ふわり、と宙を舞う。
それから風に流されて、踊るようにあたりに広がってから地面に落ちた。桜の花の、微かな香りも風に乗る。ああ、桜のマフィンなんかもいいな。ほんのりと鼻に残る甘い香りを感じながら、ぼんやりと思った。少しだけ塩気のある甘みは後味がいい。帰ったら作ってみようか。そう思いながら上を見上げると、宙を舞う桜の花びらが、朝陽を浴びてきらきらと輝いた。きれいだ。あの子とどっちが綺麗だろうか。最近、校庭の桜並木を歩いているといつも考える。太陽の光を帯びれば眩しいほどに輝いて、時折見せる笑顔は逞しくも美しい。その美しさと生命感は、花に似ていた。強く掴めば潰れてしまう。
ふ、と目の前に待った桜の花びらを、無意識のうちに掌でそっと包んだ。散ったばかりの花びらは、小さく可憐で鮮やかで、やっぱりあの子に似ていた。

「おい」

何一人でにやついてんだ、と気味悪そうに男が言った。振り返らずともわかる声の主に、「なんでもねぇよ」と邪険に言い返す。なんだか邪魔されたようでひどく腹が立つ。よりによって、このマリモ野郎に。まるで夢から醒めたような陰鬱な気分で校舎に向かうと、少し後ろをマリモもついてくる。思わず、着いてくんな、と言うとマリモは「こっちが校舎なんだから仕方ねぇだろ」と呆れたように言った。ああ、最悪だ。朝からこんな奴に会うなんて。神様は無情だ。何が悲しくて、こんな綺麗な桜並木をこんなマリモ野郎と歩かないといけないんだ。ここでばったり会ったのが、ナミさんだったらどんなに幸せだったろう。朝陽を浴びながら舞う花びらにも違わぬほどきれいな笑顔を思い出しながら、ぼんやりと考えた。ああ、彼女を思い出すだけで、顔が。

「朝から気持ち悪い顔すんなよ」
「…黙ってろクソマリモ」

この男には繊細さの欠片も無いのか。この満開の桜並木を見てきれいだなとか思う美意識も無いのだろうか。一瞬だけ想像して、いやそれはそれで気持ち悪いなと掻き消した。こ
んなクソマリモはほっといて、早く教室に行くべきだ。そう思って歩調を早めた。ムサい男と並んで歩くのは御免被る。
俺が歩調を早めた途端、校舎からチャイムが鳴り始めた。ああもうそんな時間か、と思っていると、後ろの方から足音が近付いてきた。遅刻なんてハナから気にしていない俺達とは違う、どこかの真面目な生徒が走って校舎に向かう足音だろうか。不意に後ろに目をやると、眩しいほど鮮やかなオレンジの髪が、宙を舞う桜と同じように風になびいていた。
ナミさん、と俺が声をかけるより先に、ナミさんが「あ」と声を上げた。途端に彼女の姿勢がぐらりと揺れた。躓いてバランスを崩した彼女の方へ、俺は必死に手を伸ばす。ついさっき、桜の花びらを掴んだように。
ドサリ、とナミさんの鞄が地面に着地する。俺は受け止めるはずだったナミさんのほうへ目をやった。
彼女の体は、俺のすぐ隣に居た男に支えられている。

「大丈夫か」

クソマリモに訊かれて「う、うん」とはにかむ彼女の顔は、やっぱり可愛い。俺がそんなことを思ってるうちに、マリモは落ちた鞄を拾い上げ、「ん」とナミさんに手渡した。ありがとうと言う彼女の声を聞いて、何故だか胸がズキリと痛む。あれ、もしかして。一人不穏な空気を感じている俺の気も知らないで、マリモはナミさんの頭に乗っていた幾つかの桜の花びらを、手でぐしゃぐしゃと払いのけた。
何触ってんだクソマリモ、と怒鳴ってやりたくてもできなかったのは、顔を真っ赤に染めて俯く彼女の顔が見えたから。
おかしい。
俺は心の中で呟いた。桜並木の下で並ぶ二人の姿が、どっちも俺には眩しくて、少し目に染みる。大好きなオレンジの髪も、忌々しい緑の髪も、どっちもきれいだ。

やっぱり神様は無情だ。
内心呟きながら、掌にしまってあった桜の花びらをそっと放した。風に舞うその花びらからは、甘い香りはもうしない。











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