大きめの紙袋を抱えて夜半に帰宅した夫を迎えたのは、ソファに腰掛けてうつらうつらと船を漕いでいる妻だった。ドアの開く音に少し遅れて反応した妻であるnameは、スモーカーに微笑みかけておかえりを言うと、「コーヒーでも淹れるわね」と言って腰を上げた。
「晩御飯は済ませてきたんでしょう」
「あァ」
台所へ立つ妻の後ろ姿を眺めながら、スモーカーはぼんやりと幸せを噛み締めた。一年ほど前まで戦場で背中を任せていた彼女が、今は一線を退いて自分のために家を守ってくれている。職場で一悶着あって疲れ果てていても、帰る家があり、そこに仄明かりが灯っているのを見つけるのは、大時化の中で住み慣れた港町の灯台を見つけることと同じように心を落ち着かせた。
「にしても、相変わらず凄いわね、そのチョコレート」
「あー……いや、断り切れんでな」
「受け取りなさいって言ったのは私だし、責めてないわよ。私の夫なんだからそれくらいでなくっちゃ」
スモーカーが持ち帰ってきたのは、彼を慕う部下たちから貰った気持ちの数々だった。手作りのチョコレートから高価な装飾品まで、品はそれぞれであったが、どれも皆スモーカーのことを、各々のかたちで想って用意されたものであった。例年、彼はそれらを断っていたが、今年は妻になったnameが受け取ってこいと言うので、仕方なく受け取ってきたのだった。
夫にコーヒーを出したnameは、袋を漁って一つ一つを検分していく。「あら、可愛い」だの「スモーカーには勿体無いわ」だの「きゃっ、刺激的!」だの、好き勝手に言葉にしている。結婚している自分に恋だの愛だのとかいう意味で贈り物をしてくる部下たちの気持ちも分からないが、それを目の当たりにして平然と無邪気に笑っていられるnameの気持ちも、分かるかと言われたら否だった。
一通り楽しんだらしいnameは、いそいそと幾つかのチョコレートを開封して口へ運んでいる。彼女が口にしているものは、全て“メッセージ”付きの、スモーカーが受け取るのに最も躊躇する類のものだった。
「……」
「どうしたの?そんな顔して」
「いや……」
「横恋慕するほうが悪いのよ」
柄にもなく、スモーカーはそれらのチョコレートの渡し主たちを哀れに思った。
「……あら?」
nameが素頓狂な声を上げたので、窓際で葉巻を吸っていたスモーカーが振り返る。紙袋の包みは随分と減っていた。nameが目の前にしているのは、シックな色の高級店の包みだった。
「どうした?」
「大したことじゃないんだけど、これ……私宛だわ」
スモーカーが妻の手元を覗き込むと、確かにそこには「Dear name」と書いてある。怪訝そうな顔をして彼女が箱をひっくり返すと、そこには自分の上司で彼女の元上司でもある青キジの名があった。いつの間に紛れ込んだのか……そういえば、今日はやけに自分の周りをうろついていたような気がする。ご丁寧にカードまで付いていた。「疲れたらいつでもおいで」なんて書いてある。
スモーカーは、自分の表情がみるみる曇るのを隠そうともしなかった。対するnameは苦笑いだ。
「スモーカー、すごい顔よ」
「いつも“すごい顔”だろ、俺は」
「あっ、ちょっと!」
彼はnameからチョコレートの包みを引ったくると、乱暴に包みを剥がして箱を開けた。悲鳴を上げるnameを横目に上品に並ぶ丸いチョコレートを口の中に放り込んだ。顰められた眉間にさらにシワが寄る。
「……アイツ」
スモーカーは青キジに出し抜かれたような思いで心が苦かった。ビターで、中にはウイスキーらしき洋酒が入っているそのチョコレートは、間違いなくnameの好みではなかった。青キジは人の好みに合わぬようなプレゼントを寄越す男ではないので、多分、スモーカーが嫉妬に駆られて彼女からこの包みを奪うであろうところまで予測していたのだろう。
「もう、酷いわスモーカー、そんな高級なチョコレートだけ独り占めして……」
「name」
「何よ……んっ」
妻の非難の声を自身の唇で塞いで、スモーカーは、彼女が夫に宛てられたチョコレートを食べ尽くしてしまうのも嫉妬の一つの形なのだろうか、と思う。実のところを言えば、彼女に宛てられるはずだったチョコレートは全て、そこに込められた意図がどんなものであれ受け取らずに断ってしまったので、それなら全く以て似た者同士だ。そんなこと、彼女に言えるはずもなかったし、言う必要もないだろう。nameは、スモーカーの妻なのだ。
鼻から抜ける悩ましい声を出す妻に、唇を離したスモーカーは優しく問う。
「で、お前からは?」
「あ、そうそう」
スモーカーに解放されたnameは、思い出したように冷蔵庫から小ぶりのケーキを出してきた。
「はい、ハッピーバレンタイン」
「ん、あ、ああ……悪いな」
もう少し色気のある反応を期待していたスモーカーは、少し落胆した。
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