内に、彼は両親の前で息を引き取ろうとしていた。


神よ。
何故、高々30年に満たない人間の生涯を奪おうとなさるのか。


「恐らく、強過ぎるレンディオール殿下の力が為したものと思われます。元来、ウィザードは従者の命で以て相互契約するのですから」

大罪。
愛し過ぎた結末。己の魔力が奪おうとしている最愛の命、嘆きも恨みも音にはならなかった。
自分への怒りが全ての魔力を解き放とうとしている。ただ、800歳を過ぎていた大司教の手によって妨げられただけだ。

「祈りましょう。イスト・ベルチェと同じ名を持つこの少年が、神の慈悲を賜らん事を…」

皺だらけの手が頭を撫でた。
いつかこうして、事ある事に頭を撫でてきた生き物が居た。罪は自分自身、愛してしまった事が何よりもの。


零れ落ちた涙が水鏡に波紋を描く。
静かに密やかに息を引き取った最愛の生き物を、掻き消すかの様に。





「…おい」
「何だ」
「…何でお前が此処に居るんだ!」

ばんっ、と机を叩いた黒いローブの塊を背後から抱き締めれば、教壇に立っていた白いローブ姿の教師がビクリと肩を震わせる。

「何を怒っているんだ、陸」
「テメーは騎士だろ!皇子だろ!何で俺の席に座って授業受けてんだ、ああ?!」
「もう皇子じゃない。跡目は弟が継ぐ」

弟と言っても父の妹が生んだ子供なので、実際は従弟だ。20年以上の行方不明で痺れを切らした祖父が、叔母の元に生まれた男子を養子にしたらしい。

「良いから仕事に行け!サボるな!」
「俺の職務はツヴァイクの治安維持だ。サボりじゃない」

はらり、と落ち掛けた陸のローブを整えてやれば、情け容赦ない拳が飛んでくる。やはり彼はガーディアンに向いているだろう。
俺の血で汚れた拳をぺろっと舐めて、何を言っても無駄だと教科書を凝視していた。ガンッ、と踏み潰された膝が鈍く痛い。

「良いなぁルク、レン様のお膝だっこ…」
「何なら代わってやろうかこの野郎」
「だが俺が断る」
「黙れ不良騎士、椅子なら椅子らしく微動だにするな!」

未だ火の玉すら出せない彼は、俺の所為で死んだ事も俺の所為でこの世界に引き寄せられた事も知っている。本人は死後の夢だと思っていた様だが、異世界の魔力がない人間を生身のまま引き寄せる事は、事実上不可能らしい。
大司教曰く「祈り」が、まさか異世界からの召喚だとは思いもしなかった。但し媒体が俺の魔力なので、例え露見しても倫理法違反になるのは俺だけだ。大司教は痛くも痒くもない。…恐ろしいジジイである。

「くっそー、この世界の言葉は最初から理解出来たのになぁ」

教科書を睨み付けながらぼやく声を聞きながら、小さく笑った。きっと俺の血が陸に言葉を与えたのだ。

「俺と交われば魔力が安定すると言っただろう。早くその気になれ、我が妻」
「妻言うな!」

きっと、舐めたに違いない。
キスを拒んだあの時に、彼は俺の血を舐めたに違いない。嫌いな人間の体液を舐める奴は、少なくとも向こうの世界には存在しなかった。



大罪。
人が人を愛する事が罪だと言うなら、命尽きるまでその罪を贖い続けるだろう。

果てを知らぬ、愛そのもので。

- 大罪と煉愛の追憶 -
*めいん#
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