一月後、私はまた双極の地下にやってきた。今度は普通に出入り口から来た。
準備は万端だ。ネムは実家に預けたし、杜屋ちゃんには事情を説明して万一の時は捜してもらうことになっている。食料その他必要なものは多めに六日分搬入済み。休暇申請は公休合わせて五日。二日余る計算なので、暇になったらネムと遊ぶ。ガバガバ計算、ヨシ!
「おはよう!『朝凪』!」
斬魄刀を転神体に突き刺し、霊圧を流し込んで『朝凪』を具象化させる。先程まで人形だったそれは、艶のある長い黒髪を鈴付きの紐で束ね、袖にも鈴が付いた水干を着た女性へと変化した。
「おはよう、喜多。こちら側、この姿で会うのは初めてだ」
「そうだね」
「奇妙な感じだが、たまには人の姿をするのも悪くはない」
精神世界には何度も行っているが、『朝凪』が人の形をとったことはない。必ず朝焼け空、水上の能楽殿に召喚されるのでこちらが本質なのかもしれない。能楽殿で舞踊をしたら『雰囲気いいよね』と神楽鈴を持たされて、舞踊の合間に鳴らしたら喜ばれたっけ。
「…あのね、卍解を覚えたいです。だから教えてください!」
頭を下げる。『朝凪』はクスリと笑って、顔を上げた私の額に触れる。
「無事に試験を合格したら教えよう」
水中に沈んだ。
目を開けると、遠くの方に転んだ様子の人がいた。その人に、虚が迫る。
「危ない」
私の腰に刀は無かった。それでも迷わず生身で突っ込んでいく。
名前も知らない、顔も知らない、初対面のその人を突き飛ばし、
「――――っ!」
私は虚に引き裂かれる。激痛に意識を失う間際、助けた人がこちらを見ているのを見た。
また、目を開けた。私の怪我は嘘のように無くなっている。
「…?」
不思議に思いつつ周囲を見渡せば、今度は景色が現世だった。私の服装は小袖で、どうやら義骸に入っているようだ。
「きゃあああああ!!!!」
突如発生した叫び声に反応して目を向ける。溜め池に誰かが落ちたらしい。人が集まるところへ駆け寄ってみれば、小さな子供がおぼれていた。
周囲は何もしない。助けを呼ぶことも、助けに行くことも。
「………」
縛道を使うことを考えたが、そもそも鬼道は一切使えない。というか、霊圧の感覚もない。私の身体は死神でも流魂街の住人でもない、現世の普通の人間に近いように感じる。
――――だったら、やるしかないか…
先ほどまでの躊躇兼思考はかなぐり捨てて、溜め池に飛び込む。水は冷たかったが、溺れる子供の前にそんなことは関係なかった。
子供を岸辺へ連れていき、水から引き上げる時、ようやく周囲の人間は手伝った。そして、それを眺めながら、私は暗い水底へ沈んでいく。私に手を伸ばす人は、誰もいない。
(でも、子供は助かる)
冷え切った体は動かない。水を飲む息苦しさにもがき苦しんだ。
私はまた目覚めた。今度は、周りに観客は誰もいない。ただ一人、目の前にけが人が倒れている。
(………)
けが人は、藍染惣右介。
傷の状態は重い。出血が止まらず、このまま手を出さなければ彼は死ぬだろう。
「――――、……」
言葉が出ない。シンジさんやお兄ちゃん、ヒヨリさん、あの日いなくなった皆の顔が過ぎる。
(私の手にかかってる)
この場で彼を治せるのは私だけ。私がどうするかで、彼の生死が決まる。
私が私怨のままに放置するか、そうではないか。
「………」
殺すことはカンタンだ。隠密機動の家系故に、そんなことはたくさん見てきた。
抵抗だって少ない。問題が無ければ、私だってお兄ちゃんと同じように隠密機動を経由したキャリアを積んだはずだ。
「…でも、そうじゃない」
(私が彼を殺すのは犯罪だ。彼は自分がしたことを法で裁かれる必要がある。そこに、私の納得する点を持ってこないといけない)
息を吐き、吸う。
手を伸ばす。
「私は諦めない!敵味方関係なく!階級も問わず!誰の命だって救ってやる!――――それが四番隊で、私はそこの四席だ!」
目を開ける。いつの間にか、私は倒れていたらしい。
「おはよう、喜多」
「――――?」
正面、うつむく形でこちらを覗き込んでいるのは『朝凪』。朝焼けの空に、太陽の光が差し込む。
「嬉しいよ」
そう言うと、『朝凪』は私を抱きしめた。
_________
双極での卍解習得もとい休暇からまた幾年月。
「ネム、髪整えましょうか」
「はい」
「お願いします、卯ノ花隊長」
四番隊舎の一角。休憩時間、刃物の扱いが上手な卯ノ花隊長にネムの髪を切ってもらう。…私はうまく切ってあげられないので、この仕事は早々に卯ノ花隊長のものとなった。
「卯ノ花隊長は、髪が長いですね」
「そうですね。そう言えば、浦原も随分と長くなりましたね」
「あー、はい。確かに昔は短かったですね」
「喜多さんはいつもハーフアップにされていますが、髪型を変えようとは思わないのですか?」
視界が一瞬だけ、過去に飛ぶような錯覚を得る。
「………うん、思わない」
ネムがこちらを見た。急に動いたので卯ノ花隊長に怒られている。
一方の私は固まった。…ネムは、私を心配するような顔をしたから。
(………)
思い出したのは、太陽の光で輝く、金色の長髪。
あれは綺麗だった。見られなくなって、もう何十年も経つ。
私の髪だって、昔は兄と似たようなものだったのに、今やふわふわながながロングになってしまった。伸ばした髪に意味は無い。無いはずだ。しかし、髪型を変えないのは、過去に固執しているからだ…と思う。
私は彼らが生きていると信じている。長い時間が経ったけれど、もし彼らが私を見たときに私だと気づいてほしい。
私のことを、覚えていてほしい。
「ネムは髪、伸ばしたりしたい?」
「…喜多さんはどう思いますか」
「きれいな髪だから、伸ばしてもいいんじゃないかな。下ろしていても私よりよくまとまると思うし」
「なら、次からは伸ばしてみようと思います」
「いいねェ」
ネムを預かって十何年。あっという間だった。シンジさん達がいなくなってもう百年近く。こちらは長かった。
かなり大きくなって、そろそろ十二番隊への異動を検討され始めたネムの後ろ姿を眺めながら、時の経過を噛み締めた。