12、ゼロ
地下室の壁にもたれ、ネズミは瞼を閉じている。直接床に腰を降ろして片膝を立て、もう片方は緩く曲げて投げ出していた。無造作としか言いようのない姿なのに、僕は彼から目を離せないでいる。
ネズミの口ずさむ旋律は、病んだ大地からも、若葉を生み出すだろう。
苦難の中、僕の心が折れずに居られる理由は、それが故としか考えられなかった。
ネズミ
彼の本当の名前を僕は知らない。ネズミが、ネズミと名乗り、そう呼ばれる事で自身を支えているのなら、僕は何度でも言葉として織り出すだろう。
誰よりも大切に、誰よりも愛しさを込めて、その名を呼ぶ。
彼の向かいに座る僕は、白い指先へと手を伸ばした。僕の声に目を開けたネズミが、ゆっくりと微笑む。
「あんたの声は、癒しに似てる」
「僕の歌じゃ、誰も助けられないけどね」
「紫苑、あんたの綺麗な心はみんなを助けてる」
ネズミの爪先は桜の花びら。淡く色付くそれが触れる。
「俺もあんたに助けられてる。覚えておいてくれ」
僕たちは、指を、腕を絡め、心を寄せた。始めから共に在ったかの如く、二人の距離は測る前に埋まる。
一つに還る為、僕らは互いを求めて止まない。
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