固まる黒猫



 

 未だ唖然とする俺を見て口元にだけ笑みを浮かべ離れていく彼のその表情があまりにも妖艶で、自分が確実に変態区域に片足を突っ込んでいるのだと自覚した。
 好意を抱いていた人が同性だという真実を突き付けられたのにも関わらず、彼への興味が一層強まってしまった自分を蹴り飛ばしたい。

「もしかして初恋やったん?」
「…!!」

 シャツのボタンを止めながら言う彼の言葉にぎょっとする。彼に向けていた好奇心がバレていたと同時にそれがまさかの恋心だったと知れば自然と顔に熱がいく。
 身嗜みを整え終わった彼は何も言えない俺を見るなり鼻で笑うと、手に持っていたカチューシャを取りそのままエレベーターに向かって足早に歩きだした。
 遠ざかっていく背を見ていると彼に不快な思いをさせてしまった罪悪感が沸き上がってくる。男が男に好かれていい気分になるのは同性愛者ぐらいのものだ。廊下に響くブーツの一定のリズムよい音が尚更その考えに拍車を掛け咄嗟に口を開いた。

「…すみません、でした」

 このまま彼を不快な気持ちにさせたまま帰らせたくない、その一心で発した消え入りそうな声にブーツの音が止んだ。いきなりの静寂にこの後起こるであろう展開を予想し息を飲む、近付いてきた、これは罵声を浴びせられるに違いない。好意を持っていた相手だからか不安感が一回りも二回りも大きくなった。きっと今の彼は不愉快そのものと言わんばかりの表情をしているんだろうと思うと、怖くて目線を自分の足元から彼の方へあげることができず、彼の態とらしい溜め息に目をきつく瞑る。

「…不思議や不思議や思うとったけど、これほどやとは。ほんま変な子」

 そう言い終わるや否や微かに聞こえた呆れたような小い笑い声に無意識に彼の顔を見上げ、息を飲んだ。
 彼が初めて笑った。会って数時間今まで俺に向けられた笑みは温度のないものばかりで、三水から事情を聞いていたから仕方がないのだと思っていたのに。
 予想とは真逆の展開に俺の脳は完全に凍結。ただ目の前で素直に笑ってくれている彼に見惚れていたが、直ぐ様視線に気付いた彼は笑うのを止め行き成り俺の前髪をぐい、と掻き上げてきた。
 凍結した脳は一気に解凍され、彼の新たな怒りを買ってしまったのかと慌て捲りながら先程よりクリアな視界で目の前の人物を見ると

「…黒田はんの目ぇは、お月さんみたいやなあ」

陶酔したように溜め息混じりで囁かれた彼の言葉はそれはもう艶やかで、頭の中をぐるぐるとそれがリピートされると同時にどこか不思議な感覚が俺を支配した。

「あんたばっかりうちのこと見て、あんたはうちにちゃんと見せてくれはらへんのて、いけずやない?」
「…え?見せる?」
「うち、あんたの目ぇ好きや、これからうっとこ来るときカチューシャ付けよし。それ以外は外してその目ぇ誰にも見せんといとくりやす。ええね?」
「え?いや、」
「ええね?」
「はい」

 言葉の意味を完全に理解する暇もなく半ば強制的に返事をさせられると、掻き上げられた前髪は解放されいつも通りの視界に、そしてさちゑさんにと渡したカチューシャが俺の手に再び戻る。その反対の手には彼の名刺を持たされた。
 彼は俺から一歩後ろへ下がり「いつでも来よし」と言葉を残して帰っていけば、俺は薄暗い廊下に一人ポツンと残される訳で。静かな空間で徐々に頭が回転してきたので彼が言った言葉を思い出してまた固まる。



(好きや)



 多分俺の顔は今、凄いことになってそうだ。









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