怨念渦巻く古城のほとり。こんな場所で温もりだとか優しさだとか、そんなものが似合うわけがない。ましてや恋なんて。考えるだけで虫唾が走る。私はこのドロドロと人間の怨念渦巻く古城の畔、温かいココアを片手に呪いの歌でも唄っていれればそれでいい。
そのはずだった。
ぎりり、と唇を噛めば鈍い痛みと微かな血の味が口の中に広がった。何がそんなに悔しいのかもわからない。とにかく自分の目と鼻の先で人の気も知らず眠る男をじっと見つめた。唇を噛む力が強くなる。人の気も知らないで。そう吐き捨てたくなる気持ちも、傷だらけの体を見たら何故だか和らいだ。こんな体になってまで強くなりたい理由は何だ、と訊きたくてもいつも訊けない。
それは恐怖と似ていた。




百年の恋




寝ているとばかり思っていた男の目が、いつの間にか微かに開いていた。男の視線の先には窓がある。窓の外を見ているのか。それともただ目を開けているだけなのか。どちらか聞きたくて口を開きかけたが、何故だか言葉にならなかった。おかしいな、と自問する。何を躊躇っているのか。この古城でこの男を暮らすようになってから、だいぶ月日は経っている。なのにいつまで経ってもこの違和感は無くならない。二人きりだと息が詰まる。そうだと分かっていて二人きりになる。私は何がしたいんだと自問しても答えは出ない。まるで自分が何かを期待しているようで、腹が立つ。

「まだ居たのか」

ベッドの上でゆっくりと体を起こしながらロロノアが言った。傷の手当てをしてもらっておいてその言い草はなんだ。そう言い返してやろうと口を開いた途端、ロロノアが「悪いな」と呟いた。不意打ちのせいで何も返せない。

「ありがとう」

それだけ言って、ロロノアはまた窓の外に視線を戻す。お前のそういう所が嫌いだ、と心の中で呟いた。最初はあれだけ邪険にしておきながら、こうして優しく礼を言う。お前のその優しさに振り回される身になってみろ、と喉元まで出掛かったけどやっぱり言えない。言えたら楽になるのだろうか。窓から差し込む月の光に照らされた、ロロノアの横顔を見ながらぼんやりと思った。
ふん、と鼻を鳴らして足を組み直す。別にお前のためじゃないとか、気が向いたから手当てしてやっただけだとか、適当な言い訳が脳裏を過ぎるが口には出せない。もうどれも使い古しだ。虚勢を張るのにも疲れた。どうせこの男には通用しない。憎しみでも悔しさでもない感情が行き来する。この男の傍にいるといつもそうだ。男の横顔を盗み見れば、やっぱり人の気も知らないで窓をじっと見つめているだけだった。お前の傷だらけの体に包帯を巻いている時、疲れきって眠るお前の傍でただ座っている時、私がどんな気持ちでいるか考えたことあるか。いつもそう吐き捨てようとして止める。考えるだけ虚しい。何を思っているのか考えるのは、いつも私だ。

「どうした」

思わずびくりと体が跳ねた。いつのまにか私に向けられた視線に動揺する。突然のことに頭も働かなくて、ただ視線を逸らして「べ、別に」と言うのが精一杯だ。ああダメだ、ともう1人の私が脳裏で呟く。ダメだ、こんなのじゃ見透かされる。そんな気がした。

「お…お前こそ」

さっきから何見てるんだと訊ねると、ロロノアは窓の方に視線を戻し、「月」とだけ呟いた。月?と思わず繰り返す。

「満月だ」

見てみろ、とばかりにロロノアが窓の方へ小さく顔を動かす。私も促されるまま窓を覗いたが、自分の居る場所からはよく見えなかった。どこだ、と呟きながら覗き込んでいると、ぐらり、と体が大きく揺れた。何するんだ、と私が言うよりも先に、ロロノアは私の腕を掴んで引き寄せて、もう片方の手で「ほら」と窓の方を指差した。見上げると確かに大きな満月が、暗闇の中堂々と輝いていた。ああこれを見ていたのか。確かにそれは見惚れるほどに、きれいだ。
こんな場所でも綺麗なものがあるのか。ドロドロと怨念渦巻く古城の畔、あたりはいつでも薄暗くて陰湿。そんな場所に不釣り合いなほどに濁りなく、輝く満月が眩しかった。

「きれいだな」

私が言うと、ロロノアはそのまま黙って満月を見上げた。さっきまでとは比べほどにならない程近くなった横顔を見て、途端に心臓がドクンと跳ねる。私の気も知らないで、ロロノアはやっぱりただ黙ったまま、月を見ていた。私はと言えば、満月の美しさに見とれればいいのか、男の横顔を見ればいいのか分からずに混乱していた。どっちも眩しかった。

「月が好きなのか?」

自分の動揺を紛らわそうと、口を開いた。沈黙よりはマシだ。ロロノアは「別に」とだけ返してまた黙る。その横顔を見て、ようやく合点がいった。正しくはその瞳だ。満月で何かを想い出してる、そんな目だった。それはたぶん、私にはわからないものだった。

「仲間が恋しいのか」

少し冷やかしてやろうとすると、ロロノアまた「別に」と言って鼻で笑った。思わず嘘付け、と言いたくなる。地球の裏側に居るかも知れない仲間同士で、二年後にはまた再会するんだと誓うほどの絆があるなんて。正直気が知れない。それだけ離れていても絆で繋がってるってやつか。とにかくそれ程までに信じ合える仲間がいて、恋しくないわけがない。
果たして再会できるかわからない仲間がいるのと、必ず別れる日が来る奴がいるのと、どっちが悲しいのだろう。満月を見ながら仲間を想う男の横顔を見ながら、ぼんやりと考えた。こいつが仲間と会う日が来たら、それが別れの時になる。そう考えていると、掴まれた腕が途端に熱くなった。私の腕を掴む男の手から、しっかりと熱が伝わる。生きているんだから当然か。いつも傍にいたクマシーに比べれば、何の可愛げもないくせに、温かい。この温もりが心地良いのが不思議だった。でもこいつもいつか居なくなる。月が隠れて日が昇れば別れの日が近くなる。会えるかわからない仲間がいるのと、別れの日が決まってる奴がいるのと。どっちが悲しいかなんて明白だ。

「きれいだな」

もう一度呟くと、今度はロロノアが「ああ」と小さく頷いた。
こうしてこいつのすぐ傍で、あと何回満月を見れるのだろう。いつか離れる時が来て、今こいつが満月を見て仲間を思い出すように、私を思い出す時はあるのだろうか。満月の光を浴びながら、あとどれくらいの間感じとれるかわからない温もりを、記憶に残そうと必死になった。
たとえ離れて百年経とうと、この温もりは忘れない。

「お前の方がきれいだぜ、とか言えねぇのか。男のくせに」
「…何言ってんだお前…」

満月の夜に私が誓ったことを、隣の男はきっと知らない。












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