謐愛のグランス
招待状を待っても、ただの平凡な一般市民でしかない俺の元へ届く事などない。
差し伸べられるだろう救いの手はいつも他人の元へばかり、生まれてこの方何度も何度も何度も。
女の子みたいに可愛い幼馴染みがいる。可愛いのは見た目だけで、性格は最悪だ。
小さい頃は体格でも負けていて、友達の数も成績も腕相撲も勝てなくて。
馬鹿阿呆不細工、この世に存在するありとあらゆる悪口を投げ掛けられてきた。罵る言葉のレパートリーも向こうの方が一枚も二枚も上手だったのだ。
そんな俺様な幼馴染みが、男子校に行くと意気込んだのは中学卒業を前にした夏休み。それも東京の進学校、だなんて馬鹿馬鹿しい。
勿論、成績も性格も見た目すら平凡な俺には、ジョークでも志望校だなんて言えない代物だ。
なのに、我が儘を地で行く奴は巻き添えに俺を指名した。可愛い息子を手放したくない奴の両親が、一人寮生活する事を許さなかったらしい。そんな事知ったこっちゃない。そもそも極普通に地元の公立へ進むつもりだった俺に、今更志望校変更など不可能に等しかったのだ。
なのに、今俺は幼馴染みと共に男子校の制服を纏い、慣れない寮生活に勤しんでいる。幼馴染みの家は金持ちだ。
幼馴染みの父親が経営している会社の傘下にうちの父親が働く小さな工場があって、俺に選択肢はなかった。断れば奴は俺の家を路頭に迷わせる、とほざいたのだ。腹が立つ。
で、幼馴染みは今、生徒会長の親衛隊なるものに所属している。
入学の決め手がその生徒会長だったそうだ。金持ちのパーティーで会長に一目惚れしたのだと言うから呆れる。
俺は会長のお陰で巻き込まれたのだ。涙も出ない。
「好きだ」
さて。
そんな相手が今、何の取り柄もない、ギリギリ合格しただろう一年生を前に拳を握り締めている。
背が凍る程の美形、すらりと高い身長、伏せられた眼差しの放つ色気に目眩がした。
「えっと、…何のお話でしたっけ?」
「好きだ」
「まさか、俺を?」
「好きだ」
「すいません、良く判らないんですけど。今、何て?」
「好きだ」
馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返される台詞。隣で表情をなくしていく幼馴染みを横目に、幼い頃コイツに砂を投げ付けられて激減した視力を補う為、身に付けている眼鏡を押し上げた。
「誰かと勘違いなさって、」
「ミナト」
「…は、いないみたいですねー」
米倉南人、間違いなく俺の名前。
スキダ、と聞いた気がする訳だが、漢字変換を間違えたら大変だ。隙だ、鋤だ、好きだ。
うん、まさかねぇ。
「抱き締めてキスして、ぐちゃぐちゃにしてやりたい」
「…はい?」
「自分から足を開く様に、快楽を覚え込ましたい」
わぉ、過激。
そんな花も恥じらう美しいお顔で何を仰いますやら。寧ろ貴方の方が多くの生徒からそう思われてるんじゃないんですか。
特に副会長。腹黒そうな副会長。あれは明らかに貴方様を狙っておりますよね。噂、凄いですし。
「まさか、俺にエッチィ事をなさりたいとか?会長が?まさか」
「全身舐め回したい」
「へ、変態…」
「立てなくなるまで可愛がってやりたい」
整い過ぎて感情が読めない美貌を見上げつつ、無表情に近い唇から放たれるとんでもない台詞に痙き攣った。
見ろ、クラス中が固まってんじゃねぇか。ああ、隣で小銭握り締めたまま硬直してる幼馴染みに笑える。いつもの様に、その小銭で俺をパシらせるつもりだったのだろう。残念だったな。
「で、どうしたら良いんでしょう、俺は」
「………好きだ」
「はい、それはもうかなり聞かせて頂きました。物好きですね、会長」
「好き、なんだ」
「で、どうしたら良いんでしょう?」
俺はどちらかと言えば会長が嫌いだ。
諸悪の根源だし、何より俺がこの世で一番嫌いな幼馴染みの好きな相手、なんて。好きになる筈がない。
「好きだ」
「いや、だからですね」
「何で…」
ぽつり、と。
割り込む様に呟かれた台詞は、俺のものでも目の前の会長のものでもなかった。
いつも偉そうにふんぞり返っているか、猫被りにキャピキャピしているしかない幼馴染みが。ぽつり、と。本当に無意識で呟いてしまったかの様に、ぽつり、と。
「何で、コイツなの」
「ユキヤ」
「何で、ミナトなの」
繰り返し呟かれた台詞に、ああ、またか、と。
悟った様に諦め半分の俺は、半ば調教されていたのかも知れない。
誰からも愛されて甘やかされた幼馴染みは負けず嫌い、その可愛らしい恵まれた顔で手に入らないものはないと本気で考えているのだ。
けれど俺に対するそれが、甘えの裏返しだと知っていたから耐えてきた。身に合う可愛らしい我が儘だ、と。耐えてきたんだ。
「会長」
だから、俺は目の前の名字すら知らない相手を見上げて、そのみっともない平凡顔なんか見たくないから眼鏡でも掛けたら、などと幼馴染みに睨まれて身に付けていた眼鏡を外し、叩き付けたのだ。だって本当は眼鏡なんて必要がないのだから。だって本当は視力1.5の優良児。
それは場の雰囲気に全く似合わないものだったろう。クラスメートは誰一人として身動きせず、だからかなり目立っていたに違いない。
「会長の望みを叶えてあげます」
貴方の親衛隊に入った幼馴染みが絶望に似た表情を浮かべていた。
「全身舐め回してぐっちゃぐちゃにして下さい」
「ミナト、本当に…?」
貴方が存在した所為で俺はこんな学校に無理矢理入らされた。
貴方が存在するから、実の両親にすらもう、甘えられなくなった。
「お付き合いしましょう」
だから、今度は貴方がその全てを用いて俺に償う番だ。
凄く嬉しそうに微笑む顔に罪悪感などない。
掛け慣れた眼鏡を外して、名前すら隠して。幼馴染みに引っ張られたパーティーで出会った、全てに無興味そうな貴方を。可愛がって甘やかして俺なしでは寂しくて死んでしまう様に、このたった2ヶ月で躾たのは俺。
先に出会ったのは俺だったのに。
目を付けた幼馴染みから取られたくなくて、嫌がれば燃え上がる性格を利用してただ当然に入学した高校で、ほら。
再会した貴方はもう俺に夢中。
全ての権力を使って見付けたのだろう?俺が会いに行かなくなってもう二週間だから、気が狂いそうだっただろう?
「ユキ、おいで」
手を伸ばせば誰よりも幸せに笑う獲物へ、久し振りに心から笑った。
名字すら知らない相手を見上げて、今にも泣き出しそうな幼馴染みを横目に。
「好きだ、ミナト」
「うん、俺も」
縋る様に跪く様に抱き付いてきた寂しがり屋の貴方も、俺以外には甘えられない不器用な幼馴染みも、二人から真っ直ぐ注がれる独占欲も。
どっちの『ユキ』も大好きだから。
招待状を待っても、ただの平凡な一般市民でしかない俺の元へ届く事などない。
差し伸べられるだろう救いの手はいつも他人の元へばかり、生まれてこの方何度も何度も何度も。
だから、俺が待つ事にしたんだ。
招待状を配って配って、救いの手を差し伸べる。
「本当に、大好きだよ。…ユキ」
俺に惚れてる事にすら気付かない馬鹿な幼馴染みも、早くこの手を取れば良い。
俺はただ静かに待つだけの。
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