怯える黒猫
「―った…!!」
脳天に衝撃と共に鈍い痛みが走り上体を起こした。じんじんと痛む頭部を擦り重い瞼を開閉させ辺りを見回すとボトルを持った三水と目が合う。
ああ、俺はあのまま寝てしまっていたのか。上手く働いてくれない頭に溜め息を吐き額を押さえた。
「いつまで寝てる気だお前は」
「…悪い」
懐かしい夢を見ていた余韻に浸りたいがこのままカウンターに留まっていてはまた三水の鉄槌がきそうだ。そう思いながら椅子から腰を上げ両の足に体重を掛けた。
「…で、俺は何をしたらいいんだ?」
椅子から立ち上がったのは良いものの人生初めての仕事。何をしたら良いか分からず三水に指示を促した。
すると彼はボトルをカウンターに置きその横にあった薄っぺらい本を俺に渡す。
「一時間後開店するから、それまでに接客の仕方を完璧にとは言わないけどある程度覚えて欲しい」
今日の仕事はそれだけと言い足すとボトルを持ってカウンター内にある扉の奥の部屋へと消えた三水。それを見送った俺はまた椅子に腰を降ろし手渡された接客マニュアルの頁を適当に捲り文字を目で追っていく。
そこでふと、ある人物が居ないことに気付きカウンターの奥の部屋へと入っていく。
部屋はコンクリート剥き出しで十二畳程の広さ、入り口から右奥に黒革のソファーと、その前にガラステーブルが置かれていた。対して左奥には本棚とスーツケースがあった。
三水はソファーに座りながら膝上でノートパソコンを弄っている。カタカタとキーボードを打つ音が殺風景な室内に響く。
「…何勝手に入って来てるんだ」
視線はパソコンに向けたまま俺に言い放つ三水。
「…や。好奇心?」
素直にCHU-RINは何処だとは言えず意に反した言葉が出てきてしまった。俺の言葉が言い終わる前にキーボードを打つ音が止み代わりに射抜くような怒気を含んだ視線が此方にとんできた。
頭の中で危険信号が点滅したと同時に彼から目を反らしマニュアルに目を向ける俺。
「…CHU-RINは?」
重たい状況に居た堪れず次こそ素直に問い掛けると、三水は怒りから不機嫌な表情へと変わり小さな声で「偵察に行かれた」と答えた。
「…偵察するんだな」
「当たり前だろ、しかもここ数年は特に変な奴等が沸いてきてるから尚更だよ」
三水の言葉に眉を寄せ顔を彼に向けると手招きされた。
恐る恐る三水の所まで移動し彼の隣へ腰を降ろすと、大の男二人分の体重によりギシリと音を発てるソファー。
三水の膝にあるノートパソコンを覗くと画面は小さな字に埋め尽くされていた。その中に赤い字で書かれたものがあった。
「…大辺、大輝?」
「最近ここら一帯を嗅ぎ回ってる大辺組の頭さ、ただ何かを探してるだけで危害は一切ないんだけどね。胸糞悪いよまったく」
なら潰せば良いじゃないかと言えば龍獄会の会長様は抗争が嫌いらしく危害がないとなれば手が出せないでいるとのこと。
なんでそんな奴がトップにいるのかが分からない、なんとも怠けた会だ。そう思い溜め息を吐くと隣の人物から足を蹴られた。
「あの人は無駄な争いはしない方なんだ、人を大切にするからこそなんだと思う。変な考えをするな」
「…悪い、CHU-RINはここを偵察に行ったのか?」
そう問えば正確な事はわからないと答える三水。
なんでもCHU-RINの相手がわからない偵察は4年程前から行ってるらしい、その説明を聞いて肩を落とした。
俺の姿を見た三水は「桜木桜花の事?」と逆に問うてきた。それに頷けば、
「じゃ、本人に聞いたら?」
信じられない言葉を返してきた。
ここの店は予約制となっているらしく予約者の名前に彼女の名前があったからだ。
三水は先程の情報画面から予約者一覧表のファイルを開き嘘だと思うなら確かめてみろと言わんばかりにノートパソコンを俺の膝へ乗せた。
予約者の欄には確かに彼女の名前がある、そして来店時間の欄には午前1時と打ち込まれていた。現在の時間は午前12時30分、後30分で彼女がくる。
「三水…」
ノートパソコンを持つ手をわなわなと震わせながら三水の名前を呼ぶと短く返事が返ってくる。
「…三水、俺、」
なかなか先に続かない言葉に苛立ちを覚えたのか三水の視線が痛くなる。だが、そんなことは御構い無しでなんとか言葉を発すると三水はきょとんと間抜けな顔になってしまった。
「俺、女性と、話、なんて…したこと…ない……ッ!!」
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