恋は盲目、と誰かが言った。
ことわざのように言い伝えられるこの言葉を、どこの誰が言い始めたのかなんてわたしは知らない。ついでに言えば、盲目になるほどの恋を知らない。ほかのすべてが見えなくなるほど恋なんて、どれくらいの価値があるのだろう。そんなことに時間と労力を費やして、いったい何になるのだろう。目が眩むほどの、厳しい陽射しを容赦なく降り注ぐ空を仰ぎながら考えた。ジリリ、とベルのように蝉が鳴く。こんなことを考える時点で、私には無縁の話だ。校庭に散らばる葉っぱを踏むと、カシャ、と乾いた音がして、足を上げれば粉々になった葉が風に流され消えていく。恋もきっと同じようなものだと思う。最後に残るものなんてない。熱が冷めれば消えていく。
ジリジリ、と陽射しが肌を刺す。日焼けは好きになれないが、この刺すような陽射しは好きだった。夏の陽射しを浴びて育つ緑の香りも、重たい風の臭いも、乾いた地面も、全部。すぅ、と深呼吸すれば、太陽の香りがした。恋なんてしなくても、あたりはきれいで輝いている。そう思う。恋だの愛だの、どうして人間は形ないものを求めるのだろう。何部の誰それとか、何組の誰それがカッコイイだとか日常的に噂している女の子たちを思い出しながら考えた。目に見えないものの何を信じるのだろう。やっぱり考えたって無駄だ。ふわり、と体を包む、生温い風を感じながら一人納得した。恋なんてしたことのない自分が考えを巡らせたところでわかるはずがないのだから。さぁ帰って蜜柑畑の手入れをしよ う。私には、恋よりお金と蜜柑が輝いて見える。
再び歩調を速めたのと同時に、ふわ、と太陽の香りがあたりを包んだ。夏の風は重くて湿気ているけれど、ぽかぽかしていて心地いい。

「ナミ」

振り向くと、陽射しを浴びた緑の髪が眩しく見えた。返事するのも忘れて、鮮やかな緑をじっと見ていた。青々とした葉のようだ。それからようやくゾロの顔をまじまじと見た
。この男が自分から声をかけてくるなんて珍しい。放課後に出くわすなんて尚更だ。走ってきたのか少しだけ息が荒い。つ、と一筋の汗が男の首筋を伝う。
何、と私が聞き返すまで、いくらか時間がかかった。突然声をかけられて驚いたのと、何の用かと推測するためだった。この男と自分の接点なんて、同じクラスであること以外に見つからない。あとは時折たわいもない会話をするくらい。放課後、部活が終わって急いでかけつけて、呼び止められるような用事に心当たりが無さ過ぎて、少し戸惑う。ジリリ、とうるさい蝉の鳴き声を聞きながら、男が口を開くのをじっと見つめた。

「誕生日…おめでとう」

それまでうるさかった蝉鳴き声が、嘘のようにピタリと止まった。
変わりに私の鼓動がドクンと音をたてて鳴り始めた。驚いて声も出せない私をよそに、ゾロは「間に合った」とぼそりと呟いて、それから口の端を少しだけ上げて笑った。夏の陽射しが眩しいのか、それともこの男の笑った顔が眩しいのか。本気で迷った。
じゃあな、と先に歩き始めたゾロを見て、は、と我に返る。そのまま慌てて「ちょ、ちょっと!」と声をかけた。

「私、誕生日今日じゃないわよ」

そのまま硬直したかのように動かなくなったゾロを見て、堪え切れずに声を出して笑った。笑った顔も珍しかったけど、硬直した姿も珍しい。さっきまでの私のようだ。これでおあいこね、心の中で呟いた。

「嘘よ。ありがとう」
「悪魔かお前は…」

ふわり、と夏の風舞う校庭を、今度は二人並んで歩き始めた。
燦々と降り注ぐ陽射しの下で、私は目も眩むほどの恋に堕ちていた。










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