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中学時代は今よりずっと外交的だった様な気がする。それすら勘違いなら、それだけ俺と言う人間は生まれた時から面白味がなかったと言うだけだ。
「鈴蘭は純潔、スイートピーは新しい門出、」
「ねぇねぇ、お蕎麦にもあるの?うち、お蕎麦屋さんだけど」
「懐かしい思い出」
家が花屋で、母親の実家は茶道の家元。庶民的なのか倒錯的なのか、放任主義の両親は商店街の小さな花屋を心の底から愛していて、俺は俺でそんな二人も花も大好きだったんだ。
「へぇ」
「続けるよ。赤い薔薇は情熱、片栗は嫉妬、カモミールは苦難に耐える」
「うわーっ、多岐君すごぉい!」
「流石お花屋さんの息子っ」
片田舎の呑気な中学では、当時花言葉が流行っていた。その頃流行のドラマが大抵皆の話題を攫い、たまたま花を題材にした「シクラメン」と言うドラマが放映されていただけだ。
「シクラメンには、内気とか恥ずかしがり屋って花言葉がある。だからあのドラマじゃ、控え目な主人公がシクラメンとサルビアを花束にしたんだ」
「サルビアの花言葉はー?」
「燃える思い」
「「「きゃあ!」」」
ドラマのヒロイン気分で主役の俳優が格好良いと話し合う女子達に、のんびりしている男子達は思い思いの遊び道具片手で肩を竦めている。
「多岐もサッカーやんねー?」
「あ、帰って家の手伝いがあるから…」
「そっか、じゃーな」
「気ぃ付けて帰れよー」
「また明日な」
小さな商店街は家族同然、それが商店街の子供達となると話した記憶が無くてもマブダチだ。
運動神経に恵まれなかった地味で趣味読者の俺なんかにも、皆は普通に声を掛けてきた。今思えば、中学時代が一番幸せだったのかも知れない。
「タッキー、さっきの話のお礼にこれあげる!」
「ユッコのお母さんが育てたんだって。これで須藤先輩に告白するんだよユッコ。卒業式はもう来週なんだから」
「タッキーって呼ばないでよ村上さん。何かアイドルみたいで…」
「じゃー、カエデちゃん!」
「あはは、ユッコ駄目だって!多岐君は名前が嫌いなんだよ!」
多岐楓、別に俺は自分の名前が嫌いな訳じゃない。ただ、その花言葉を両親から聞かされてから、分不相応だな、と思い始めただけだ。
非凡な才能。遠慮。確保。自制。
すくすく伸びる楓の木には幾つか花言葉があって、頼まれたら断れない性格の俺に「非凡な才能」なんて無いから。遠慮と自制、その二つばかりが圧し掛かる。
「それより、本当に告白するつもりなんだね村上さん」
「とにかく、タッキーにはお世話になってますからねっ。あ、でも変な勘違いしないでよ!」
「ユッコはサッカー部の須藤先輩が好きなんだもんねぇ。皆知ってるよ」
「でもこれじゃ、」
「じゃ、差し入れてくる!あわよくばそのまま告ってくる!」
「ばいばい、多岐君」
勝手な思い込みと言われればそれまでだ。
外で遊ぶより家で本を読む方が好き、なんて女々しい俺に学生時代野球部だった父さんは外で遊べって言ったけど。だったら「カンナ」と名付けるべきだ。なんて、母さんはのほのほ笑った。
それこそ女の子みたいな名前だ。
花言葉は快活。
「あっ、見て見てぇ、東葉の瀬戸君だよー!」
「あ、本当だ!」
「いやん、カッコいー」
半ば押し付けられた赤いシクラメンを小脇に、川戸手をひたひた歩いていた時だった。
「今日はお迎えじゃないのかなっ」
「いやん、カッコいー。ああ言うのって別世界の王子様って言うんじゃない?」
「少女漫画の王子様なんか目じゃないよねぇ」
片田舎には勿体ないくらい綺麗な顔をした私立校のセト君は、街で一番大きい屋敷の一人息子らしい。らしい、と言うのは、彼は小学生の頃から私立校に通っているからだ。
小さな商店街を突っ切って別荘地の一番奥、一番大きいお屋敷に一人で住んでいると専らの噂。たまにたまーにそのお屋敷から注文が入ると、いつもはのほのほ花の手入れをしている父さんも、キリっと表情を引き締めて愛車の原付に跨る。
都会の凄く大きい企業の別荘なんだって。本家とか分家とか、まるでドラマの世界。そんなお金持ちの息子らしい。
「あれがセト君か…」
学校以外では殆ど外に出ない俺は、明らかに公立の白シャツ黒スラックスなんて在り来たりな学ランではない、上品なブレザーに目を奪われた。
体格に合わないシクラメンの鉢植えを抱え直して、黄色い悲鳴を上げる女子の影からその長身を盗み見た。
「キラキラしてるよねぇ」
「ほんと、オーラが違う」
「名前、光輝って言うんだよねぇ」
「名前まで輝いてるもん」
感嘆めいた溜め息を零す赤い頬を横目に、夕暮れ時の川戸手を颯爽と歩く「王子様」を見ている。
「コーキ、か」
伏せられた長い睫毛が不意に上がった。どんな字を書くんだろうと首を傾げながら見つめていた俺が、王子様と目が合った様な気がしたのはまず勘違いだろう。
僅かだけ見開かれた様な気がした切れ長の目は、我慢出来なかったらしい公立女子のお陰で逸らされたのだから。
「こんばんは瀬戸くんっ、今帰り?」
「今日はいつもより遅いんだねっ、部活やってるのっ?」
うちの学校でも垢抜けてて美人だと有名な先輩達が、砂糖に集る蟻みたいな勢いで背の高いイケメンを囲んだ。
「えっと、」
「ねぇねぇ、一緒に帰ろ!瀬戸君のお家遠いんだから、危ないよ!」
「うちうどん屋だけど、寄って行きなよ。近いし、アレだったらお父さんの車で送ってあげる!」
やたら迷惑そうな顔をしながらも律儀に相手をしてやる王子様に、あのままだと帰れないんじゃないかな、とは思ったがわざわざそれを教えたりはしない。まずもって話し掛けられる訳がないじゃないか。俺に。
「あーあ、重たいな…」
抱え直した赤いシクラメンの鉢植えに息を吐く。家に帰れば文字通り「売るほどある」鉢植えを、えっちらほっちら抱え直し抱え直し、背後では未だに騒ぐ先輩達の甲高い声。
「村上さん、赤いシクラメンで須藤先輩に告白するつもりなのかな…。ま、いっか」
中学2年、冬の終わり。春が見えていたその時までは、確かに俺はまだ幸せだったのかも知れない。
「何へらへら笑ってんの、お前?」
2年後。私立東葉高校の教室で対面した「王様」から目を付けられるまでは、
「…っ、………!」
「はっ、こんだけ蹴られても声一つ上げやしねぇ。…興醒め」
「あはは、光輝様、もうお仕舞いにしてあげるんですか?」
「まさか」
髪を掴まれて目を合わせるよう強い力で引き上げられた。
「ねぇ、お前さぁ。いつもそんな目で俺を見てるよねぇ」
「………」
「俺が好きなの?」
甘い甘い、溶けるくらい甘い眼差しには残虐さなんかまるで知らない様な光が、キラキラと。
あの夕暮れ時に見た煌めきがキラキラ、キラキラ。
「気色悪ぃんだよ」
「っ、─────ぁ!」
抵抗したらしただけ地獄が近くなる。ただただ王様の興味が逸らされる事を祈りながら、全ての感情を飲み込むだけ。
もう声なんか出ない。もう話す事なんか何もない。助けてくれる人も居ない。此処にも、何処にも。
「ねぇ、何で生きてんの?」
優しく笑う唇、女神の慈悲染みた微笑で何の躊躇いもなく囁かれた台詞に、俺は投げ出したのだ。
純白の手袋を。
「殺されちゃう前に、死んじゃえば?」
仄暗い不発の感情を織り込んだ純白の手袋を。声もなく一人、瀬戸光輝の右頬に投げ付けたのだ。
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