「杜屋ちゃーん!あーそーびーまーしょ!」
「………はい」
今度は妹が窓からやって来た。浦原家はお伺いをたてるときは窓からとでも習うのだろうか。コンコンと壁を叩いてお伺いをたてる理性があるなら、普通に呼び鈴を押してほしかった。
今日は非番だ。寝て起きて、何もすることがない私は喜多と外に出る。
「ふんふんふーん♪ふふふふーん♪」
そんな喜多は鼻歌を歌いながらフラフラと隣を歩いている。今日は死覇装ではなく、緑青色の私服姿。さっきまで甘味処でわらび餅を食べていたのでご機嫌だ。
「………」
私はすごい勢いでイライラが近づいてくることを検知する。何となく想像がついたので、喜多には言わない。
「面貸せやァァァァ!!!」
「ひぎゃあ!」
現れた死覇装のひよ里さんに喜多が誘拐され――――何故か喜多に腕を掴まれた私も一緒に誘拐されることになった。我が友人ながら、誘拐案件が多すぎないだろうか。
いや、本当は分かっている。
喜多はこれを楽しんでいるのだ。私を巻き込むのも楽しいのだ。彼女は本当の敵意には敏感だから、こんなにされるがままなのは安心している証拠。そして…巻き込まれる私も、楽しい、と思う。
何だかんだ友人には甘くなる自分を自覚しながら、近づく地面に普通に着地した。
喜多は背中から落ちた。痛いと自分で回道をかけていたので、全く問題ないだろう。
私たちはひよ里さんによって隊首室へと連れていかれる。何故だか隊首室に入る前の光景が以前と全く違うのだが、一体何があったのだろうか。
「本当に兄がご迷惑をおかけして申し訳ありません…」
「ホンマやで!」
喜多は察しがついたらしく、ひよ里さんに引きずられた状態の中、両手で顔を覆った。
十二番隊内、隊首室に立ち入った瞬間………言葉に表せない程散らかった景色が見えた。ひよ里さんの怒りを一瞬で理解。喜多が、先ほどまでの引きずられっぷりが嘘のようにシュタと立ち上がり、仁王立ちで部屋に君臨する。
「……お兄ちゃん、これはどういうこと?」
「これは、その、実験の資料とか論文とか」
「それは分かってる。でも、共用区域だよね?私室じゃない」
「いや、まあ、ボク隊長っスから…」
「部下に迷惑かけまくる上司がどこにいるかー!」
「ここっス!」
「胸を張るな!」
ぎゃんぎゃんと喜多が説教を始める中、特にすることの無い私は山のように積みあがった書類や書物を眺めた。…一応、目的別に分けてあるらしく、なんとなく山の種類の違いくらいは分かった。申請書の山が見えたが、書き途中のものが多い。……まさか、技術開発局の設立許可、まだ下りてないんじゃあなかろうか。
「ひよ里さん、あれ」
「何や?――――設立申請書、やと…?!」
「あ、そこにありましたか!急かされてたんスよォ。流石ですねえ杜屋サン」
「オマエ今日に至るまで無許可で活動してたんかハゲ!!」
「ちょっと書類の提出が遅れただけで許可は貰って――――ブフォ」
ひよ里さんの飛び蹴りが決まった。浦原隊長が吹っ飛んでいく。ドンガラと聞こえるが、さらに部屋が大変になったのでは………とにかく、書類の提出が遅れているのに活動できているとは各所に迷惑をかけまくっているに違いない。関係部署や上司となる山本総隊長に怒られないのだろうか。
おーいてててて、と浦原隊長がふらふら歩いて戻ってくる。ふと目元を見やれば、濃いクマが見える。
「浦原隊長、寝不足ですか」
「あー…何徹目か忘れました」
「…食事はとっていらっしゃいますよね」
「えへへ…」
………呆れた。
「喜多!このハゲ寝かせろ!」
「ちゃんと生活してよ、お兄ちゃん!!!」
隠密機動育成出身、浦原喜多による背後からの回転蹴りが綺麗に決まり、浦原隊長は地面に沈んだ。…妹に甘いな、この兄。もしくは、不眠不休の限界だったのだろうか。だとしたら、自業自得でしかない。
「とりあえずあのハゲが寝とる間にやることやらんと」
「本当に兄がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
あれから浦原隊長を食堂の長椅子に転がした喜多と技術局員たちが隊首室の清掃、ひよ里さん以下十二番隊席官たちが申請書類の記入をするらしい。喜多が完全にとばっちりを喰らっているが、兄の行動を護廷十三隊で一番理解できるのは彼女なので仕方がない。
私はというと、
「いや〜!美味しいっス!」
気絶から復帰した浦原隊長に食事をさせている。献立は、浦原家の食費から購入したもので作った味噌汁と鮭の塩焼き、十二番隊の食堂で余っていた白米。喜多に手数料込みで抜き取っていいと言われて渡された財布は、必要経費のみ消費して返した。
「ひよ里さんに聞いてましたけど、本当に料理上手っスね」
料理がそこそこできること、何故知っているのだろうか。聞かずとも答えられた内容は、白さんとひよ里さんにご馳走したおはぎの件を聞いたということだった。あなたの妹も食べていますよ、と言えば、羨ましいと言われる。
「私は喜多のご飯の方が美味しいと思います」
「どっちがというわけではないっスけど、喜多チャンも料理上手なんで、どこにいてもおいしいものが食べれるのは良いです」
さて、食べたんで働きますよ、と席から立ち上がった浦原隊長を止める。
「寝てください」
「え、いや」
「寝る」
「仕事があります」
それでも、と食いつく。自分がふらついている自覚は無いのだろうか。
「何故、休まないのですか」
「やりたい研究とやる仕事があるんス」
だから行きます、と背を向けた彼に、思わず口を開く。
「あなたは、何でも自分でなされるのですね」
言ってから気づく。――――言うつもりの無かったことを言ってしまった。鉄仮面の下でだらだらと冷汗をかいていると、彼は苦い顔で笑った。
「…そんなことはないっスよ」
へらへらとしたその顔に腹が立つ。失礼を重ねていくのは気が引けたが、周囲への影響の方が問題だと判断し、口を開く。
「そうでしょうか。あの書類の山は、人に任せることのできなかった結果でしょう」
先ほどの景色を思い出す。散らかった部屋に山積みの書類。早急に出さねばならないはずの書類すら残っていた。
「もう少し、部下を頼ってみてはいかがでしょう。…例えば、卯ノ花隊長はご自身と副隊長であなたの就任式に出席した際、私に診療所を任せていきました。午前中の診療は全て、私の責任で行われていましたが、無事何事も起こることなく終わりました。その後は、卯ノ花隊長に引継ぎをして終了です。引継ぎ後も、診療所は問題なく役目を果たしています」
「……ボクがやらなくても、部下がやれると言いたいんすよね」
ああ、何言ったらいいか分からないなりに話したら長くなってしまった。しかも何言ったのかよく分からない。浦原隊長、よく理解してくれたなあ…。
「はい。卯ノ花隊長は、私に任せてくださいました。浦原隊長には、任せられる部下はいないのでしょうか」
「頼れない…ってわけではないんスけど、僕の我が儘で始まった内容なので…」
浦原隊長が頭をガシガシと掻く。…なんだ、そんなことを気にしていたのか。
「涅さんは問題児でしょうが、技術面においては信頼できるから、先日の実験を許可したのでしょう?それに、ひよ里さんは、今あなたの代わりに申請書類に必死に筆を走らせています。…うまく言えているか分かりませんが、あなたの部下はまったくやりたくないという人たちではないと思います」
変なところとはいえ、周囲に気遣いをしようと努力する部分は喜多に似ている。ただ、喜多は他人を頼るのが上手い。…やっぱり、妹とは違う部分が多そうだ。
「その部下は、あなたが倒れたら動けなくなります。命令系統のトップが機能しなくなるのですから」
時計を見る。もう定時だ。喜多の終わったー!という喜びの声やら、ひよ里さんの書きあがったで…!という叫びやら、いろいろ聞こえてくる。
「……今日は、もう家に帰って、ちゃんと寝ます」
「それがいいと思います。喜多も、喜ぶでしょうから」
私の返答に、彼は笑った。
「――――」
へらりとしたものではない、穏やかな笑顔。
…とてもいい顔だと思う。
数日後、休憩時間を終えて四番隊舎に戻ろうとしたとき、後ろから声をかけられて一瞬固まった。男性――――知っている声なので、身体のこわばりを解いて振り返る。
「どーも、杜屋サン」
「こんにちは、浦原隊長」
ああ、ふらついていないし、調子もよさそうだ。目の下のクマも薄くなった。話を聞けば、仕事をちゃんと割り振って、うまく回すように努力し始めたそうだ。ひよ里さんが頑張ってくれているとか何とか、とにかくいい方向に向かっているらしい。良いことだ。
そうそう、と小さな紙袋を突き出される。紙袋には有名な煎餅専門店の名前。
「先日のお礼です」
「………煎餅」
「喜多チャンに甘くないモノの方が喜ぶって聞いたんで、それにしてみたんスけど…」
それを恐る恐る受け取る。中身はざらめ、海苔、黒豆。『薄紅葵』に確認させても、変なものは入っていない。
「ありがとうございます。…ここの黒豆、好きなので嬉しいです」
お礼を言う。浦原隊長は暫し沈黙した後、あの穏やかな笑顔を見せた――――はずが、不意にへらりとした笑顔に変わる。
「また何かあったらよろしくっス」
「それは何も起こさないでください」
思わず睨みつけた私は悪くない。