暖まる黒猫



 桜花さんと別れてから数十分、俺は店内に戻るわけでもなく桜花さんが消えていったエレベーターをずっと見詰めていた。途中で足が疲れてきてずるずると扉伝いにその場で縮こまれば前髪が膝に落ちる。
 じっと前髪を見てから少し弄って桜花さんの言葉をリピート。


(黒田はんの目ぇは、お月さんみたいやなあ)

 脳裏に浮かぶ桜花さんの陶酔した顔は例えようのないほど妖艶で綺麗。印象的な銀髪が揺れて、

(綺麗な瞳…まるで月みたいだ…)

 前髪を弄っていた手を止める。不意に桜花さんの姿とあの人の姿を重ね合わせ複雑な気分になった。同じ銀髪で同じ色白い肌に自分を見つめる陶酔しきった瞳。弧を描く口元と甘ったるい香りを鮮明に覚えてる。

「……クリオロ、さん」

 ぽつりとその人物の名前を囁けばいきなり背中にあった扉の存在が消え案の定それに預けていた背中はそのまま後ろへ。
 ばくばくと煩い胸を抑えて仰向けになったまま天井を見れば三水が驚いた顔で俺を見ていた。

「びっ…くりした…っ!!」

「いやそれは俺のセリフだから」そんなことを当の本人には言わない、言ったらきっと逆ギレして俺の頭を平気で踏みつけてきそうだから、踵で。
 ゆっくり立ち上がり背中に付いたであろう埃を払い落とす。直ぐ店内に戻らなかったことに対して謝ると三水は不機嫌極まりない顔で溜め息を吐き、そして顎で店内に入れと指示されたので素直に従った。

「黒田、お前カチューシャ返さなかったのか?」

 三水が扉を閉めながら言った。どう説明すればいいのか分からず取り敢えず貰ったとだけ答える。
 三水は大して気にする様子もなくカウンター内に入るとテキパキと準備をし始め、

「大将がこっちに来るとさっき連絡が入った、お前に会いたいんだそうだ。よかったな」

無表情でそう言うもんだから良いことだとは思えない、というか。

「大将って…」
「龍獄会の会長。多分オヤジから聞いたんだろ、前にもここでお前の事を話してたから」

 何故そんなお偉いさんがわざわざ下っ派の俺に会いに来るんだろう、まさかCHU-RINのヤツ俺の事を面白おかしく話したのでは。そう考えれば有り得なくもない寧ろ有り得る確実に、アイツの事だから。
 席に座りカウンターに突っ伏し項垂れた。三水はそんな俺を無視して冷凍庫から桶のような容器を取り出すと中から自分の手のサイズ以上の氷を持ち、アイスピックでそれを大まかに砕いていく。
 そういえばここに来て今更だが自分は仕事らしい仕事をしていないことに気付き何か軽い掃除ぐらいならと辺りを見回したが、店内は清潔以外の何もなく埃を探すだけ無駄と理解。次は三水の手伝いをと思ったが逆に足を引っ張りそうなので止め結局突っ伏す状態に戻る。小さく息を吐くと俺の目の前にコトリとグラスが置かれた。
 ほんのりと柑橘系の香りが漂う黄色い液体を見て、三水を見て、これは何だと問い掛けるより早く彼が口を開く。

「お前は自分しかできない仕事をちゃんとしているから大丈夫だ。僕は今日初めて桜木桜花に会ったけど、見たとき苦手だと思った。でもお前が相手をしてくれたから助かったよ。それは礼だ、飲め。」
「……それなら、よかった。です」

 気まずいと言うか恥ずかしいと言うか初めて三水からそんな言葉を聞いてムズ痒い気持ちになる。
 源吉やCHU-RIN、桜花さんにも俺の考えていることを見透かされ、その上三水まで俺の思考が読まれているとかどれだけ分かりやすいんだ俺は。そう思いながら言われるがままにグラスに口を付けた。
 トロピカルな風味とさっぱりとした味が口内に広がる。

「…うまい、です」
「さっきから何だ、そのぎこちない話し方は」
「いや別に。これ何?」

 そうさせたのは誰だ、と心の中でぼやきながら初めて飲むカクテルについて質問してみる。

「プッシー・キャット。ノンアルコールカクテルでオレンジとパイナップル、後グレープフルーツのジュースを混ぜたものだ。お前がなかなか店内に戻ってこないから暇潰しに作ってた。ここに入りたての頃、オヤジが僕に作ってくれたものでね」


『頑張り屋の可愛い弟だけに作ってあげる特別なヤツ。』


 いつもの無表情じゃなくてどこか懐かし気に優しく話す三水をほんの一瞬だけ見て、相槌をうつわけでもなくただ今の自分の顔を見られないようにと注意しながらグラスを傾けた。


 喉に流し込む度その部分を冷やしていくプッシー・キャット、冷たいのに何故か暖かかった。






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