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=侍女(3)=



母は見目ばかりが美しい、お世辞にも母らしいとは言えない女性だった。
家業を切り盛りしていたのは専ら父と姉。派手で奔放な母と違い、父は寡黙で優しく、歳の離れた姉は仕事も家事もそつなくこなす器用な人だった。今思えば、自分が生まれたあの家は、そんな彼女の働きで成り立っていたと言っても過言ではないだろう、と女は暗い檻の中で、凛と美しかった姉の姿を思い描いていた。

とうの昔に父は亡く、姉も随分と前に遠くへ嫁いでしまった。
当時、姉が嫁ぐ事で家に残されたのはまだ少女だった女と母。
母が多少の改心を見せて働けど、僅かな日銭では満足に食べていく事もままならない。大人の少し手前で少女は、自分を“女”として売りつける事を自然と覚えた。痩せ細った身体でそれを続けていく事は難儀だったが、自分の境遇を明確に理解していた彼女は特にそれを悲観したりはしなかった。
やがて見かねた姉夫婦は母と妹を引き取りたいと申し出たが、少女は遠慮した。奴隷として売り払われたのは想定外であったが、現状と比べても大差はないと彼女は大袈裟には捉えなかった。

冷たい格子の中に放り込まれて恐らく既に3日ほど。客の有無や建物の出入り口から時折入り込む日差しで時の感覚はさほど狂いはしない。しかしそれを感じる余裕のある者がこの中にどれ程いるだろう。皆が皆力なく項垂れ、絶えず耳に入り込んでくるのは自分と同じ檻の中で過ごす女達の啜り泣く声と、彼女達が僅かに体勢を変える度にその存在を主張する手枷足枷の擦れる音ばかり。
訪れる客の色欲に塗れた目に晒される以外に何をする事も許されないこの空間では、たとえ数日でもそれは幾月にも感じられる程の長い長い時間だった。
このままここを訪れる何処かの男に買われてゆくのが自分の運命だと悟れば悟るほど、やはりその陰気臭い先の人生に“こんなものか”と諦めに似た溜息をついた。

そんな運命を払拭したのは、一人の若い男だった。
身なりもよく涼やかな顔立ちをしたその男は、何を思ったか一目見て女を高値で買い取ったのだ。
その男が、現王の側近中の側近であるペンギンだと知った時には、女はあまりの驚きに眩暈すら覚えた程だった。

「――――好きな花はあるか?」
「花……ですか?」

唐突な質問に女は唖然とした表情でペンギンを見上げる。意味が分からないと言わんばかりに首を傾げる女に、彼は僅かに眉を寄せた。

「後宮に入る者は皆、元の名を捨て花の名を名乗る。好きな花の名を付けるといい」
「……花を愛でた事がありません」
「一度もか?」
「はい。ですから、花の名といわれても…」

語尾を濁しながら俯いた女に、どうしたものかと視線を泳がせた。
ハレムへ入る女に同情する事などまずないが、この女の表情や仕草は、何故か自然と彼を惹き付けた。かと言ってどうなる訳でもなく、彼は知り得る花の名を一通り思い浮かべた。

「―――**」
「え?」
「名だ。**と言うのはどうだ?」
「**……」
「気に入らんか?ならば他の名を…」
「いいえ!有難う御座います…。素敵な名前を頂いて、勿体のう御座います」

大きく一礼する女に、今度はペンギンが唖然とした。**と言う花が別段好きなわけでもなく、ただ思いつく花の名と現在ハレムに住まう女達の名を照らし合わせ、未だ付けられていない名を上げただけなのだが。
勿論そんな事は知らずに大きな瞳を輝かせる女に、ペンギンは思わず笑みを浮かべた。

「勿体無いと言うが、ごく小振りな野花だぞ。そういえば雰囲気は何処となく似ているな、似合いの名だ」
「そうなのですか?…一度でいいから見てみたいわ…」

目を伏せ呟く女はその瞼の裏にどのような花を思い浮かべているのか。柔らかな笑みを湛えながら胸の前で指を組む彼女に、ペンギンは再び口元が緩みそうになるのを堪えるように彼女から目を逸らした。

「いつか、目にする事もあるかも知れんぞ」

ペンギンのその言葉に期待を抱き、女はハレムの侍女“**”としての人生を歩み出した。
結果として彼女は、この有能な王の側近によって人生を大きく好転させられたことになる。
更にはペンギンがこの時ほんの少し垣間見せた笑顔と優しい言葉が、**の未だかつて抱いた事のない恋心というものを目覚めさせ、それが報われない事の苦しみを彼女に与える事になったのだが、**はそれを悔やんだり嘆いたりする事はなかった。



そう遠くない過去の出来事に耽っている間に、夜は深まっていた。
鏡の前で一度だけ髪を直し、**は同室の彼女達を起こさぬようひっそりと部屋を後にした。

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